2018年5月10日木曜日

【2011年9月】武州荒木にて、チョコバナナ1007編成を見る


■季節の美しい移ろいを見ながら
 少し前までだいぶ淡かった木々の緑も日毎に濃くなっていく。空が青いとその緑がよく映える。そして、日の入りもどんどん遅くなりつつある。窓の外を見るたびに、こうした美しい季節の移ろいをもっと味わいたくて、しばし落ち込む。Topical steroid withdrawal syndrome(以下、TSWSと略)(アメリカ人が最近いうところのRed Skin Syndrome)を耐えるために自宅にいるからさ。もう少し症状が落ち着けば、見た目が悪くても外出するのだけどなあ。どうも安定しないと、いろいろ落ち着いてものを考えにくい。

 そこで、あいまに過去フォルダをさぐって、以前のTSWSのときに「リハビリ鉄」をしていたころの写真などを眺めている。そういう理由から、旧ブログから移行していない2011年9月の記事をふたたび加筆訂正してお目にかけたい。秩父鉄道1000系電車(それもチョコバナナ塗装)をふと見たくなったことと、この日は空が真っ青だったことをよく覚えているからだ。




■ゼリーフライを求めて
 私は2011年7月から9月にかけて、そのTSWSを乗り切るために高崎線沿線に当時あった「ダーチャ」(ロシア語:「別荘」。ただし、文中の意味は「バリニッツァ」「ゴシピタリ」)で生活をしていた。その頃は、「ダーチャ」にいてもぜったいに毎日体を必ず動かすように言われていた。代謝をよくすることと、Stratum Corneumをできるだけ乾燥させるほうが、このTSWSがはやく改善するからだ。運動をしろとはいまも言われているのだけど、このときのように秩父鉄道沿線に出かけられるようになるのは、いまよりも改善していたはずだ。とにかく、目的がなく運動やウォーキングができない、心が弱いくせに口だけは立つ私はそのリハビリを口実にして、高崎線の電車に数駅乗って熊谷近辺まで出て、秩父鉄道の列車を眺めていた。もちろん、ダーチャ生活者なので外出の許可を得てだ。

 このときはドクトルに行田に行くと話したら、笑われたのだった。出かけるのはいいけれど、行田なんて、なんにもないじゃない! とかなんとか。それに対し、たまたまそばにいた行田から通っているメドシストラー(ロシア語:メヂチンスカヤ・シストラーの略。「ナース」のこと)と私は顔を見合わせてこう答えたものだ。さきたま古墳群と古代蓮、忍城とふらい、そしてゼリーフライがあるでしょう! と。もちろん、私が行田市内に行きたい目的はどちらかというと電車なのだけど……すでに鉄道が好きだとカミングアウトしていたとはいえ、大人が「せんせー、でんしゃをみたいからおでかけしていーい?」と毎回いうのはちょっとはばかられる気がして。いや、結局ちゃんと「秩父鉄道の電車を見たいから」と話したけど。

■雲ひとつない青空にうっとり
 高崎線で熊谷に着くと私はいつもドキドキする。秩父鉄道のプラットホームを目にして、今日はどの電車がいるのだろう! と思うからだ。このときは運よく1000系電車1007編成「チョコバナナ」(秩鉄リバイバルカラー)電車がやってきて、小躍りした。2011年9月には、全12編成導入された1000系電車のうち、1004(秩鉄カラー)、1006(秩鉄カラーでもと90系、かつ101系1000番台車)、1008(秩鉄カラー)、1009(うぐいす)、1011(オレンジバーミリオン)、1012(カナリアイエロー)の6編成(つまり半分)がすでに退役していたからだ。それでも、すこし待てば1000系電車には出会えたとはいえ、待たないと遭遇しにくかった。

 そうして、昼下がりの空いている車内に乗り込み、あたりをきょろきょろしながら列車に揺られた。線路の周囲が開けている武州荒木で降りて、ほんのわずかに農道を歩いた。サギがどきどき舞っていた。田んぼに水が張られていてとても高湿度ではあったけれど、青い空と遠くの道を走る自動車を見ていて、なんだか和まされた。


■チョコバナナを撮る
 熊谷から自分が乗ってきた列車が1007編成だったということは、そう待たないで羽生から折り返してやってくる三峰口行きの列車にも、もちろん1007編成が充てられるということ。真っ青な空に黄色がよく映えそうだ、そう思ってしばらく待っていた。すると、列車の通過直前に数羽のサギがファインダーのなかを横切って、ドキドキした。




■このあとゼリーフライを買いに行った
 熊谷で観察した結果、好きなほかの1000系電車はそうそう北武区間にやってこないと判断した私は、行田市まで戻った。ほんとうにゼリーフライを試すためだ。それにしても行田市駅周辺はもともとの中心街とはいえ、平日の16時台はものうげだった。駅前からまっすぐ歩いて武蔵野銀行の古い建物を見ても忍城址方面に曲がらずに、さらにアーケード街を進んだ。ここも立派に昭和な町並みだと感心していたら、ようやくゼリーフライの幟を見つけた。教えてもらった店がこのあたりにあるはず。

 その幟に従い、アーケード街から右折してすぐの喫茶店珈琲苑『憩』さんで、念願のゼリーフライを買った。お店で食べてもいいけどテイクアウトを頼んだら、冷凍庫からゼリーフライを出して揚げてくれた。たしか、そのときに由紀さおりがラジオでなにやら喋っていたのを思い出す。揚げたてのゼリーフライは行田市駅のベンチでおいしくいただいた。1000系電車も写したし、ゼリーフライも食べることができ、行田の渋い町並みも見たから、いろいろと満足してダーチャに戻った。ほらね、ドクトル。行田はなんにもないわけではないのですよ。

【撮影データ】
Nikon D2X/Ai NIkkor 50mm f/1.8S, AI Nikkor 28mm f/2.8S/RAW
(トップのカットのみCanon IXY DIGITAL 2000 ISのVGA動画よりキャプチャ)