パンタグラフが大きいところが 見慣れなくて新鮮だ |
先日、Twitterのタイムラインで残念な知らせを見た。いわく、モスクワ市電で用いられているチェコスロヴァキア*製車両TATRA(タトラ)T3SU、正確にはその車体を利用した更新車両が、市内南部、東部、および都心部での運行を終えたという。北西部のみ運行は継続されるが、年末には運行を終えるそうだ。
この情報の出所は"Городской электротранспорт(ガラツキー・エレクトロトランスポルト:都市電気交通)"と名づけられたWebサイトにあった投稿らしい。路面電車、トロリーバス(無軌条電車)、地下鉄、モノレールなどに関する読者投稿を集めた掲示板的なウェブサイトだ。旧ソビエト加盟諸国や旧東欧諸国の情報がおもだが、世界中の都市電気交通の写真が投稿されている。10年くらい前はときどき訪れては眺めていたし、自分自身で投稿もしていたのに、すっかり忘れていた。ロシア語がおもだけど、英語やドイツ語でも表示できる。
さて、いつかはそういう日はやってくるとは理解していても、じっさいにタトラT3SUが引退するという知らせを目にするとやはり動揺する。そして2001年以来二十年ものあいだモスクワを訪問できないままでいる、自分の甲斐性のなさを再認識するところもつらい。
そこで、お盆期間のあいだは、自分がむかし写したモスクワ市電のタトラT3SUの姿を振り返ることにした。いままでデジタイズを行なっていなかった画像もあらたにスキャンした。そのうち、筆者の最寄駅付近で撮った写真をお目にかけたい。
左奥にいるのは露天商たち 建物の裏側には闇市が広がっていた |
まず、タトラT3という車両について簡単に説明しよう。チェコスロバキア社会主義共和国(当時)のプラハにあったČKD(チェーカーデー)タトラが、アメリカで1920年代に開発された高性能路面電車であるPCCカーの技術ライセンスを取得したうえで製造した、路面電車シリーズの一型式だ。そのうちT3型は1960年から1989年にかけて、計14,000台近く生産されてチェコスロヴァキア国内だけではなく、当時のコメコン(経済相互援助会議、ロシア語ではСЭВ)加盟国内に輸出された。
このタトラT3と、フィアット124のライセンス車のヴォルガ自動車工場(アフトヴァーズ)製VAZ-2101(ВАЗ-2101)シリーズ「ジグリ(ラーダ)」やロシア語で「ブハンカ(パンのかたまり)」とあだ名されるウリヤノフスク自動車工場製ライトバンUAZ-452(УАЗ-452) 、さらにはハンガリー製イカルスバスなどは、ソビエト国内や旧社会主義国で標準型車両として用いられていた、ありふれておもしろみのなく思えるような乗り物だったと思う。
これらの乗り物が走り回り、社会主義ふうの標準型建築の高層アパートが建てられる都市計画が、鉄のカーテンの東側、つまり旧東ドイツから極東ロシアやシベリア、アムール川(黒龍江)まで、あるいは半島の北側の共和国にまで広がっていたというわけだ。自動車はあちらの同盟国であったキューバやベトナムにも走ってただろう。キューバでは革命前のアメリカ製クラシックカーのレストア時に、下回りの素材にジグリを使う例もあるそうだ。
もっとも、少なくても90年代のモスクワでは、東ドイツ製で有名だったトラバント、ポーランド製のポルスキ・フィアットなどを見ることはなかったし、サンクトペテルブルク市電(当時ならばレニングラード市電)のように、タトラT3が導入されなかった都市もある。そのあたりの差異が社会主義圏内部での「異国情緒」だったかもしれない。
そのタトラT3のうち、ソビエト向けの車両は"Soviet Union"の頭文字をとって「タトラT3SU」と命名され、広軌(1,524mm)仕様にされて暖房能力の強化が施されて、運転室と客室に仕切りが設けられている。1977年までは2扉車が、それ以降は3扉車が導入された。日本の路面電車とことなり終点にはループ線が設けられているので、扉と運転台は片方にしかない。また、ロシアでは路線バス運転士は男性の仕事だが、トロリーバスと路面電車の運転士には女性もめずらしくなかった。
ウニヴェルシチェート電停のループ線。 建物も車両も社会主義時代とはまだ変わらない。衛星放送のアンテナが見える |
ループ線の出入り口で離合する。扉と運転台が片方にしかない |
夏らしいワンピースの女性を撮ったはずが 左の男性や右の女性の90年代ふうファッションも気になる |
タトラT3SUはモスクワ市電には1988年までに合計で2,000両以上が導入されて、旧型車両を置き換えたという。初期に導入されたタトラT3SUを、同じ形式でより新しい車両で置き換えることもあったようだ。車体の外板が薄いように思えていて、素人目にも寒冷地のモスクワ市電では傷みが早く進みそうに思えていたから、さもありなんというところか。それでも、改修されて2021年まで走り続けたというところには、驚かされもする。
筆者がモスクワで暮らしていた1994年から1995年にかけて見かけたモスクワ市電の車両のほとんどは、このタトラT3SUだった。少々古めかしい流線型のモダンなデザインだとは思っていた。車内にČKDのプレートがあるのでチェコスロバキア製であることは知っていたし、静かな走行音から吊り掛け駆動ではないことも判断がついた。けれど、日本ではほとんど普及しなかったPCCカーの技術を導入して作られた車両であることは知らなかった。モスクワ市電では当時の塗装はアイボリーとイエローのツートンカラーで、この塗装も好ましく思えた。ときおり、全面広告ラッピング車を見かけた。
14系統はウニヴェルシチェートからレーニン像のあるカルーガ広場を結ぶ |
女性たちが重なっているあたりが残念な写真だ |
そのころは、ロシア・ウスチ=カタフスキー車両製造工場のKTM-8(71-608)シリーズが少しずつ数を増やしていくところだったようだ。デザイン的な優美さはタトラT3SUのほうが勝るように思えていたものの、なにしろモスクワ市電ではほとんどの車両が当時はタトラT3SUだった。だから、ときおり見かける角ばった車体のKTM-8はちょっぴりめずらしく思えていて、見かけると「新車がきてラッキー!」とも。KTMだなんて、鉄道模型メーカーのカツミ模型を連想させるのもいいよね。
通り雨のあとではなく、散水車が通ったあとのはず |
こちらはKTM-8M(71-608KM)と思しき車両 |
今回ご覧に入れた写真のほとんどは、ウニヴェルシチェート(Университет:大学)電停付近で撮ったものだ。「大学」とはモスクワ市の南西部にあるロモノーソフ名称モスクワ国立大学本館をさす。もともとは都心部にあったものが、モスクワ都心部から6キロメートルほどのところにある雀が丘(ソビエト時代は「レーニン丘」)というモスクワ川の蛇行部に沿った高台に移転した。そのさいに建てられた本館はモスクワにある7つのスターリン様式建築のうちのひとつだ。あたりは都市計画に基づいて開発が進められ、その一環としてモスクワ大学が都心部から移転してきたようだ。
市電の終着駅の一つであるウニヴェルシチェート電停は、ロモノーソフ大通り(ロモノーソフスキー・プロスペクト)とヴェルナツキー大通り(プロスペクト・ヴェルナツカヴァ)の交差点にあり、地下鉄ソコーリニチェスカヤ線の駅に接している。
東京でいうと、東京大学の本郷キャンパスの近くにある本郷三丁目みたいなものといっていいだろうか。モスクワのほうは市の中心部ではなく、住宅地でもある郊外に位置するから、むしろ一橋大学がある国立……かなあ。
市電駅の向かいには常設の大サーカス劇場(いわゆるボリショイ・サーカス)があり、インド独立時の総理大臣だったジャワハルラール・ネルーを記念した銅像と広場がある。この地下鉄駅を利用するようになってはじめて、ネルーのファーストネームを私は知った。そして地下鉄駅にある「出口:ジャワハルラール・ネルー広場方面」という案内を見るたびに、第三世界をソ連が支援していた時代の名残がここにもあるのだと、いつも考えさせられた。
モスクワにはコンゴ民主共和国の初代首相の名前にちなんだ「パトリス・ルムンバ名称民族友好大学(1992年にロシア諸民族友好大学と改称)」という名前の大学の、第三世界からの留学生を受け入れる大学もあったよね。
さらにモスクワ大学の学生寮には当時、ベトナム、カンボジア、エチオピア、そしておそらくは北朝鮮から来たであろう学生たちもいて「東側」という冷戦構造の名残りをかいま見るような気がした。そういえば、ドイツ人の学生がいつも「はじめて会う人にいつも『どっちのドイツか』とたずねられるのはうんざりする」と言っていたっけ。
ここは降車場。乗降はループ線の出入り口付近で行うことが多かった |
奥の電停詰所も健在のようだ |
チェコスロヴァキア*製:チェコスロヴァキア社会主義共和国時代の話なので、「チェコ製」ではなく、「チェコスロヴァキア製」と文中では表記します。
【撮影データ】
Nikon New FM2, Kiev-19, FED-3/AI Nikkor 35mm F2S, MC MIR-24N 35mm F2.0, Jupiter-12 35mm F2.8/Kodak Academy 200, TASMA 250, SVEMA Foto100/いずれも1994年8月から1995年8月にかけて撮影
なお、本稿のモスクワ市電およびタトラT3SUに関する部分は、以下を参照しました。
服部重敬「定点撮影で振り返る路面電車からLRTへの道程 トラムいま・むかし 第10回 ロシア」『路面電車EX 2019 vol.14』、イカロス出版、2019年11月19日、 P.97-100