2021年9月16日木曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その1(低運転台車編)

有名な白丸駅下り方のトンネル
自分もモノクロフィルムでこれを撮ってみたかった


■ネガを見つけ出してフル解像度で再スキャンした
先日のリコーフレックスVIIで撮った青梅線のカラーポジのエントリーを書いたあとに、その文中でも触れた1990(平成2)年7月にモノクロームフィルムであるTri-Xで列車主体に撮影したネガを見つけた。以前にもなんどかお見せしたことのある写真が含まれている。だが、それらは当時のパソコンが非力であったために、600万画素相当(3,000×2,000ピクセル)程度でスキャンしていた。

いまも手元のパソコンは非力ではあるが複数台あり、「フィルムスキャナー専用機」を用意しているから、フィルムスキャンのあいだにパソコンが占有されても困らないよう、以前よりは自分のハードウェアの環境は改善されている。そこで、ネガがより傷んでしまうまえにあらためてNikon SUPER COOLSCAN 4000 ED(LS-4000ED)の約2,280万画素のフル画素(5,782×3,946ピクセル)でスキャンすることにした。Photoshopでの画像処理もむかしより経験を積んで、そう気が重くはなくなったしね。

そうしてネガスキャンした写真を見ていて、1990年の少年だった私には気づいていないことが、2021年の中年の私に見えてきた。それは、90年代の青梅線103系電車はバリエーション豊富で奥が深いということ。これは……沼だ。あえていおう、沼であると!

■AU712冷房装置にばかり気を取られていた
90年代の民営化後の103系は各社で独自の改造が行われ始めたころだ。JR東日本では山手線と京浜東北線、さらに総武緩行線に205系も導入され、その玉突きで103系の転属もあれこれと進んでいた。

青梅線・五日市線の103系は国鉄時代に京浜東北線から豊田電車区に転属してきた低運転台車で非冷房車から始まっていたそうだ。それがさらに、80年代終わりから大規模修繕と冷房改造が始められ、比較的新しい冷房車の転属も行われていたようだ。そのために、青梅線・五日市線にもオレンジバーミリオンではない混色編成もいたという。編成の組み換えも多かったらしい。

つまり80年代から90年代の豊田電車区の103系には細部の変化がいろいろ見られて、趣味的に興味深かったということだ。「使える車両は改造してでもとにかく使う」という体制だったともいえる。豊田電車区の103系は武蔵野線でも用いられていた。武蔵野線を爆走する103系も好きで乗りに行っていたから、いま考えるといろいろとお世話になったわけだ。

80年代前半にレジャーで青梅線・五日市線に乗っていて、自分で写真を撮るなどと考えていなかったころは、青梅線・五日市線というと「低運転台で非冷房の古い103系電車の牙城」という印象があった。80年代に中央快速線から休日に乗り入れてくる『おくたま』号は私が見たときは電動車が800番台低屋根の非冷房101系電車だった。真夏の暑い時期に御岳山のハイキングや鳩ノ巣渓谷、あるいは秋川渓谷に遊びに行った帰りの混雑した電車が、みな非冷房でうんざりした記憶がある。拝島で乗り換えた西武拝島線の電車が冷房車でうれしかった記憶も。

それが、90年の夏に訪ねてみると低運転台車にもAU712分散式冷房装置による冷房改造がなされていた。「重厚感はあるけれどちょっとかっこ悪いな」と当時は思いながら、移動の際に乗ると「冷房車でよかった」と思ったはず。

白丸駅上り方のトンネル
よく見ると前から2両目はモハ72970番代電装解除車の
サハ103-3000番代車だったことに2021年9月に気づいた

■モハ72-970番代改造のサハ103−3000番代車が写ってる
でも、当時はこのAU712分散式冷房装置にばかり目が行っていた。それまでの冷房改造に用いられるのは集中式冷房装置のAU75だったから、ものめずらしく思えたからでもある。ところが、ネガをスキャンして驚かされたのは、その編成の凸凹ぶりだ。冒頭のカットを撮る前に、おそらく同一編成を上り方トンネル出口でも撮っていて、それをよく見ていて気づいた。

奥多摩方より前から2両目は仙石線用にアコモデーション改良車として車体を103系同等のものに載せ替えたモハ72970番代を電装解除して103系化改造をしたサハ103−3000番代車だ。72系電車に用いられた旧型電車用の台枠を流用したために車体の裾が長く、客用扉が仙石線用に半自動対応がなされているために、ドアに手掛けがある。そしてユニット窓であるにもかかわらず非冷房だったために、冷房改造がなされたときの冷房装置が集中式のAU75などではなく、AU712だ。

「お、今日も撮ってるやつがいるな。夏休みか」
と運転士氏は話してそうな笑顔のように見える

手前はATC対応の高運転台車だった気がする

■「ふつうに見える」編成もあれこれと
さすがに72系970番代から改造された3000番代車が、電化された川越線で走っているのは知っていた。じっさいに大宮で見たこともある。でも、青梅線・五日市線に電装解除された車両が用いられていることは知らなかった。とはいえ、これはややわかりやすいので、いまこうして見てもわかる。

だが、次の写真のようにみな集中式冷房装置搭載改造をされている低運転台車の編成でも、よく見ると4両目のクモハ103はコルゲートがあり無塗装のステンレスキセだ。そして先頭のクハ103はジャンパ栓受けのない500番代車。この数枚の写真にある数編成だけでも、当時の青梅線・五日市線用103系のバリエーションの豊富さがうかがい知れる。

冷房装置がすべて集中式で揃っているように見えるけど
この編成だっておそらくは奥が深いのではないか

撮影時にメモも取らないでいたのは、そういう差異を当時知らず、観察できていなくて気づかなかったからだ。知らないことはそのひとにとっては存在しないことと同じだ。当時の編成表も所有しておらず、編成番号も車両番号もいま調べてもわからないものが多い。90年代の私は鉄道誌を読むのをやめていて、知識のアップデートができていなかった。鉄道趣味に限らないけれど、趣味をより深く楽しむには知識量にも依存するところがある。感性だけでは解決しないことがあるのだ。

もしこのころにこうした103系の細部の変化の豊富さを知っていて、撮影時に気づいていれば、たとえば、わかりやすく側面からねらうもっとべつの写真も撮ったはずだ。いや、当時は形式のちがいは知っていても、個々の車両の差に気づかなかったからよかったのか。気づいていたら鉄道趣味から離れることなく、もっと重篤な鉄道好きになっていただろうか。いまとなってはどれもわからない。

ただひとついえるのは、いまさらでも気づいたのはよかったということ。高校時代の写真でこれだけ楽しめるとは。写真はやっぱりなんでも撮っておくといい、そういうことかもしれないね。

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【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Tri-X/Nikon SUPER COOLSCAN LS-4000ED/Adobe Photoshop CC
(1990年7月撮影)