■流鉄流山線に乗った話
三が日の終りに流鉄流山線に行った。昼過ぎまではよく晴れていたのに、武蔵野線に揺られて新松戸駅で降りたころには、暗い曇り空が広がっていた。
JR常磐線・武蔵野線の新松戸駅を降りて武蔵野線の高架下を進み、高架下のファストフード店の横の道を入った突き当たりに、小さな踏み切りがある。踏切のある線路は単線で、あたかも貨物の引き込み線のような雰囲気だ。
この踏み切りを渡って右にあるマンションの一階が流鉄流山線の幸谷(こうや)駅。少し前の西武鉄道の制服のような服装の駅員が改札にいる。PASMOやSuicaなどのICカード式乗車券は使えない。
手書きの時刻表や硬券の記念切符、ダイヤ改正や新型車両導入のお知らせを眺めていると、やがて派手な塗装の2両編成か3両編成(2016年2月追記:2010年記事掲載当時。現在はすべて2連です)の元西武電車がやって来た。「なの花」号、「青空」号、「流馬」号などと一編成ごとに一般公募の名前がついていて、市民に愛されている感じと愛されようという努力を感じさせる。車内に乗り込んでみると、薄茶色の化粧板の内装が「ああ、西武線の電車はこうだったっけ」と思わせる。長らく西武新宿線沿線に在住しているので、そのなつかしさはひとしおだ。
■新坂川沿いに出るとまもなく小金城趾
飲み屋が多い幸谷および新松戸駅前の雑居ビル街のなかを抜け、流山線の武蔵野連絡線をくぐり、左側に新坂川を見ながらカーブを曲がる。すると右には昔ながらの屋敷森や畑が少し見える。電車は川沿いをゆっくり走り、車掌が車内を回る(2016年2月追記:2010年1月23日に完全にワンマン化され、現在は車掌は乗務しません)。
流山線は単線で、昼間は2両編成の電車2本が13分おきに交互に走る。電車はゆっくりと交換設備のある小金城址駅に着いて、しばらく上下の交換待ちをする。
すぐに反対から電車がやって来て、上下の電車が揃うと運転士が目覚まし時計のような音の発車ベルを鳴らす。駅に止まっている電車の床下からはときおり、戦前の電車に使われていた、けれど西武鉄道では最近まで用いられていたAK3形空気圧縮機(エアコンプレッサー)がごとごとと鳴る。
■坂川を越えて鰭ヶ崎へ
小金城址を出た電車は新坂川沿いの線路を少しだけ、いきおいをつけて走り始める。新坂川が合流する坂川の橋梁を越えて住宅地の中の鰭ヶ崎(ひれがさき)まで登り坂だ。坂川をわたって鰭ヶ崎にたどり着く。ここも駅前のこぢんまりした商店街が好ましい。
鰭ケ崎からさきの平和台までは1.5Kmほどの駅間がある。切り通しは流鉄の名撮影地だ。いまでは住宅地のあいだを走る鉄道で、わずかに田畑と雑木林が残るのみで、想像しがたいけれど、『レイルマガジン』の編集長だった名取紀之さんの著書『編集長敬白』および、そのオリジナルとしてかつて公開されていたブログ(現在は閲覧できず)のほか、筆者が所有する昭和50年代ごろ書籍(ヤマケイのレイルシリーズ 6『東京の電車(首都圏の国電・私鉄)』写真:広田尚敬/解説:吉川文夫 1980年 山と渓谷社)などの写真を見ると、鰭ケ崎からいまの平和台まではじつにのどかな田園風景が広がっていたようだ。いまとなってはわずかな雑木林と、切り通しの先にある住宅地がその名残なのだろう。
そして、つくばエクスプレス(TX)がこの地下を交差していることも、想像しづらい。
■平和台から終点流山へ
複線化の用地がある直線を抜け、カーブを曲がると平和台。駅の目の前に大きなスーパーマーケットがある。かつての陸軍糧秣本廠流山出張所の跡地だということだ。ここから先、終点の流山までは住宅地の裏をまっすぐ走り、市役所のある高台のそばの小さなが終点の流山だ。
鰭ケ崎からさきの平和台までは1.5Kmほどの駅間がある。切り通しは流鉄の名撮影地だ。いまでは住宅地のあいだを走る鉄道で、わずかに田畑と雑木林が残るのみで、想像しがたいけれど、『レイルマガジン』の編集長だった名取紀之さんの著書『編集長敬白』および、そのオリジナルとしてかつて公開されていたブログ(現在は閲覧できず)のほか、筆者が所有する昭和50年代ごろ書籍(ヤマケイのレイルシリーズ 6『東京の電車(首都圏の国電・私鉄)』写真:広田尚敬/解説:吉川文夫 1980年 山と渓谷社)などの写真を見ると、鰭ケ崎からいまの平和台まではじつにのどかな田園風景が広がっていたようだ。いまとなってはわずかな雑木林と、切り通しの先にある住宅地がその名残なのだろう。
そして、つくばエクスプレス(TX)がこの地下を交差していることも、想像しづらい。
■平和台から終点流山へ
複線化の用地がある直線を抜け、カーブを曲がると平和台。駅の目の前に大きなスーパーマーケットがある。かつての陸軍糧秣本廠流山出張所の跡地だということだ。ここから先、終点の流山までは住宅地の裏をまっすぐ走り、市役所のある高台のそばの小さなが終点の流山だ。
2両から3両編成で走る電車や線路ぞいの古い柵や有人の小さな駅、流山駅には地域特産品のみりんを飾るガラス棚があり、小さなタクシープールや木造の検車庫など、私鉄好きには宝の山みたいな風景があたりまえのようにある。
終点流山駅のベンチの手縫いの座布団や、発車ベルを鳴らしながら駅員が駅前に電車に乗りおくれそうな客がいないか確かめる様子などを見るのも、乗客への気遣いがうれしい。
おそらく、少し前まではめずらしくもなかったであろう地方私鉄の雰囲気が残る。都心から30分ほど常磐線に乗ってたどり着くこののどかな雰囲気は貴重だ。そしていまや少子化と沿線住宅地住民の高齢化と、人の流れは鉄道沿線にではなくロードサイドが中心というのもおなじ。それでも、馬橋あるいは新松戸からJR常磐線を利用する人たちの、路線バスよりはダイヤが確実な足という存在であろうことは想像にかたくない。こちらは無責任な一介の通過者でしかないとはいえ、なつかしさも感じさせるこの鉄道の姿をときどきむしょうに見たくなる。
【撮影データ】
Nikon D2X /AI AF Nikkor 24mm f/2.8D, AI AF Nikkor 35mm f/2D, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>/RAW+JPEG/Adobe CameraRaw/Adobe Photoshop CC