東飯能から歩いて聖望学園の前あたりにて |
■DD51の重連が走っていた
JR八高線は関東平野の端、山地のはじまる場所、いわば平野と山地の境のあたりを走る。そのため、金子前後で加治丘陵(入間市と青梅市、飯能市の境)を越え、さらに東飯能から高麗川にかけては高麗丘陵を越える。そして、そこから先は寄居にかけて毛呂山や比企丘陵を抜けるために、金子から東飯能、高麗川から寄居にいたるあいだに最大20‰程度の勾配が何箇所もある。八高線でもっとも標高が高い地点は、入間市の金子付近だ。
■電車で通過するとあっというまなのに
■地味な路線なりの楽しさがあった
1990年代はじめの電化直前の数年間は、キハ30・35とDD51ばかりで、いつ見ても印象が変わらないように思えた八高線でも、いまこうして見てみるとそれなりの車両の入換えがあったようだ。大所帯だったキハ30・35にもステンレス車体のキハ35900番代車や、越後線用の耐寒耐雪装備対応の500番代車(ベンチレーターが見分けるポイント)に相模線色の車両が加わり、キハ38の新造もあった。キハ20やキハ40が混結されていることもあった。そして、DD51がときには重連で貨物列車を牽引していたことも。それなりに撮ったつもりではいるけれどまだまだいろいろと甘い。それでも見られただけありがたいのかな。
【撮影データ】
Nikon F301・AI Nikkor 35mm F2S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S, Sigma Zoom Κ75-210mm F3.5-4.5/PKR
撮影地:JR八高線東飯能〜高麗川(1987年から1991年にかけて)
JR八高線は関東平野の端、山地のはじまる場所、いわば平野と山地の境のあたりを走る。そのため、金子前後で加治丘陵(入間市と青梅市、飯能市の境)を越え、さらに東飯能から高麗川にかけては高麗丘陵を越える。そして、そこから先は寄居にかけて毛呂山や比企丘陵を抜けるために、金子から東飯能、高麗川から寄居にいたるあいだに最大20‰程度の勾配が何箇所もある。八高線でもっとも標高が高い地点は、入間市の金子付近だ。
私は世代的には現役の蒸気機関車を見ていないが、1970(昭和45)年八高線が無煙化されるよりまえに「東京近郊で最後に蒸気機関車が走っていた」1960年代には、この金子周辺の加治丘陵越えと東飯能〜高麗川の高麗丘陵越えをそれぞれ、正式な地名ではなく通称で「金子坂」「鹿山(かやま)峠」と当時のファンが呼んでいたようだ。
1999(平成11)年の貨物列車の廃止以降は、八高線には定期貨物列車が走ることもなくなって、とくに電化された八王子〜高麗川ではDD51が乗り入れるようなこともなくなり、これらの撮影の名所には通勤電車しか走らないいまとなっては、金子坂とか鹿山峠という名称ももはやいささか懐古趣味的なものに思える。ふだんは金子坂や鹿山峠をめざすファンも少なかろう。103系3000番代の撤退時や201系電車の中央線直通列車の廃止などの際には、これらの場所に撮影者が急に増えたのかもしれないが。
Google Mapより作成した東飯能〜高麗川の該当区間。 赤い枠線内が山間を走る区間だ。 宮沢湖(ムーミンバレーパーク・メッツァビレッジ)に近い |
■非電化時代に何度も通っていたのに
私自身はこの金子〜東飯能〜高麗川にある勾配区間のうち、東飯能〜高麗川の区間に1990年代に何度か通っていた。都心から比較的近く、トンネルこそないものの山間の雰囲気を味わうことができるからだ。
とはいえ、東飯能〜高麗川の駅感距離は営業キロで5.5キロメートルあり、山間にさしかかると道路が必ずしも線路に沿っているわけではない。数箇所の踏切があるだけで、そこからの撮影がおもになる。だから東飯能から歩いてあちこち撮り歩き、あいまに列車を待ちながら高麗川にたどり着くと、だいたい半日かかる。
いま見ると拙いできの写真が多い。それでも満足してしまったのか、鉄道趣味をやめてしまってからは、鉄道趣味を再開してからもこの区間とはごぶさたしている。列車で通過するばかりで、ずっと足を運んでいない。
列車から見ていると家がずいぶん増えたことと、線路を越えるオーバーパス、架線柱や通信ケーブル、踏切の障害検知装置が増えて、非電化区間のころより撮影しづらそうに思えるから。いや、それはいいわけだ。正直にいえば、東飯能から機材を抱えて歩いてここまで向かうことがおっくうに思えるからだ。とくに埼玉県道30号飯能寄居線を歩くほかなくなる区間が、歩いていてもあまり楽しくない。認めたくないけれど加齢の証拠だ。
そう思って調べてみると、少しでも楽をするならば、宮沢湖入口(2021年現在だとメッツァ)まで飯能駅北口から路線バスがあるので、それを利用できる。西武バスと国際興業バス、イーグルバスの直通バス、イーグルバスの武蔵高萩行きの路線バスがある(2024年8月追記。イーグルバスは飯能・日高路線のうち2025年3月末での日高市内区間(詳細未定)の廃止を表明したので運転区間が変更されることになりそうだ)。飯能と武蔵高萩を結ぶイーグルバスの路線バスは、メッツァ付近では上記の飯能寄居線を経由するので、これをうまく利用すれば公共交通機関を利用しながらでも、どうしてもならば歩かずにすむ。ただし、どちらも東飯能は通らないので要注意だ。
■電車で通過するとあっというまなのに
おそらく、だらだらと勾配が続くのだからD51やC58などの蒸気機関車を運転していた当時の乗務員のみなさんたちは苦労したことだろう。それが電化されたいまとなっては、209系電車と205系電車(2021年現在ならばE231系電車)がどちらもかるがると越えていく。いまの電車の加速力はたいしたものだ。かろやかに加速していく電車に揺られて金子や高麗川を通るたびに、そう思う。
1990年代はじめの電化直前の数年間は、キハ30・35とDD51ばかりで、いつ見ても印象が変わらないように思えた八高線でも、いまこうして見てみるとそれなりの車両の入換えがあったようだ。大所帯だったキハ30・35にもステンレス車体のキハ35900番代車や、越後線用の耐寒耐雪装備対応の500番代車(ベンチレーターが見分けるポイント)に相模線色の車両が加わり、キハ38の新造もあった。キハ20やキハ40が混結されていることもあった。そして、DD51がときには重連で貨物列車を牽引していたことも。それなりに撮ったつもりではいるけれどまだまだいろいろと甘い。それでも見られただけありがたいのかな。
【撮影データ】
Nikon F301・AI Nikkor 35mm F2S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S, Sigma Zoom Κ75-210mm F3.5-4.5/PKR
撮影地:JR八高線東飯能〜高麗川(1987年から1991年にかけて)