■終電近くの電車に乗りながらもの思いにふける
私はここ数年、西武新宿線末端部分で暮らしている。雑木林がところどころに残され、わずかながらに武蔵野の雰囲気を残さないでもない雰囲気は好ましいが、埼玉都民として都心に通勤で出るには、最終電車が30分ほど早く終わってしまうという不便さがある。それぞれ、車両基地があるのが小手指、保谷(もはや電留線のみだが)、および新所沢、上石神井であり、車両の運用を考えたらやむを得ないのはわかる。
わかっていて、住む場所を選んだのだからしかたがない。ときどき、終電を逃して深夜に歩く。
■「愛していないという確信が持てなくなった」
12月19日も新宿線の遅い電車に乗っていた。そして。新所沢で乗り換えてドアの外を流れる光景を見ていたら、南入曽車両基地にふだんはいるはずのない電車がいるのが見えた。
それはあたかも天啓のようだった。なにも大げさな。ああっ、と声にならない声を上げて私はその場に凍りついた。あれは、明日の12月20日のイベントで運用離脱する3011編成「銀河鉄道999デザイン電車」ではないか。あれだけ、ラッピングが嫌だったはずなのに、カメラを出していなかったとことを私は悔やんだ。そして......。
「愛していないという確信が持てなくなった」(マルグリット・デュラス、清水徹訳(1992)『愛人(ラマン)』河出書房新社)*
■「何かしらに関する天からの厳命のように、内容の知れぬ神の命令のように」思えて早起きして撮りに行った
それはあたかも天啓のようだった。なにも大げさな。ああっ、と声にならない声を上げて私はその場に凍りついた。あれは、明日の12月20日のイベントで運用離脱する3011編成「銀河鉄道999デザイン電車」ではないか。あれだけ、ラッピングが嫌だったはずなのに、カメラを出していなかったとことを私は悔やんだ。そして......。
「愛していないという確信が持てなくなった」(マルグリット・デュラス、清水徹訳(1992)『愛人(ラマン)』河出書房新社)*
■「何かしらに関する天からの厳命のように、内容の知れぬ神の命令のように」思えて早起きして撮りに行った
そして、私は「何かしらに関する天からの厳命のように、内容の知れぬ神の命令のように」(前掲書)翌朝早くに目覚めて、南入曽まで撮りに行ってきた。
私が南入曽にたどりついたとき、3011編成はすでに通電中だった。本川越方のじつに撮りにくい場所にいたので、ライブビューを使い塀の上にカメラを掲げて撮影した。そして、西武新宿方から撮影しようと県道を歩いて反対側に回っているあいだに、どうやら出庫してしまったらしい。メーテルしか撮ることができなかった。
そのかわり、白い新101系の出庫シーンを見ることができたから、まあいいとしよう。そして、あっというまにこちらも出庫していったので、まるで朝が眠りの浅い時間に見た夢のようでもある。そんなに早朝でもないけどね。
そして、本川越発の西武球場前行きへの送り込みや、西武球場前行き列車を見届けないで帰宅したところも、また私のへそまがりなところだ。そういう写真は、ディープな西武ファンのみなさんのあのへんのブログをご参照くださいませ。
*「愛していないという確信が持てなくなった」(マルグリット・デュラス、清水徹訳(1992)『愛人(ラマン)』河出書房新社):主人公がフランスに帰る船の旅の途上、深夜にショパンのソナタを聴いてそう思う場面ね。懐かしいな。私だってものすごく久しぶりに思い出したぜ。
【撮影データ】Nikon D7000・AF-S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G・RAW(Capture NX2にて現像)