2014年4月9日水曜日

【国鉄1980年代】ED16のこと

1986年8月の沼津機関区撮影会にて

■青梅線のあるじED16

鉄道に興味を持つ人で、首都圏で1980年代までに思春期を迎えたアラフィフ以上の人なら、青梅線にいたED16を覚えているのではないか。

車体側面に乗務員用の出入り口を持たず、デッキから出入りする。そして先台車のあるぶどう色2号に塗られた旧型機関車は、1980年代当時すでに、EF60やEF64、EF65などの新型電気機関車により次々に置き換えが進んでいた。車体重量はあっても先台車があることがさいわいし、軌道の制限があるような路線でかろうじて残る程度になっていた。

80年代になると、鉄道貨物の減便もおそらくは「合理化」と称して国鉄民営化移管をにらんで進められていたろうから、関東ではわずかなEF15くらいしか旧型電機を見ることはできなくなっていた。

そのなかでも、青梅線には貴重な戦前のD型電機であるED16が1983年3月までは残されていて、オレンジバーミリオンの101系や103系電車が行き交うなかを、奥多摩から運び出される石灰石を南武線を経由して浜川崎まで運ぶために走り回っていた。

大宮にいたED1610は2015年に解体されたそう

■下り勾配だからD型でも十分だったのではないか
ED16が生き残ったのは軸重制限があったからと言われている。だが、思えば石灰石を満載しても奥多摩からは下り勾配を走ることから、F形の電機は不要だったはず。秩父鉄道や三岐鉄道でもD形電機が使われているのは、積車の場合は勾配を降りるだけだから。勾配を登るのは積荷を降ろした返空の場合だけだ。出力が必要なのは引き出しのときだけだ。

そうはいいつつも、ED16はEF64とEF15のF形電機に置き換えられた。だがこれは、他線区では力不足になるであろう代替のD形直流形電機を製造する余裕が当時の国鉄にはなかったこと、さらには想像でしかないが、トラック輸送に遠からず置き換えられる可能性も考慮されていたのではないか。

■「青梅線らしさ」を感じさせる存在
そんな事情は当時は思いいたらなかった。たんに私にはED16は、御嶽山や鳩ノ巣渓谷など、青梅線沿線レジャーに出かけたさいに見かける「青梅線らしさ」を感じさせる存在だった。そのころはまだ写真を始めていなかったために、写真を撮ることなど考えたこともなかった。そして、私が鉄道趣味から離れていた1998年8月に青梅線の貨物輸送自体がトラック輸送に置き換えられてしまい、いまは石灰石輸送列車を見ることはできない。

■沼津機関区の撮影会
さて、掲載した画像は青梅線で撮影したものではなく、東海道線開業100周年を記念して1986年夏に行われた沼津機関区での撮影会で撮ったものだ。ナンバープレートが古い形式名入りのものに変えられているのは、撮影会でのサービスだったのだろう。

この撮影会は西日本の電気機関車も集められた大がかりなもので、EF30や竜華機関区のEF15(隣に写っているシールドビーム2灯化改造された機関車。184号機)、セノハチのEF59(EF53のナンバープレートが取りつけられていた)といった、本でしか見たことのない機関車を見ることができて、楽しかった。

【撮影データ】
Nikon F-301/Sigma 75-210mm F3.5-4.5