■小田急ABFM車天国だった富士急
富士急を訪れた日のこと。もっぱらもの珍しさからカメラを向けたのは元小田急2200形だった編成だ。でもこの日の昼間はほかにも二つの小田急顔が走っていた。元2220形と元2300形だ。よく見ると側面のドア間の窓の数が違い、2200形同様に3つあるものが2220形で、4つあるものが2300形なのだと思う。2400形以前の小田急は小田急時代に見ていないのでうろ覚えかも、すみません。
■小田急顔が姿を消すとは
■小田急顔が姿を消すとは
おでこにライトが二つ並んで正面に貫通扉がある「小田急顔」がいまや絶滅危惧種だとは、思えば昭和もますます遠くになりつつあるものだ。でも、西武から「西武湘南顔」(低運転台)が去り、東武から「東武顔」もなくなり、京王6000系も3000系もいないなんていう、各社の顔的存在が相次いで消える時期なのだから……不思議な愛嬌のある小田急顔は長持ちしたほうなのかも。
■富士急のこの塗装は小田急顔にも似合う
■富士急のこの塗装は小田急顔にも似合う
それにしても、この頃の富士急塗装はなかなかスマートだ。自社発注の3100形や5000形、国鉄クモハ14形電車や京王帝都電鉄5000形にもよく似合うけれど、元小田急2220や2300形にもよく似合っているもの。オーソドックスな塗りわけ塗装のせいなのか、この塗装が似合わない電車のほうがめずらしいかもしれない。小田急2200形や2300形が富士○登山電車とかフジサ○特急にされないでよかった。
これだけいい雰囲気の鉄道だったのに、もっと行っておくべきだったとは思う。そして、自分の初訪問がたまたま雪の日だったというだけで、いまでも富士急というとこの青い空の日に見てみたくなる。
【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S, Sigma35-70mm F2.8-4/RFP