2005年11月15日火曜日

【JR八高線PETIT撮影記事】八高線でプチ旅


■八高線が好きなわけ
西武鉄道沿線在住の少年だった私には、むかしから八高線は好ましい存在だった。八高線は西武池袋線の元加治を越えたあたりで西武池袋線の線路を越えて走り、東飯能で接続する。

1996(平成8)年までは非電化で、キハ30・35系気動車やDD51型ディーゼル機関車の牽引する貨物列車が走っていた。東京首都圏でかなり最後まで非電化のまま残されていたために、その雰囲気がものめずらしかったのだろう。西武池袋線の列車のなかから立体交差の地点で運よく八高線の列車を見られたことは数えるほどしかない。そんなところも謎めいて見えた。東飯能に行けば八高線の列車を目にすることはできたのにね。

そういうわけで、中学生のころに遠くに行きたいときには、拝島や東飯能から毛呂や小川町、寄居まで乗り、高麗川付近で列車にカメラを向けたものだ。


その後、私が鉄道を撮ることを止めてしまったあいだに八高線は電化された。大学生だったはずだ。電化後には仙石線用に改造された72系アコモ改善車を車体のほぼ同じ103系同等の足回りに再改造し、新性能化した103系電車3000番代車が走っていることも知っていた。なんどか拝島で目にしている。それなのに、205系および209系3000番代・3100番代車に置き換えられるまで足が遠のいてしまっていた。


■近くに転居したのだから行ってみた
入間市内に転居した秋のことだ。休みをとった日に電化後のようすを見に、入間市内の駅である金子まで行ってみた。どういうわけか、かなり思い切らないと八高線沿線に足が向かなかった。沿線に行ったのは20年くらいぶりだったろうか。

少し前の10月に103系3000番代車が引退すると友人からメールで教えられたものの、家の事情もあって出向かずにいた。それでも八高線のことが気になっていて、11月の平日休みに出かけたのだと思う。もしかしたら、金子に向かうのははじめてかもしれない。

景色が変わっているかもしれないことを目にしたくなかったのか。それとも、天気の悪い暗い曇りの日だったからか、昔の思い出を壊しそうな気がして怯んだのか。同じ市内とはいえ10キロほどの距離を自転車で走った。坂道が多くてそれなりにくたびれた。金子付近は八高線でもっとも標高が高い。だから道中はずっと上り坂だった。お茶の栽培に盆地が向いているというものね。


そうして、金子から電化後にはじめて「金子坂」とかつて鉄道ファンによばれていた加治丘陵の勾配を駆け下りて入間川橋梁を渡っていく電車に乗って、たいへん驚かされた。それは、209系がじつに軽々と走行していくからだ。「走ルンです」などとばかにしていた電車がちょっとだけ頼もしく見えた。

■交換待ちを撮った
ひさしぶりに乗った八高線沿線にはずいぶん家が増えていた。電化されて写真を撮るにはいろいろめだつものも増えた。そこで、東飯能で上り列車を撮るには露出アンダーにして周囲の家並みをめだたなくした。

東飯能の駅舎もずいぶんきれいになって、なによりも駅前に丸広百貨店東飯能店が入居するビルが建ってずいぶん様子が変わっていた。(2021年6月追記:丸広百貨店東飯能店はそののち撤退し、しばらくビルは空きテナントのままの状態でいた。そんな紆余曲折を経て現在は丸広百貨店飯能店が移転して入居している)それでも単線区間を205系や209系が走るところは、21世紀の郊外路線のいち典型ということなのかもしれないな。


東飯能まで乗っただけですっかりあたりが暗くなった。金子に自転車を停めていたので、またもや金子まで戻ってきた。ちょうど高校生の下校時間だったようで車内も駅も高校生諸君がたくさんいた。別れを名残惜しそうにしている高校生カップルを見かけて、そういう写真をむかし撮ったことがあるような……あのリバーサルフィルムはどこに行っただろうか、と考えた。

【使用機材】 
Nikon D70/AI AF Nikkor 35mm f/2D, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>/RAW/Adobe Photoshop CC