赤の広場に現れるレーニンおじさん。いまやプーチンおじさんもいる |
■オスタルギーという名の妖怪が彷徨っている
おっとっとさんのいうところの「共産趣味」か、あるいはドイツでいうところの「オスタルギー」か。これは「オスト(東)」と「ノスタルギー(ノスタルジー、郷愁)からの造語ね。どういう言い方でもいいけれど、さいわいにして実現しなかった共産主義社会。正確には、理想の共産主義社会をめざしていた、社会主義時代の旧東側諸国のあれこれを懐かしむような気持ち。ここ数日の私はどういうわけか、そういう気分が強まったのかな。
おっとっとさんのいうところの「共産趣味」か、あるいはドイツでいうところの「オスタルギー」か。これは「オスト(東)」と「ノスタルギー(ノスタルジー、郷愁)からの造語ね。どういう言い方でもいいけれど、さいわいにして実現しなかった共産主義社会。正確には、理想の共産主義社会をめざしていた、社会主義時代の旧東側諸国のあれこれを懐かしむような気持ち。ここ数日の私はどういうわけか、そういう気分が強まったのかな。
戦勝50週年(1995年5月9日)の復刻パレード「めざせベルリン!」 |
■たんなる懐古趣味だろうなあ
そりゃまあ、ベルリンの壁が破られたのは1989年11月で、ドイツ統一は1990年10月。そして、ソ連崩壊は1991年12月だ。それから25年以上もたつのだもの。お断りしておきたいが、そのころももちろんいまも彼の地のマルクス・レーニン主義とかいう「ロシア帝国主義 ver 2.0」なイデオロギーに私は憧れていたわけではまったくない。「考えたセンセイがたは社会変革へのロマン主義的な理想に満ちていたのはわかるけれど、その結果としてできあがったグロテスクで人間疎外に満ちた、体制批判をゆるさない硬直化した社会体制が完全には実現しなくて本当によかった」と当時も思ったものだし、いまでもなお強く思う。あ、レーニン先生たちはオポチュニストだっただけなのではないかとも思っているしね。ロシア革命を実現するためにマルクス主義の看板を借りたひとたち、といえばいいのかな。革命は簒奪されたというやつだ。
いまのなにやら過去を懐かしむ気持ちは、たんに、そのころの自分を思い出しているだけにちがいない。
「我々は共産主義を建設している」とジレット広告ラッピングの連節バス「イカルス」 |
■『グッバイ、レーニン!』を見て……チュルパン・ハマートヴァがかわいい
今日はたまたま2003年のドイツ映画『グッバイ、レーニン!』を見て、当時のファッションや劇中に出てくる記録映像になつかしさを覚えていた。1989年から1990年のファッション自体もなつかしい。
主人公が好青年でいい感じだし、ヒロインを演じるロシア女優のチュルパン・ハマートヴァがかわいいのがいいよね。かわいい顔だちと目つきで知的でコケティッシュな役柄を演じていて、チュルパン最高かよ。名前が「チューリップ」という意味なのもかわいい。
■「社会主義」とは何だったのか
そのあとで、たまたまWeb上で旧社会主義時代の建造物の廃墟を集めた写真家の仕事を見てしまい、しびれてしまった。見ていると考え込むわけ。「社会主義」とはなんだったのか。マルクス主義とレーニン主義には連続性はあるのか。ロシア革命やソビエト体制とはどういうものだったのか。このあたりは始めるとそれだけで書籍数冊分の考察になるので、このブログで書くことはしない。私の手に余るし。佐藤優さんの本を読んでふむふむと思うくらいにしておく。
ただその体制下には、自分たちの体制を素朴に信じて、よりよい明日を夢見ていたひとたちがいて、ユートピア(どこにもない場所)を作ろうとしていた。それはばかにすべきではない。生まれてくる場所は選べないから。その見果てぬ夢の成果みたいなものが朽ちている様子を見ると、なんともいえない気分になる。それに費やされた途方も無い資源と労働力も想像できるし、あちこちに描かれている「ポベーダ(勝利)」「スラーヴァ(栄光)」という誇らしげな文字が痛々しい。
冷戦が終わったポスト冷戦時代のあのころは、世界はもっと平和になるかと思っていたのに。そうもなっていないのは残念だ。いまはすっかり「ポスト・ポスト冷戦時代」になってしまった。
【撮影データ】Nikon New FM2, Arsenal Zavod "KIEV-19", FED-3/Ai Nikkor 35mm F2S, MC MIR-24N 35mmF2, JUPITER-12 35mmF2.8/Kodak "ACADEMY200"/ILFORD ID-11/May 1995, Moscow, Russia(いずれも筆者撮影のもので、再掲載)