2019年9月30日月曜日

【関西リハビリ鉄2019夏】JR和歌山線・桜井線105系撮影記 畝傍にて、さよなら105系

橿原・今井町の蘇武橋より

■大和八木のミスドに逃げた
條市上野(こうづけ)のひまわり園と玉手(たまで)駅付近で和歌山線の105系をねらった日の続きだ。17時近くなってだいぶ日が傾いてきていたとはいえ、8月上旬では暑さはまだ弱まらない。そこで、近鉄吉野線と近鉄橿原線を乗り継いで大和八木で降りて、冷房が効いているにちがいないミスタードーナツ(以下、ミスド)に逃げることにした。そのころ、どういうわけかミスドによく通っていたのだ。

今日の私の電車運はものすごく強いなあと思わされたのは、そうして大和八木のミスドに向かう途中でのできごとによる。というのも、近鉄橿原線車内から八木西口の手前の桜井線(万葉まほろば線)の立体交差で、近鉄の上を走る桜井線の105系電車を目にしたから。昨年夏も今年もかなりの回数をここを通過しているのに、近鉄の列車から桜井線を目にしたことがなかった。桜井線の列車からも近鉄の列車を見たことはない気がするなあ。

時刻表を見るとこの列車は畝傍で交換するはずなので、数分後にもう一本やってくるはず。そう思って八木西口でいちど下車してホームから見ていた。やはりそうそううまく双方の列車は重ならない。それでも、さっきは目にしただけでもよしとする。

さきに近鉄橿原線の列車が来て

桜井線の227系が通過

「大和八木って、東急の自由が丘みたい」などと昨年ブログに書いた。有料特急列車がやってくるし、列車の種類の多さでは大和八木のほうがおもしろいな、私には。自由が丘よりも馴染みがないからひいきにしてしまうかも。それにしても、シリーズ21は目にすると「なんか阪神電車っぽい」と思う。そうそう、上信電鉄デハ252+クハ1301もいまや阪神ジェットカーみたいだよね。とはいえ、じつは私まだその阪神電車に乗ったことがないのだけど。あはは。阪急にも乗ったことがないかもしれない。

車体下半分が白いのと顔つきが阪神電車っぽくない?

特急がたくさん停まっているなあ

■畝傍が好きなのは、飛鳥川橋梁があるからなのかも
その大和八木のミスドでこんな会話を聞いた。聞いたのではなく、聞こえた。なぜなら、高校生くらいの女の子たちが大声で話していたから。いわく「うち『天空の城ラピュタ』よう言われへんねん」って。「天空の城」は言えるけれど「ラピュタ」の部分が発音しにくいと。そのころ「大阪・松原市のカメラのおっちゃん」ではあっても、西日本方言で話すことができないあずまびとの私は、それを聞いて飛び上がりそうになった。もっとも飛行石がないから、じっさいには飛び上がらなかったけど。「うち、よう言われへんねん」という活用のほうが私には瞬時にできないぞ。女の子さんや、ワシには、強すぎる。

じつにどうでもいいよな、それ。すみません。そんなふうに時間をつぶしてから、畝傍で17時50分頃に上下が交換するので、それをねらいに八木西口そばの飛鳥川橋梁へ行った。いつもは今井町との境である蘇武橋の上から撮る。冒頭の写真がそれだ。けれど、今日は順光側からもねらってみることにした。

まず、王寺発奈良行き566S(王寺17:26〜奈良18:33)が227系でやって来た。夕方だとステンレスカーはかっこいい。そして、交換相手の奈良発王寺行き563S(奈良17:08〜王寺18:18)は105系!



このあと、逆光側の蘇武橋上から冒頭の写真を撮った。奈良発王寺行き565S(奈良17:37〜王寺18:40)は105系で、ここに載せていない王寺発奈良行き568S(王寺18:04〜奈良19:15)は227系だった。

経験上、次の奈良発王寺行き567S(奈良18:12〜王寺19:22)も105系のはず。過去数回そうだったから。そういう理由で駅近くのガードに行って待った。畝傍の駅周辺は映画のロケセットのようだ。こぢんまりとしていろいろな添景となるものが用意されているように思える。だからつい畝傍に来てしまうんだ、私は。飛鳥川橋梁もあるし。



これでもう引き上げようと思っていた。けれど、空の残照を見ているとまだ完全に暗くならない。だからもういちど飛鳥川橋梁に来た。そうしてやって来たのが王寺発奈良行き和歌山線内2459M(王寺18:27〜高田18:44→桜井線内570T 高田19:03〜奈良19:47)。これも105系だった。


私はこのあとも8月中旬までさらに数回、桜井線と和歌山線に通った。そして、首都圏に帰ってからはもう訪ねていない。105系にまつわる見られていないシーンはもちろんやまほどある。それでも、これだけ見ることができただけでも私は満足したから、もう悔いはない。だって、105系電車にはずいぶん楽しませてもらったもの。さよなら、105系。ボロいし冷房が効かないし、揺れるしうるさい電車だとか言いながら撮らせてもらったおかげで、入院生活もつらくなかったよ。

おもえば、1984年に国鉄常磐線(当時)に203系電車を新製配置して、その玉突きで常磐緩行線(地下鉄千代田線直通)用の103系1000番台車を1M方式に改造して奈良線・桜井線・和歌山線用に転属させるという記事をリアルタイムで鉄道雑誌で見ていて、その大規模な転属計画に驚いていたものだ。国鉄が車両の新造費用に困って行ったことではある。だが、国鉄だからこそできた転属でもある。

そのときにはあの古びた印象の103系1000番代という電車、それも都会の通勤通学輸送に用いていた4扉ロングシートの電車を改造して転属させて、はたして地域の実情に合うのかなあと思っていた。同時期に電化された越後線・弥彦線にも同じように余剰の電車をかき集めて、先頭車化改造を施して転属させていたのに、そちらは3扉セミクロスシートの115系電車だったから。

実際に私が足繁く通って乗ったのはそれから35年経ってからだから、転属当時のようすは自分の目では見ていない。修学旅行のときに当時の奈良線を走っていた姿を見ただけだ。ところが、昨年夏と今年の夏に見ていると、桜井線とすくなくとも和歌山線王寺口の輸送の実態と、105系がじつにマッチしているのだとうならされた。大和地方の主要な町を結び、近鉄各線のフィーダーとして走るために日中でも座席はほぼ埋まる。乗客は数駅乗って近鉄乗換駅で入れ替わるのが大半で、全線を通じて乗る乗客は旅行者やヲタくらいだから、むしろ確実に着席できるロングシートのほうがよいだろう。転属計画を立てた当時の国鉄の中のひとたちはさすがによくわかっていたのかもしれないなあ、と感心したものだ。もっとも、大和地方で35年も走らせ続けるつもりもなかったろうけどね。

そういえば、東日本大震災の年にステロイド離脱をするために埼玉県内で入院したときには、「リハビリ鉄」と称して秩父鉄道1000系を撮りに通っていたのだった。私はほんとうに国鉄101系と103系が好きなんだ。

■すべては時の流れに消えていく
さて、以前も書いたことがあるけれど、『ブレードランナー』の有名な「雨のなかのモノローグ」をこのところいつも思い出してしまう。主人公のデッカードを追いつめながらも自らの寿命を知ったレプリカントのロイ・バッティがいう「俺はお前たち人間が信じられないようなものを見てきた。オリオン座の肩の部分で燃える戦艦。タンホイザー・ゲートのそばを瞬くCビーム。そうした瞬間すべてが時の流れに消えていく。まるで、雨のなかの涙のように。死ぬ時が来た*」というセリフだ。もちろん私はまだ死なないけれど、とくにこの「そうした瞬間すべてが時の流れに消えていく。まるで、雨のなかの涙のように」という一句が脳裏から離れないでいる。栄枯盛衰とか盛者必衰という言い方もできるね。

「どんなものでもいつかは消えてしまう。だから写真を撮るのはむなしい」という後ろ向きな気持ちではないつもり。もちろん、どんなものもいつかは消えてしまう。だからこそ、この目で見ておきたいし写真にも残したい。そして、その記録に残す過程も楽しんでおきたいと思う。

思えば、昨年と今年の夏のそれぞれ2ヶ月ほどのあいだに、大和盆地を撮り歩くことができたのは、長期療養の副産物だったし、予期せぬ機会を得ることができた。やはり電車運は少なくともいいなあ、私。

*原文:I’ve seen things you people wouldn’t believe. Attack ships on fire off the shoulder of Orion. I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhäuser Gate. All those moments will be lost in time, like tears in rain. Time to die.

【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH. /LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH.  POWER O.I.S./LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019