2019年6月1日土曜日
【秩父鉄道PETIT撮影記事】5000系電車のよさに改めて開眼する
■秩鉄5000系電車、めっちゃいけてるがな!
秩父鉄道5000系電車をひさしぶりに目にし、そして乗り込んで揺られてみてうれしくなった。先日、撮影というよりも軽い散歩をするつもりで秩父まで行き、御花畑で列車を待っていると、やってきたのはたまたま5001編成だったのだ。
ああ、そうだった。おまえがいたんだった! やべえ、かっこいい!
しゅっとしはってる!
私は「大阪のカメラのおっちゃん」ではなく「埼玉のカメラおじさん」なのに、あいかわらず変な言い方をしているのは承知のうえだぜ。
■必ず見かけるのに、うっかり忘れる存在
この秩父鉄道5000系電車は1968年から製造された都営地下鉄三田線用6000系電車がその由来だ。同時代に製造されていた帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京地下鉄)東西線用の5000系電車ともスペック上よく似ている。そのうち、秩父鉄道に1999年に譲渡されて、2000系電車(もと東急7000系電車)を置き換えたのは1972年に製造された二次車だ。都営時代に冷房改造がなされている。都営時代は全電動方式だったために、下り方先頭車が電装解除されて3連に編成短縮化がなされ、どうじに中間車にパンタグラフが増設され、客用扉の半自動化対応、保安装置の変更のほかは都営地下鉄三田線の頃の姿からはあまり変わらず、4編成が秩父の地を走っていた。2011年秋に第4編成が踏切事故で失われて、いまは全3編成が健在だ。日夜活躍しており、全長70キロほどある秩父鉄道沿線に出かけて、走っていない日はほとんど体験したことはない気さえする。それなのに、全12編成あった1000系電車やそれを置き換えて全13編成ある7000/7500/7800系列電車に比べると、全3編成というのは「微妙な数」らしく、ねらおうと思うとなかなか出会えず、ねらわないでいるとよく見かけるというべきか。
内装も外観もきれいに整備されていて、軽量ステンレス構造の車体が開発されるまえの外板のみのステレンス車(スキンステンレス車)でもあるために、昭和40年代から50年代の都営地下鉄の電車らしい角ばったデザイン、シンプルな青い帯(そういえば、たまたま2000系電車も正面に青帯が入れられていた)、黄緑色のシートモケット、わりと重厚な走りを見せるところ、電動車の床下にずらっと並ぶ抵抗器や、どっしりとしたシュリーレン式KD70台車も魅力的だ。
ところが、不肖私めはその存在をうっかり忘れてしまうことが多いのだ。ごめんな、5000系電車。好きな電車であるのだけど、どうもなあ。プレイボーイじゃないんだよ、私はきっと。ぶっ、不器用ですからっ(ため息)。
■上長瀞で上下交換
この日は5001編成の上り列車に乗って上長瀞で下車した。すると、交換した下り影森行きが5003編成だった。「見かけるときは立て続けに見る気がする」という「秩鉄5000系電車の法則」というものが私にはあるのだけれど、今日もやっぱり立て続けに見た! などと考えて笑いがこみ上げた。そうなのだ、むかしからこの電車に遭遇するときは、どうも連続してやって来るような気がするのだ。
■秩父路で5000系を楽しむのはいまが旬かも
さて、秩父鉄道の車両の増備や交換は2013年度に1000系電車の置き換えが終了してから一段落しているようだ。それ以降の計画についてはもちろん私も知らない。ただ、いまや秩父鉄道の主力電車である7000系列電車の譲渡元である東急電鉄側での8000系列電車の代替がふたたび始まったようだ。6月1日付けの東洋経済オンラインの記事「ステンレス電車の一時代を築いた東急の「名車」 田園都市線から「8590系」がひっそり引退」で筆者は東急8590系電車が2月末で引退したことを(ようやく)知った情弱ぶりなのだけれど、その記事の巻末には気になるひとことがあった。
東急によると、今回引退した8590系も先頭車両は富山地方鉄道に渡り、今後も走り続ける予定という。
ええと、富山地鉄がそういう発表をしているのではなくて、東急が他社のことをいうのはいいのかな……とは、ちらと思いもしたのだが。それはともかく……中間車はどうなるのかな。あるいは、8500系電車も置き換わるわけだから。秩父鉄道が今後のメンテナンスの統一化を考えて通勤電車はみな7000系列に置き換えてしまうこともおかしくはない(列車の運転本数を減らして、もし代替車両なしで廃車となるとおもしろくはない)。そう思えばこそ、秩父路で5000系電車の活躍を楽しむのはいまのうちかもしれない。根拠のない妄想かもしれないけれど、ね。
【撮影データ】
■Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LUMIX G 42.5mm / F1.7 ASPH. / POWER O.I.S.