2016年5月25日水曜日

【JR青梅線撮影記事】隧道と落石避けに胸アツ


■青梅線に乗ると思い出す
思えば、最後にJR青梅線でカメラを構えたのは……25年も前になるのだろうか。いや、それ以降にもレジャーで乗ったことは数回ある。けれど、正直にいえば、そのころは鉄道趣味への関心を失っていたので、201系電車やE233系電車をまじめに撮ろうという気にならなかった。

ところが、先日ひさしぶりに奥多摩まで乗ってみて……いやあ。架線柱が多くて、写真にしてしまうと西武秩父線ともそうそう変わっては見えないけれど……石灰石輸送のために昔の人は氷川(当時)まで隧道を掘って線路を繋いだわけだよなあ、と思うとなんだか胸が熱くなった。ま、E233系電車自体をまじめに撮る気にはならないけどな。あんなものは、走ルンですです。偉い人にはわからんのです。それでも、列車が走る風景には興味がある。

■列車の姿がわからないように撮ればいいのでは
路線や列車の走る風景、あるいは乗ることは好きでも、好きな電車がいないというならば、電車の姿を撮らないようにしてその路線を撮る方法を編み出していくほかないのかなあ、などと考えるわけだ。乗って移動しているぶんにはいいけどさ。

エッフェル塔を見るのが嫌だからと、エッフェル塔でいつも食事をしたというモーパッサンみたいだ。この話は諸説あって後世の創作の可能性もあるそうだけどね。






■私はむかしから口うるさいヒヒジジイみたいだ
白丸駅に最後に降り立ったのは、1990年の夏のはず。103系電車の冷房改造体質改善車が走っていたし、EF641000番台車が牽引する鉱石貨物列車がいたころだ。そのまえの、ED16と101系・103系電車がいたころは、子どもごころに覚えているだけだ。

1990年の夏だって、「72系電車やクモハ40、ED16やEF15のころに来たかった」「来るのが遅かった」と思っていたのだから、まあ、アレだ。私はいつだって新しい電車がキライなヒヒジジイなのだ。坊やだからさ。

そんなことをいいながらも90年ごろには数回青梅線にカメラを向けているから、青梅線自体はいつだって大好きだ。ただし、むかしは撮りたい写真の絵柄の引き出しが少なくて、身につけている技術も拙かった。だから、自分の写真がおもしろくなかった。

■いまならもっと絵にできるかな
いまはそのころよりも腕前が向上したというよりも、経験を積んで少しは撮りたい絵柄の種類が増えた。機材もより自分の撮りたい写真に向くものを揃えることができた。だから、もしかしたら、いまあらためて青梅線を撮ればむかし撮れなかったような写真にできるかも。そうだといいけど。