梅雨明けのころはあれほど楽しみにしていた夏ももう終わりなのだろう。日の出の時間が遅くなり、日の入りが早くなってきた。朝晩の気温が少しずつ低くなり、セミの声ではなく秋の虫たちの声があたりに響く。今年の東京首都圏では、8月に一日中晴れた日はせいぜい一週間程度しかなかったようだ。写真好きのみなさんが望むような「夏らしい青い空の日」は数えるほどしかなかったのではないか。
■早朝の散歩は楽しい
不要不急の外出自粛要請もあり、筆者はあいかわらず自宅周辺を徘徊する程度で遠征の予定もとりやめた。家族以外とも会っていないし、どこか遠くの列車も写していない。だが、日の出のころの散歩をひさしぶりに始めてみると、けっこう楽しめた。
筆者は真夏の日中のまとわりつくような高い湿度が苦手だ。ここ数年、真夏の日中の写真が少ないのはそういう理由だ。だが、朝晩の太陽が低い時間の日差しは見慣れた景色を魅力的に見せる。
雨の翌日の早朝はとくに楽しい。大気中のチリなどが洗われるのか雲ひとつない真っ青な空になることがある。また、梅雨時の空と同じように湿度の高い空だと色づきも大きい。さらに、木々や花も朝早いとみずみずしく見える。
■人出が少ないところも
筆者が住んでいるのはありふれた郊外の町だ。さいわいなことに、農地や雑木林が残されている地区から遠くない。そういうところへ行くと、アスファルトの舗装では味わえない土の香りや草木の青臭い香りもする。土の上を通ってきた風もいくぶん涼しいところもいい。
そういうところで出会うのは、早起きが得意なシニアの方くらいだ。人出がもともと多くはないところだから、あれこれわずらわしくないところも好ましい。
■遠いところに行って特別なことをするだけが「夏の思い出作り」ではない
そういうわけで、ここ数年の筆者の暮らしとたいして変わらない夏の過ごし方をしているわけだ。決してそれは血湧き肉躍るような興奮に満ちた楽しい日々ではない。
でもね、いつも書いているように、ありふれた日常のなかにもフォトジェニックな瞬間や場面があるはずだと思っているから、それを絵にしていくのはちょっと楽しい。さらにいえば、何か特別な被写体を写さないと「いい写真」にならないのだろうか、という思いさえある。
もちろん、商業用途の写真では希少性は大切だ。それにここにアップした写真だって、身近な被写体でも早朝という特別な光線状態で写している。でも、少なくとも自分のだけの、いいかえれば趣味の写真ならば、遠くに行って特別なことをしなくても「写真になる」のではないかなあ。
【撮影データ】
NikonD7200,Sony A7II/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D,AI Nikkor 85mm F2S/RAW/Adobe Photoshop CC