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「時の鐘と蔵の町」の副駅名のない川越市内の駅にて地下鉄コンビ |
東武9000系は私の子どものころの大好きな電車のひとつだった。東武電車は無骨な8000系「東武顔」や木の床で幌枠の正面についた厳つい顔つきの7300・7800系がセイジクリームをまとい無愛想*に走る、あまりスマートではない電車というのが私の印象。というのも特急DRCや5700系急行が走る本線系統ではなく、東上線のほうに親しみがあったから。
そんな折に地下鉄直通用に登場した9000系は私の度肝を抜いた。正面非対称で無愛想と言えば無愛想。でも、その頃は営団地下鉄の電車のように正面非対称のデザインは前衛的でカッコよかった。それが、地下鉄ではなくあの(ぶっちゃけ)ダサい東武にデビューしたのだ。だからたまに利用する池袋で見かけたときに、なんてカッコいいのさ! と思ったものだ。
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ステンレス車は半逆光で撮るに限るね! |
そもそも、西武の3ドア菱形パンタグラフ、FS072・372台車もしくはDT21系列のFS042・342台車の電車に見慣れていると、東武の電車は下枠交差形パンタグラフ(当時、ブルトレ牽引機がEF65PFで下枠交差パンタグラフはカッコいい存在だった気がする)だし、どっしりとしたドイツミンデン式台車は、なんだかこう重量感があった。正面はカッコわるい。でも、サイドビューはカッコいいと8000系でさえ思っていたのだ。あと、当時の社紋と「東 武 鉄 道」と描かれた形式表記もシブくてよかった。
そして、有楽町線和光市開業による相互乗り入れ開始によって登場した9002編成以下の増備車も、新造時のピカピカなようすはまばゆかった。明るいクリームの化粧板に若草色のシートが地下鉄で乗り合わせるとカッコいいなあ、と思わせた。当時の営団車は少しずつ増備が続いていた7000系で、冷房車はきれいだったのに初期の小窓の編成は古びて薄暗かった(VVVF化や大窓更新された初期車の活躍をいま見ると、逆に感動的でさえあるが)。
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森林公園で9001編成に遭遇! |
その9000系のことは、
地下鉄有楽町線の和光市開業のときに増備車を撮ったことがある。ところが最近は更新されたようすや副都心線や東横線のでの活躍をまだ撮っていなかった。と思っていた先日、「時の鐘と蔵の町」と副駅名はないけどその乗換駅で下り東上線を行き交う電車を撮りながら待っていたら、やって来たのが9002編成。久しぶり! と思ってホクホクと乗り込み、森林公園で降り立った。すると目の前に9001編成がいた。
9001編成こそは、「おおー! 東武9000系カッコいい!」と少年の私に思わせた電車だ。1981年と地下鉄乗り入れ開始のだいぶ前に試作車として作られ、ずっと地上を走っていたのだ。都内の公立学校が休みになる1986年10月1日の都民の日に、西武沿線在住だったのにわざわざ池袋〜東上線〜寄居〜秩父鉄道急行利用〜三峰口と、
秩父鉄道300系急行「秩父路」を乗って撮るために三峰口へ出かけたときに、池袋〜小川町で乗ったことを覚えている。
9002編成以降の量産車とは仕様が異なるので、量産化改造後は有楽町線には乗り入れたものの、ホームドアのある副都心線とホームドア設置後の有楽町線には乗り入れず、再び地上専用となったそうだ。運用はともかくとして、下枠交差パンタグラフと方向幕、正面のスカート非装備のままなのを見てちょっとうれしくなってしまった。これであとは旧東武社紋と「東 武 鉄 道」表記のある「クハ9001」「モハ9001」というかつての形式表記だったらなおうれしいかも。まあ、そこまでは望むまい。
相変わらず少年時代の電車ばかりが好きなんて保守的もいいところだ。でもいいのさ、カワイイも正義! カッコいいも正義!
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9001編成ってまだ方向幕なんだね。準備工事時代を覚えているよ |
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下枠交差パンタに方向幕でスカートなしのままとは! |
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実はこのとき、9002編成に乗って来たのです |
それにしても、東上線の8000系非ワンマン車も本当に少なくなった。この日も2本とすれ違っただけ。3編成しかないのでしたっけ。
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8000系とは2編成に遭遇したのみ |
*無愛想:子どものころ、各駅停車の池袋付近で車内放送をしない列車に乗ったことがあって心底驚いた。大山に行くのに池袋から乗ったら、放送もなくドアがバターン! と開いてバターン! と閉じるのだもの(苦笑)。