■「まだ撮られていない写真はどれだけあるの」
とつぜん思い出して、このところヴィクトル・ツォイ*の『かっこう(Кукушка)』という曲を繰り返し聴いている。長くなるとアレなのでその説明は巻末に飛ばす。その曲の「まだ書かれていない歌はどれだけあるの、かっこう。ねえ、歌って教えてよ(Песен еще ненаписанных, сколько? Скажи, кукушка, пропой.)」という歌い出しから連想するのですね。
「まだ撮られていない写真はどれだけあるの」
まだまだたくさんあるさ、世界が続く限り。という楽観的な思いと、そんなものはもうないんだ、みたいな悲観的な気持ちに揺れ動きながら暮らしているのかな、私。
読者のみなさんを置いてきぼりにしてしまうのもよろしくないので、2019年夏の関西リハビリ鉄の話をする。2019年6月半ばから、7月半ばにかけて近鉄南大阪線系統を走る汎用特急車唯一の旧塗装車である、16000系電車16007編成(Y07)は休車ぎみだったようだ。車庫で寝ているばかりで姿を見ない日が多かった。
■まずはウサたん
ひと月ぐらい経った頃、ツイッターに目撃情報が上がった。そこで、以前も行った藤井寺〜土師ノ里で待ち構えてみた。自分の乗っていた列車がたしかに、途中で上り大阪阿部野橋行き特急にあてられたY07と離合したので、やつは確実にいることを自分の目で裏とりした。ほーほっほほ。あとは、どこで迎え撃つか。
そこで、土師ノ里駅手前のカーブのある踏切に立ってみると……暗い曇り空の日なんだよなあ。うーん、と考えていたら背後からオレンジ色の復刻ラビットカー6020系6051編成C51(長いから、以下「ウサたん」と勝手に略)が姿を現した。しもた! ウサたんや! ガチャガチャ言わずにシャッター切るんや! とあわてながら撮る。
■昨年撮りたかった絵柄をゲット
そこで、白い空ばかりを列車の背景にしてしまうカーブでの撮影はあきらめて、澤田八幡神社の境内へ行った。神社の境内を線路が横切る場所だ。去年、ここでY07を待っていたら車両交換がなされて撮れなかったことを、私はいまだに悔しく思っていたのだ。カメラのおっちゃんはほんまにひつこいんやで!
空を画面に確実に入れないべつのアングルも試したけれど、このときは踏切遮断機の塗装工事中で、色が塗られていない警報機があまりその、あれなんで。広角レンズでこんな感じに。いよおおおおし! Y07を1年越しでゲットしたったあ!
■午後は移動途中にちょっとだけ
曇りの日なのは残念ではあってもまあいい。そこでいちど滞在先に戻って昼食をとったあとに、午後からはいつものように大和地方方面へ出かけることにして、特急のスジをよく眺めて、藤井寺の駅ホームで待ってY07を撮った。曇り空を画面に入れていない、という程度の写真だけどさ。まあいいのよ。
さて、そのあとで大和地方をめざして下り列車に乗っていると、上ノ太子でC51ウサたんと離合した。上ノ太子と二上山のあいだの勾配も魅力的で、そのうち撮ってみたい。「いまだに吉野にたどり着かない問題」とあわせて、それはあらためての課題だなあ。
自分にとっては「まだ撮られていない写真」がたくさんあるということだね。
【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH. /LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH. POWER O.I.S./LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019
【以下は付録みたいなもの】
ヴィクトル・ツォイ:ツォイはソ連ペレストロイカ時代に活躍した伝説的なロッカーで、1980年代の「キノー」というグループでメインボーカルをつとめた。これからソ連国外でも活躍を始めるというときに交通事故で1990年夏に28歳の若さで亡くなった。独特のがらがら声が「モノクロームのような声だ」と評される。歌詞は個人的な生きづらさを歌ったもので、それが当時のソ連の青少年の鬱屈した気分にマッチしたらしい。モスクワのアルバート通りにはツォイを追悼する「ツォイの壁」というものもあり献花が絶えない。私より年下の年齢だと、ツォイはナイーヴで歌詞が美しすぎるのだそうだ。
私がいま聞いているのは、オリジナルではなくて2015年の映画『ロシアン・スナイパー(原題 "Битва за Севастополь" (セヴァストーポリをめぐる戦い)』で用いられた、ポリーナ・ガガーリナが歌うものをDJ Tarantinoがリミックスした曲だ。あ、『ロシアン・スナイパー』は主人公を演じるユーリヤ・ペレシリトが独ソ戦で実在したソビエトの凄腕女性スナイパーを美しく演じておりますよ。
『かっこう』の出だし部分こんな歌詞だ(それ以下は、興味のある方はググってくださいまし。訳を考えるのはちょっと私には大変だ)
いまだに書かれていない歌はどれだけあるの、かっこう
ねえ、かっこう、歌ってみてよ
町中か、それとも小さな村か
私はどこで暮せばいい
石のように横たわってか
星のように輝いてか、星のように
もっとも私は歌詞を真剣に聴いているわけではない。たんにアレンジされた曲のビートや声をかってに解釈しているだけだろう。
読者のみなさんを置いてきぼりにしてしまうのもよろしくないので、2019年夏の関西リハビリ鉄の話をする。2019年6月半ばから、7月半ばにかけて近鉄南大阪線系統を走る汎用特急車唯一の旧塗装車である、16000系電車16007編成(Y07)は休車ぎみだったようだ。車庫で寝ているばかりで姿を見ない日が多かった。
■まずはウサたん
ひと月ぐらい経った頃、ツイッターに目撃情報が上がった。そこで、以前も行った藤井寺〜土師ノ里で待ち構えてみた。自分の乗っていた列車がたしかに、途中で上り大阪阿部野橋行き特急にあてられたY07と離合したので、やつは確実にいることを自分の目で裏とりした。ほーほっほほ。あとは、どこで迎え撃つか。
そこで、土師ノ里駅手前のカーブのある踏切に立ってみると……暗い曇り空の日なんだよなあ。うーん、と考えていたら背後からオレンジ色の復刻ラビットカー6020系6051編成C51(長いから、以下「ウサたん」と勝手に略)が姿を現した。しもた! ウサたんや! ガチャガチャ言わずにシャッター切るんや! とあわてながら撮る。
■昨年撮りたかった絵柄をゲット
そこで、白い空ばかりを列車の背景にしてしまうカーブでの撮影はあきらめて、澤田八幡神社の境内へ行った。神社の境内を線路が横切る場所だ。去年、ここでY07を待っていたら車両交換がなされて撮れなかったことを、私はいまだに悔しく思っていたのだ。カメラのおっちゃんはほんまにひつこいんやで!
空を画面に確実に入れないべつのアングルも試したけれど、このときは踏切遮断機の塗装工事中で、色が塗られていない警報機があまりその、あれなんで。広角レンズでこんな感じに。いよおおおおし! Y07を1年越しでゲットしたったあ!
■午後は移動途中にちょっとだけ
曇りの日なのは残念ではあってもまあいい。そこでいちど滞在先に戻って昼食をとったあとに、午後からはいつものように大和地方方面へ出かけることにして、特急のスジをよく眺めて、藤井寺の駅ホームで待ってY07を撮った。曇り空を画面に入れていない、という程度の写真だけどさ。まあいいのよ。
さて、そのあとで大和地方をめざして下り列車に乗っていると、上ノ太子でC51ウサたんと離合した。上ノ太子と二上山のあいだの勾配も魅力的で、そのうち撮ってみたい。「いまだに吉野にたどり着かない問題」とあわせて、それはあらためての課題だなあ。
自分にとっては「まだ撮られていない写真」がたくさんあるということだね。
【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH. /LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH. POWER O.I.S./LUMIX G VARIO 45-150mm F4.0-5.6 ASPH. MEGA O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019
【以下は付録みたいなもの】
ヴィクトル・ツォイ:ツォイはソ連ペレストロイカ時代に活躍した伝説的なロッカーで、1980年代の「キノー」というグループでメインボーカルをつとめた。これからソ連国外でも活躍を始めるというときに交通事故で1990年夏に28歳の若さで亡くなった。独特のがらがら声が「モノクロームのような声だ」と評される。歌詞は個人的な生きづらさを歌ったもので、それが当時のソ連の青少年の鬱屈した気分にマッチしたらしい。モスクワのアルバート通りにはツォイを追悼する「ツォイの壁」というものもあり献花が絶えない。私より年下の年齢だと、ツォイはナイーヴで歌詞が美しすぎるのだそうだ。
私がいま聞いているのは、オリジナルではなくて2015年の映画『ロシアン・スナイパー(原題 "Битва за Севастополь" (セヴァストーポリをめぐる戦い)』で用いられた、ポリーナ・ガガーリナが歌うものをDJ Tarantinoがリミックスした曲だ。あ、『ロシアン・スナイパー』は主人公を演じるユーリヤ・ペレシリトが独ソ戦で実在したソビエトの凄腕女性スナイパーを美しく演じておりますよ。
『かっこう』の出だし部分こんな歌詞だ(それ以下は、興味のある方はググってくださいまし。訳を考えるのはちょっと私には大変だ)
いまだに書かれていない歌はどれだけあるの、かっこう
ねえ、かっこう、歌ってみてよ
町中か、それとも小さな村か
私はどこで暮せばいい
石のように横たわってか
星のように輝いてか、星のように
もっとも私は歌詞を真剣に聴いているわけではない。たんにアレンジされた曲のビートや声をかってに解釈しているだけだろう。