2011年4月9日土曜日

【東武東上線記事】東武東上線が新鮮だ(その2)

1986年4月、秩父鉄道上長瀞
私にとって東上線が「近くて遠いお隣」だったのは鉄道に興味を持ちはじめた小学生の頃だ。池袋で山手線の隣のホームの東武電車をよく見ていたし、家族で秩父へ観光で出かけると秩父線内で停泊中の8000系をよく見たから。そう、池袋発の直通特急「みつみね」号と「ながとろ」号だ。みつみね号は三峰口に、ながとろ号は上長瀞で夕方まで昼寝をしている。いまの西武鉄道直通4000系と同じように、秩父線内で間合い運用に入ることはない。

そういえば私が非鉄だった2000年前後に秩父へ乗り入れていた西武新101系は、三峰口-寄居間で間合い運用に入ることもあったようだけど、その頃は秩父からご無沙汰だったので寡聞ながら知らない。もっとも、東武8000系は6両編成で秩父鉄道線内では輸送力過剰だったろう。

1988年3月、武州日野-武州中川
1984年11月、三峰口
ほかにも、三峰口には国鉄(JR東日本)からの115系「みつみね」号も乗り入れてきていて、急行「秩父路」の300系もいたりして休日の三峰口はなかなか楽しめる場所だった。昼下がりの三峰口にいるといろいろな車両を見られる、というのはパレオエクスプレスや車両公園のあるいまも同じかな。

そんな東上線からの秩父鉄道直通「みつみね」号や「ながとろ」号はいつも見かけるのに、残念ながら秩父鉄道線内でしか乗ったことがなかった。当時は西武池袋線の江古田に住んでいたので、池袋まで乗って西武線に乗り換えればいいのに、と思っていた(親が嫌がってできなかった)。もっとも秩父線内で乗るのは、夏の冷房が入る時期はうれしかったけど、それ以外の時期はせっかくの秩父の電車に乗れないのがくやしいヲタ心満載な少年でもあった。
1986年10月、小川町
そこで、中学生になってから友人と秩父鉄道の急行「秩父路」に乗りに行ったときには、わざわざ寄居経由で出かけた。そのときはまだ有楽町線乗り入れ前で9000系は試作編成の9001Fしかいなくて、その9001Fに小川町まで乗れたのがうれしかった。いまでこそありがたがっている8000系は東上線内ではなんせ「私鉄の103系」だからね、ありふれていて面白みがないほど走っていたのだ。

結局、そうこうしているうちに東武鉄道が秩父鉄道への直通運転をやめてしまったから、池袋からの東上線経由直通電車にはついに乗れなかった。

思えば東上線は激変の時期にあった。73・78系の引退(1981年から85年にかけて)と9000系(1981年に試作車。1987年から量産車)、10000系(1983年)の登場、8000系の更新による塗装の変更(1986年より)そして有楽町線との直通運転の開始(1987年)だ。

1988年9月、大山付近
1988年9月、大山付近
1988年9月、大山付近
1990年9月、柳瀬川付近
いっぽう、73・78型の記憶はわずかながらにある。我が家では毎年ゴールデンウィークや夏休み、秋になると森林公園へサイクリングに出かけていた。たいてい乗るのは8000系なのだけど、ときどき「木の床で大きな音がする電車」に乗った記憶があるから。後年、これが7300・7800系であることを知る。父親のお下がりのカメラでわずかなりとも鉄道を撮ろうとし始めた頃に、越生線や小川町-寄居間からも撤退し7800系が5000系に改造されてしまったのはご存じの通り。そうそう、オープン直後の東武動物公園で7300系保存車(モハ7329)を見た記憶もある。まだまだ園内が造成中で原っぱだらけだった東武動物公園はそんな広々した様子が楽しかった。夏の午後に妹と7300系の保存車のそばでずっと四つ葉のクローバーを探しまわったんだっけ。そんな小学生だった私と幼稚園児だった妹もはやアラフォーだ……。

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