2014年4月13日日曜日

【秩父鉄道1980年代】急行「秩父路」用300系電車のこと その2

デハ302。旧塗装期の末期

【はじめに】秩父鉄道300系電車について。第2回目は300系電車の細部についてお話しする。なお、写真は特記のない限り1985(昭和60)年10月1日撮影。

■ディテール解説
主電動機は三菱電機製のMB-3032-A形(75KW)で、小田急2220形や長電2000系と同じ。音色をはっきりは覚えていないが、YouTubeで動画を見ることができるので、知りたいという方はアクセスされたい。初期の新性能電車らしい静かな音がする。制御装置はABF-108-15 EDCH形で、同番号のものは京急1000系や長電2000系にも用いられている。ブレーキは三菱電機AR-D(発電ブレーキ併用自動空気ブレーキ)型。昭和30年代の私鉄形の高性能車の典型のような組み合わせなのだろう。

シンプルなデザインの運転台

デハ301・302の台車はNA4P

デハ301。座席の白いカバーが見える

台車は第1編成電動車(デハ301-デハ302)はコイルばねのNA4P、第2編成電動車(デハ303-デハ304)は空気ばねのNA301。1966(昭和41)年に増備された付随車の台車は第1編成用のサハ351がNA12TB、アルミ合金製車体の第2編成用のサハ352は空気ばねのNA319Tをはく。

NA4P台車は、日本車輌製造が手掛けたそのほかの地方私鉄向けロマンスカーにも採用されている。京王2700系電車、長電2000系電車、富山地鉄14770形電車にも用いられている。この台車はDT20形台車をもとに設計されたそうだ。DT20形台車は国鉄80系電車200番台車などで用いられ、いまでは西武鉄道から大井川鐵道に譲渡されたE31形電気機関車で見ることができる。そういわれてみるとたしかに似て見える。

いっぽう、空気ばね台車のNA301は枕ばね部分が空気ばねに変更されたもので、それ以外はNA4Pと共通の仕様だった。つまり、NA4Pは枕ばねを交換できる仕様だった。

アルミ合金車体で空気ばね台車のサハ352(1984年11月)

パンタグラフは三菱オリジナルのS-734-CC形という。PT42のように、上下の枠がN字形のものだ。昭和40年代から50年代に他の車両と共通化のためか、PS13に交換されている。秩父鉄道では一時期、電車も電気機関車も共通して、昭和50年代にはやや古めかしく感じさせたPS13形パンタグラフが用いられていた。

PS13は秩父鉄道にストックされていたのか、秩父鉄道に導入された当初の1000系電車も、入線時に国鉄時代のPS16から古いPS13に交換されていた。その部分をみるとあたかも「90系電車」としての登場時の姿を彷彿させてずいぶん古めかしく見えて、興味深かった。

サハ351の台車NA12TB

サハ351

ヘッドライトはオデコに1灯。第1編成は1982(昭和57)年ごろに、第2編成は1985(昭和60)年ごろにシールドビーム化改造が行われている。また、奇偶両方のデハの屋根上にあったランボードも昭和60年ごろに奇数車のパンタグラフ付近を残して撤去された。

昭和59(1984)年11月の写真では301編成にランボードとサボがある

ヘッドマークはぜんぶで三種類あったようだ。長らく用いられていた大型のものは、傷みが生じたからなのか、1982(昭和57)年ごろにやや小柄のもの(掲載写真のもの)に代わった。運転台後ろにあったサボ受けも使われなくなった。この小柄なヘッドマークはこのあと、黄色に塗装変更された際に車体の塗装に合わせたものに置き換えられている。

500系(右)と。500系の2連の運用も日中にはあったようだ

■秩父路の花形電車ながら、記録されていないこと多々あり
「秩父鉄道300系電車は1959(昭和34)年に登場し、急行『秩父路』の運用に用いられた」と、この電車を紹介する文章はあまたある。ところが、登場時は有料急行列車の運用についていたわけではないようで「有料急行運用には具体的にいつから用いられたのか」を記した文献をほとんど見たことがない。それこそ前述のパンタグラフの件のように「昭和40年代前半から後半にかけて」という、たいへんあいまいなことばかり書かざるを得ない。

地方私鉄の車両を調べていて壁にぶつかるのはこういうときだ。登場したばかりのころの写真は見つかっても、その後の日常のようすがなかなかわからないことが多い。

300系電車について具体的にいえば、昭和30年代〜40年代の「正面窓が小型化された時期」「3連化されたばかり時期」「ヘッドマークが装着された時期」のことが、筆者にはいまひとつ正確にわからないでいる。筆者が生まれる前のことだから。

いくら写真好きでカメラを所有する人が多い国であっても、鉄道を当時撮っている人はいまほど多くはなかったはずだから、やむを得ない。そして貴重な写真を持っているみなさんは、残念ながらWebにはアップされることが少ないだろう。

さて、急行「秩父路」は1969(昭和44)年より三峰口〜熊谷で運用が開始されたという(*)。1969(昭和44年)というのは西武秩父線が開業した年だ。もしかしたら、西武秩父線の開業を期に、熊谷と寄居経由での秩父・三峰口への速達列車を対抗して新設したということと、秩父地方への観光客増加に対応することを考えて登場したのではないか。そういう言い方でこの列車について解説しているものを見たことがないので、あくまでも筆者の推察だ。ヘッドマークを掲示しはじめたのはおそらくこの「秩父路」の運転開始からと考えていいだろう。

300系電車は2編成しかなかったので、1992(平成4)年にJR東日本より3編成導入された後継の3000系電車(国鉄165系電車)に置き換わるまでは、急行「秩父路」は朝夕に三峰口〜熊谷を往復するだけで、日中は三峰口または影森、熊谷に留置されていた。

【参考文献】井上広和、高橋摂(1987)『関東の私鉄19 南関東・甲信越』保育社(保育社カラーブックス583)
『鉄道ピクトリアル』(1998年11月号)特集秩父鉄道

*急行「秩父路」は1969(昭和44)年より三峰口〜熊谷で運用が開始されたという:ソースがWikipediaなので文献等での検証ができず。

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