2021年9月18日土曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その2(高運転台車編)

クハ103ATC対応車の次に写っているのは
モハ72-970番代から改造されたサハ103-3000番代車じゃんか

ATC対応高運転台のクハ103が青梅線にいるなんて
1990(平成2)年7月の夏休みに青梅線の列車を撮りにでかけたときの話の続きだ。そのときに最も強く感じたのは、青梅線にも103系ATC対応高運転台車で冷房車のクハ103がずいぶん増えたなあということ。

京浜東北線および山手線用に製造された車両で製造数も多かったものの、その両線および横浜線と新規開業して間がない埼京線で用いられていた。それが、205系電車に置き換えられた。まだ車齢が新しいことからATC装置を下ろして青梅線・五日市線用に転属してきた。

それまでの青梅線の103系は初期に製造された低運転台・非冷房車がおもだった。この高運転台で冷房車であり、ユニット窓のクハ103形にはどうしても「京浜東北線および山手線用の電車」という印象が強くあり、青梅線で見るとじつに不思議な感じがした。

なお同じ顔つきで高運転台でもATC装置を搭載しないクハ103というものもあった。それは運転室直後に戸袋窓が存在した。数は多くはない。中央緩行線と武蔵野線で見た記憶がある。

■とんでもない凸凹編成が存在した
当時はこのATC対応のクハ103の増加や、前回のエントリーに記したように冷房改造された初期車ばかりに目がいっていて、編成全体に注意を払うことができていなかった。ところが、今回31年ぶりにこのネガを見ていて知ったことがある。それは、その日写した編成のうちのひとつが、じつに特徴的な凸凹編成だったということ。

冒頭の写真に写っている奥多摩方のクハ103の運行表示窓に「17」という数字がある。そして、前回アップした立川方の低運転台のクモハ103を写したカットにも、やはり同じ数字がある。当時は編成番号の表示はなく、その運行番号の表示が同じであることを見て、もしやとは思っていた。以下のカットだ。

どうやらこの写真の奥にとんでもない2両が隠れていたみたい

そして、べつのカットを何気なく見ていた。ふたたび奥多摩方のクハ103を写したカットだ。冒頭の編成と同じ編成なのだろう。そして、冒頭のカットと以下のカットの2両目をよく見てほしい。前回のエントリーでも記した、ユニット窓ながら車体の裾が長く、客用扉に手がけがあり、AU712形分散式冷房装置で冷房改造されているところを見ると、これもモハ72形970番代の台枠を流用して103系同等の車体に載せ替えたアコモデーション改造車を改造して103系に編入したサハ103形3000番代車であることがわかる。

そして、以下の写真をよく見ると奥の3両目と4両目はユニット窓ではなくAU712形分散式冷房装置を載せている。つまり、この編成は、逆方向からにはなるけれど東京方面から記すと<立川>クモハ103(低運転台非ユニット窓分散式冷房装置)+モハ102(非ユニット窓分散式冷房装置)+サハ103(72系改造3000番代ユニット窓分散式冷房装置)+クハ103(高運転台ユニット窓集中式冷房装置)<奥多摩>ということ。

■非ユニット窓とユニット窓の混結自体はめずらしくはないけどさ
側面窓の形状がことなる103系なり、113系や115系が編成を組むこと自体はめずらしくはなかった。走行性能は同じなのだ。10両編成の京浜東北線や山手線、15両編成の高崎線、東北本線、東海道線、常磐線ではごくふつうに見られた。京浜東北線がATC化されてからも、先頭に出ない編成中間に低運転台で前照灯も原型の大型白熱灯のままだったクハ103やクモハ103がいるのは見ていたから。

だが、4両編成内でATC対応車と72系からの改造車、そして初期車の電動ユニットが編成を組んでいるという凸凹な編成は、私はそれまでは見たことがなかった。当時気づいていたらおもしろがって、もっと追いかけていただろうなあ。

なお、Twitterでご教示いただいた情報によると、この高運転台のクハ103は東中野事故で追突された103系電車の生き残りなのだそうだ。それもまたすごく興味深い話だ。それによると、<立川>クモハ103-19+モハ102-98+サハ103-3001+クハ103-278<奥多摩>という編成らしい。ご教示くださったみなさん、ありがとうございます!

よーく見てみたらこれはすごい凸凹編成だった。
<立川>クモハ103-19+モハ102-98+サハ103-3001+クハ103-278<奥多摩>

この写真は覚えていたのだけど
これでは編成の特徴はわからないものね

■103系もすでに「旧型国電」だった
私は戦前から昭和20年代に製造された「旧型国電」をかろうじてわずかに見ることができた世代ではある。鶴見線のクモハ12052と同053、国府津機関区(当時)の2両のクモハ40、中原電車区所属で鶴見と新鶴見機関区(当時)の職員輸送に用いられていたクモハ12013はじっさいに見た。残念ながら72系、80系や70系、そして飯田線、身延線の各種戦前形旧型国電は書籍でしか知らない。

書籍でしか知らなくても、旧型国電のおもしろさは知っていた。それは、製造から時間が経っていることで所属線区に応じた改造工事をそのつどされ続けた結果、最新型車両に比べると1両ごとに形態に差異が存在したということ。

国鉄型車両は特定路線で使用する名目で製造されても、全国各地に転配属されることを見越してある程度汎用的に設計されている。それが、各地で使われて状態のいいものはさらに転属していくうちに、細かい改造工事(カスタマイズ)が重ねられていき、その結果として車番がひとつちがうだけで同じ形式でも形態が大きく変わることがあった。

だから、「形式で語るのはライトなファンであり、熱心なファンは車番で語る」わけだ。残念ながらというか、はずかしながら、私は上記の鶴見線クモハ12と国府津のクモハ40くらいしか車番ごとの形態の差を意識しないでいるかもしれない。

103系は新性能車(といういいかたはもはや死語だ。軽量車体に小型モーターと効きのいい発電ブレーキ機構を備えた、高加速性能と高速性能を向上させた昭和30年代以降の電車)として雑多な戦前型旧型国電を置き換えるための「標準型」として20年以上にわたって3,000両以上も製造された。私がもっぱら知っていたのは、主役としてまとまった数が用いられていたころだった。番台ごとのちがいは意識していたものの、車番や所属区ごとの差異はまだそう多くはなかった。

ところが、90年代というのは103系が初期に製造された車両は淘汰され始め、JR各社に転属していき、各社ごとにカスタマイズされていった。さらに編成の組み換え頻度も高くなり、各種改造工事が統一されていない車両が編成を組むのこともめずらしくなくなって……つまり、車番ごとに形態が変わりつつあり、かつての旧型国電と同じような用いられ方をし始める時代だったということだ。

これはおそらく両端がATC車で揃っている編成。
確信はもてないけどクハ+モハ+モハ'+クハだし

「103系なんてつまらない。旧型国電みたいなバリエーションがないもの」と中高生だった20世紀末の私は思っていた。坊やだからさ……。それが、私が鉄道趣味から離れるころにはすでに、じつは旧型国電なみの形態の大きな差異が生まれつつあったわけか。103系でもじゅうぶんに「車番で語る」ことができるようになった時代になりつつあったとは。そんなことをいまさらそれを知った。そうか、21世紀どころか、90年代でも103系は旧型になりつつあったんだもんな。まだまだ私は甘いな。

どこの駅か思い出せずに必死に検索をかけた。
どうやら沢井のようだ

それを同時代に意識せずに、わずかでも写してあったというのはなんだかおもしろいし、なんとなく得した感じはある。そして、103系が好きな方の多さにもあらためて驚かされる。そうだよなあ。こんなにバリエーションがあれば趣味的に興味深い存在にじゅうぶんなりえるよ。103系もりっぱな「沼」だ。

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【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Tri-X/Nikon SUPER COOLSCAN LS-4000ED/Adobe Photoshop CC
(1990年7月撮影)