■めざせ養老渓谷
町内会のお祭りや夜の車庫を見たりして、五井駅とその周辺で楽しい夜のひとときを過ごした翌朝、小湊鐵道で養老渓谷を目指すことにした。
本来は私たちは海水浴に来たはずなのだけど、海で遊んでみた子どもは「うみはしおみずがしみるからなあ」などという。そこで海ではなくて川で遊ぶことにして養老渓谷へ向かうことにした。目的は臨機応変に変更すればよいのだ。
投宿先からの道すがらに五井駅そばの電鐘式踏切や機関区の貨車を眺め、キハ200形気動車の入れ替えシーンを撮ってから、養老渓谷行き列車に乗り込んだ。車内は観光客以外にも、なぜか揃ってキヤノンEOS Kissを提げた男性集団やら、オリンパスPEN E-P1とスマートフォンで武装した独身貴族な三十路風一人旅やらがたくさんいてほぼ満員だ。
本来は私たちは海水浴に来たはずなのだけど、海で遊んでみた子どもは「うみはしおみずがしみるからなあ」などという。そこで海ではなくて川で遊ぶことにして養老渓谷へ向かうことにした。目的は臨機応変に変更すればよいのだ。
投宿先からの道すがらに五井駅そばの電鐘式踏切や機関区の貨車を眺め、キハ200形気動車の入れ替えシーンを撮ってから、養老渓谷行き列車に乗り込んだ。車内は観光客以外にも、なぜか揃ってキヤノンEOS Kissを提げた男性集団やら、オリンパスPEN E-P1とスマートフォンで武装した独身貴族な三十路風一人旅やらがたくさんいてほぼ満員だ。
■列車を撮るひとがこんなに多いとは
我々が乗った列車が海士有木、上総牛久をすぎて、上総鶴舞、高滝、里見、飯給と房総半島の山のなか進むにつれてますます驚いた。有名な駅には真夏の真っ昼間なのにカメラを構えたひとがかならずいる。飯給でも、ソメイヨシノの咲く季節でもなくライトアップのない日中なのに、カメラ女子が神社から駅を撮っている。
いったいどうなってんの。
私がはじめて小湊鐵道に乗った1986年というのは、当時は「ハイキングブーム」というものがあった。養老渓谷にハイキングに行くひとはたくさんいて、休日の列車は4両編成で満員だった。そのころに乗った筑波鉄道でも、土浦から筑波まではまるで朝のラッシュアワーの山手線のような混雑だった。いっぽう観光で2回目に小湊鐵道を訪ねた1997年ごろには、すでに「貴重なローカル線の風景」を得られる場所として、知るひとぞ知る存在にはなっていた。海士有木で下校途中の高校生たちにお願いして撮らせてもらった記憶がある。それでも真夏の昼間に、いわゆる「鉄」じゃないひとたちが列車にカメラを向けている、などという光景は見たことがなかった。お盆休みとはいえ、真っ昼間に列車を撮っているひとが山ほどいるというのははじめて見た。
列車が歩みを進めていくと、日本の典型的なローカル線の風景が次々と車窓に広がる。でも、あちこちに線路内や線路沿いの私有地に入らないで、という注意書きが立っていることが気になる。沿線住民と列車を撮るひとたちのあいだにトラブルが起き始めている証拠だ。 うーん、「沿線風景はすばらしいけれど、京成顔のキハ200形しかいないから撮る気がしない」などと言わずに、みんなに見向きされない牧歌的な時代に撮っておくべきであったか。
養老渓谷駅に着いて、キハ200形を撮るカメラの砲列や駅にいるねこたちを撮る観光客、カメラ女子たちを潜り抜け、粟滝行き路線バスに乗った。こちらも木の床と油のにおいが懐かしい。そうしてひとしきり川遊びをしてから駅に戻り、駅ねこたちをまた見ていた。ねこたちはカメラを持つひとたちをあきらかに警戒している。カメラを向けるとじつに不快だという顔をする。まあ、ねことはそういう生き物だ。
私がはじめて小湊鐵道に乗った1986年というのは、当時は「ハイキングブーム」というものがあった。養老渓谷にハイキングに行くひとはたくさんいて、休日の列車は4両編成で満員だった。そのころに乗った筑波鉄道でも、土浦から筑波まではまるで朝のラッシュアワーの山手線のような混雑だった。いっぽう観光で2回目に小湊鐵道を訪ねた1997年ごろには、すでに「貴重なローカル線の風景」を得られる場所として、知るひとぞ知る存在にはなっていた。海士有木で下校途中の高校生たちにお願いして撮らせてもらった記憶がある。それでも真夏の昼間に、いわゆる「鉄」じゃないひとたちが列車にカメラを向けている、などという光景は見たことがなかった。お盆休みとはいえ、真っ昼間に列車を撮っているひとが山ほどいるというのははじめて見た。
列車が歩みを進めていくと、日本の典型的なローカル線の風景が次々と車窓に広がる。でも、あちこちに線路内や線路沿いの私有地に入らないで、という注意書きが立っていることが気になる。沿線住民と列車を撮るひとたちのあいだにトラブルが起き始めている証拠だ。 うーん、「沿線風景はすばらしいけれど、京成顔のキハ200形しかいないから撮る気がしない」などと言わずに、みんなに見向きされない牧歌的な時代に撮っておくべきであったか。
養老渓谷駅に着いて、キハ200形を撮るカメラの砲列や駅にいるねこたちを撮る観光客、カメラ女子たちを潜り抜け、粟滝行き路線バスに乗った。こちらも木の床と油のにおいが懐かしい。そうしてひとしきり川遊びをしてから駅に戻り、駅ねこたちをまた見ていた。ねこたちはカメラを持つひとたちをあきらかに警戒している。カメラを向けるとじつに不快だという顔をする。まあ、ねことはそういう生き物だ。
養老渓谷駅の雰囲気は変わらない。ただなんというかおもちゃだらけの駅になっていた。子どもにあれがほしいこれがほしいとさんざんねだられのがうっとうしくて、駅員さんに頼んでホームで待たせてもらった。すると駅員さんは私たちのフリー切符を見て、次の五井行きは先に来る上総中野行きの折り返しだから、どうせなら上総中野まで乗って戻ってきたら、と勧める。そこで、中野行きに乗ることにした。
すでにホームにはカメラを持つ客がたくさんいた。みなさん動き方が明らかに「鉄」ではなく、周囲のカメラを持つほかのひとたちの動きを見ていない。「にわか鉄」さんか、鉄に敵意を持つガジェットマニアさんなのだろうな、とよういに推測できる。明らかに写真を撮り慣れていないもの。そんなことをすぐに考えてしまうのは職業病だ。
そこへ、とつぜん子どもが大声で私に尋ねた。「ねーえ、なんでみんなカメラもってんの」と。この子はねらったのかな。かなりおもしろくて大爆笑してしまった。
そこへのそのそとやってきた下り列車に乗り込み、駅員の勧めるようにひと駅揺られて上総中野に着いたら、びっくりしたのなんの。うわー、なんなのこのカメラの砲列は。スマホやタブレット、ガラケーもふくめてカメラで列車をねらうひとおおすぎいいいい。そして、大原から来たいすみ300形が小湊鐵道のキハ200と並んだので、またまた大騒ぎになった。もしいすみ鉄道の待ち合わせがキハ52だったらパニックか暴動にでもなったのではないか。しゅごおおおい。
「他人が自分と同じアングルでねらっているのを見るだけで撮る気が失せる」ほどのたいへんへそ曲がりで陰キャであまのじゃくな私は、下車して列車を撮影する気持ちが失せた。JRのイベント列車が走るような沿線でよく見かける「路駐してアルミバッグにペンタックス67を入れて、ハスキークイックセットと脚立を持っていらっしゃるベテラン鉄おじさまグループ」は、集団になるとほかのひとたちには傍若無人で何かあると「どけー!」などとすぐに怒鳴る傾向がかなり高頻度で見受けられるので、見かけるたびに私は避ける。
だがしかし「ライトな鉄道ファン」と「にわか鉄道ファン」のような観光客集団にはべつの怖さがある。それは撮ることに夢中になりすぎて線路や列車に近づきすぎること。無秩序で不注意な感じが見ていて怖いのだ。自分が他人のカメラの邪魔をしていないか確かめているだろうか。列車の運行を妨害してはいないだろうか。ああ。線路に勝手に降りて運転士に注意されてるのがいるよ。
ちょっとげんなり。
私たちは養老渓谷で最後部に乗り込んだ。フリー切符の利点を生かしてそのまま助手席側最前部の席に座り続けて、五井まで戻った。養老渓谷から上り列車の乗ったら座れなかったかもしれない。
私たちは養老渓谷で最後部に乗り込んだ。フリー切符の利点を生かしてそのまま助手席側最前部の席に座り続けて、五井まで戻った。養老渓谷から上り列車の乗ったら座れなかったかもしれない。
あたりの風景が西日で赤く染まり、帰宅するのが惜しくなる。上総大久保を出たカーブでもカメラの砲列が並んでいた。そうやって列車から夕闇迫る空を見ていたら、カメラを提げたひとをたくさん見たせいか、子どもがカメラを貸してほしいという。そらをうつすから。と赤く染まる空を撮ってから自分で再生しては「もえてるみたい」と喜んでいた。カメラを持つひとたちみんながそういう純粋な気持ちで、しかも、素敵な環境をこわさない行動を心がけることができればいいのになと思いつつ、どう返事をしようか迷った。
■みんなで楽しく趣味の写真を楽しむにはどうすればいいのだろう
今回のエントリーをどう書くかについても、しばし考えこんだ。私自身がまずカメラを持って訪ねるひとりだし、地方私鉄に乗客が増えるのは素直にうれしい。小湊鐵道や沿線自治体のPRの成果とも思うし。さらにはかつて編集に携わっていた雑誌でも、小湊鐵道の素敵な雰囲気を取り上げたから、少しは責任みたいな気持ちもある。この貴重なのどかさをひとり占めしたいとは思わない。
それでも、どうしても気持ちのなかでなにかが引っかかる。カメラを持つことは特権でもなんでもないのに。カメラを持ったとたんに態度が傍若無人になったり、カメラを持つほかのひとのことが見えなくなるひとがどうして多いのだろう。しかもみんな大人がそうなるのだ。だいたい、趣味の写真なんてそう血眼になって、しかもガイドブックにある場所の見本のように撮りまくらなくてもいいんじゃない。
「血眼になって趣味の写真を撮る」私がいうのもおかしい。ただ、写真があることで人生の彩りが増えますよね、というようなことをみなさんに広めるのが私の職業でもあるわけで、そう思うと責任のようなものも感じざるを得ないのだ。だから、趣味の写真をみんなで気持ちよく撮るにはどうしたらいいのだろうといいたくてこんなエントリーをしたためたわけ。
■みんなで楽しく趣味の写真を楽しむにはどうすればいいのだろう
今回のエントリーをどう書くかについても、しばし考えこんだ。私自身がまずカメラを持って訪ねるひとりだし、地方私鉄に乗客が増えるのは素直にうれしい。小湊鐵道や沿線自治体のPRの成果とも思うし。さらにはかつて編集に携わっていた雑誌でも、小湊鐵道の素敵な雰囲気を取り上げたから、少しは責任みたいな気持ちもある。この貴重なのどかさをひとり占めしたいとは思わない。
それでも、どうしても気持ちのなかでなにかが引っかかる。カメラを持つことは特権でもなんでもないのに。カメラを持ったとたんに態度が傍若無人になったり、カメラを持つほかのひとのことが見えなくなるひとがどうして多いのだろう。しかもみんな大人がそうなるのだ。だいたい、趣味の写真なんてそう血眼になって、しかもガイドブックにある場所の見本のように撮りまくらなくてもいいんじゃない。
「血眼になって趣味の写真を撮る」私がいうのもおかしい。ただ、写真があることで人生の彩りが増えますよね、というようなことをみなさんに広めるのが私の職業でもあるわけで、そう思うと責任のようなものも感じざるを得ないのだ。だから、趣味の写真をみんなで気持ちよく撮るにはどうしたらいいのだろうといいたくてこんなエントリーをしたためたわけ。
おおむかし写真術のように、一部のエリートだけの趣味であってはほしくない。私自身、自分の趣味や仕事には誇りがある。写真を撮るなんてすごいだろう、などと驕り高ぶりたくはないし、人生において写真という趣味のあるこの楽しさをみなさんともわかちあいたいとも思う。それでも、みんなで気持ちよくいられるように楽しみたいのだけどなあ。
【撮影データ】
Nikon D2X/AI Nikkor 28mm f/2.8S, AI Nikkor 50mm F1.8S, Nikkor-Q Auto 135mm F2.8/RAW