304編成に乗ったらしい(運転台に「354」とある) |
これは江ノ島駅だな |
写真はミレニアムを迎えた頃の2000年前後。社会人になって数年たちながら、夜中に自宅の部屋でモノクロフィルムの現像やプリントなどをしていた。読者のみなさんは「コンポラ写真」という言葉をご存じだろうか。1970年代に、アメリカから日本の写真界にもたらされた「コンテンポラリー・フォトグラフィー」の日本の土壌で翻案された写真、ともいうべきもの。
本来は「同時代的な写真」とでもいう意味である。それ以前のドキュメンタリー写真+名人芸的なしゃれたスナップショットではなく、日常の暮らしを淡々と見せる写真術とでも言えばいい。反戦とか社会変革などといった目立ったメッセージ性を込めたり、情緒をうたいあげることのない、あくまでも見た目は淡々とした写真だ。
日常とはおそらく、そんな「うたかたの日々」ではないけど、特に目立つ事件もドラマもなく続いていくもの。そこを切り取りながらも社会批評や自分と社会のありようを描こうとしたのだと思う。
そんなコンポラ写真にたいして日本では当時、若い写真家たちを中心に大論争があったそうだ。現代の私たちからすると、日本では妙な「精神性」を加えられて時代の波に翻弄されたようにも思える。それにしても私には日本の写真家は明治時代の「自然主義文学」と同様に、まじめすぎるのか「赤裸々な真実」を見せたがりすぎる。それは「表現」としては稚拙だ。ファンタジーでいかに遊ぶことができるのか、そこが大切なのに。
そんなことはどうでもよろしい。社会人になりながらもあまり楽しい仕事ではないと思っていた私は、「遅く来たプチ反抗期」とでもいうような、「やさぐれたフリ」写真を撮りたいと思っていた。まずはスタイルを真似するのが一番だ、と思うのが私の安直なところ。そこで、2000年になるというのに1970年代風にNikonFに20ミリレンズを着けて、モノクロームフィルムを装填し、さらにそのフィルムを現像時にコントラストをつけて粒状性を粗すような現像をして悦に入っていたのだった。広角レンズで横位置を多用した「コンポラ写真風スタイル」を自分の写真に持ち込んだというわけ。
「Nikon Fと20mm」で「コンポラごっこ」していた頃 |
だから毎日のように一眼レフを持ち歩いていたし、やまほどフィルムを消費した。そのおかげで「鉄道をメインに撮ろう」とは思っていなかったのに、鉄道周辺の撮り方がいまよりもうまい(笑)。へへへ。まあー、そんな時代もあったねと♪ ってやつだ。