2021年9月20日月曜日

【1990年7月】青梅線のEF64形1000番代牽引石灰石輸送列車いきあたりばったり撮影記


■石灰石輸送列車ももちろん撮った
1990(平成2)年7月に青梅線の列車撮影に行ったときに撮ったTri-X(コダックのモノクロネガフィルム)には、EF64形電気機関車1000番代が牽引する石灰石輸送列車の姿もとらえられていた。なぜ青梅線を訪問したのかという理由はもう覚えてはいない。

おそらくは、自宅から近いわりに山間を走る列車の雰囲気を楽しむことができて、同時に貨物列車も走っているからという理由で青梅線に決めたはずだ。だから、石灰石輸送列車を撮ることも訪問目的の大きな理由だったはず。


■石灰石輸送列車の運行本数も多かった
このときは単独行ではない。機関車が好きな友人と連れ立って出かけた。ハイティーンだった私たちは貨物列車のダイヤも撮影地ガイドの類いも持たずに出かけたと思う。1990年には携帯電話やインターネットはもちろん一般的ではなく、スマートフォンは存在さえしていなかった。それでも、撮影地ガイドのたぐいは鉄道誌の特集や各種ガイド本で知ることはできたはずだ。首都圏各線を網羅した撮影地ガイド本も持っていた記憶がある。

いっぽう、貨物列車のダイヤは鉄道関連の同好会やサークルに所属していないと、いまのようにはかんたんに知ることはできなかったので、『鉄道ダイヤ情報』誌などの鉄道誌にときおり掲載される特集などをたんねんに探す必要があった。

秩父鉄道に関しては鉄道誌やガイド本、旅行ガイドや郷土史などの写真から撮影地はないかと情報収集をしていたのに、青梅線の貨物列車の運行ダイヤについてそんな努力をした覚えがない。もしかしたら、撮影に行ったことがないし、情報もないからまずは自分の目で確かめたいという理由で訪ねたのかもしれない。

インターネット検索をいまかけてみると、1980年代には奥多摩発の上り貨物列車が15本程度はあったようだ。80年代にレジャーの行き帰りに青梅線に乗るとどこかの駅でかならず貨物列車と上下交換をした記憶があるくらいだから。だからあてもなくふらりと足を運んでも、どこかの場所でそれなりに粘っていれば貨物列車に遭遇することはそうむずかしくはなかった。効率よく移動できるかどうかはともかく。

ネガの「1カットめ」からして、前々回のエントリーでトンネル越しに撮影した白丸で、ホームからあわてて写した下り返空列車のEF64形1000番代なのだ。

■上り貨物列車に遭遇したのに
いまの知識で考えれば、そのまま白丸で待ち続ければ対向の上り貨物列車をトンネル越しに撮影できたのに、と思う。むしろ、そんな絵をいまならば撮りたい。青梅線は単線なのだから。残念ながら青梅線が「アウェイ」なハイティーンの私たちはそこに考えがおよばなかったらしい。私の好みはむしろ103系のほうだったから、満足してしまったのだろうか。

自分のことだからいうけれど、我ながらあまり頭がよくないな。機転が利かない。

そうして、やってきた上り列車にすぐ乗り込んで上り方に移動してしまい、運行ダイヤを知らないまま下り列車向きの場所でカメラを構えているときに、背後から上り貨物列車がやってきたというていたらく。


そのあといろいろと歩いているうちに、下り貨物列車がやってきた。それが冒頭のカットだ。夏のトップライトを浴びているところをみると、おそらくは正午前後の時間だ。

■夕方近くなってやっと貨物列車に考えがおよぶようになったらしい
夏の奥多摩や秩父は、午前中に晴れても午後は曇ってしまうことはめずらしくはないだろう。だから、登山客は気温もまだ多少は低いうえに晴れている早朝に行動を開始する。ハイティーンの私たちはいかにもハイティーンらしく早起きなどせずにやってきている。運動部の部活の高校生でもなかったら夜更かしして、いつまでもぐずぐず寝床にいるものでしょう。だから、少なくとも私は午前中の晴れ間のあいだに「まともな貨物列車の編成写真」を撮ることはできなかった。

それで、青梅線の撮影地のひとつである曲線区間にたどりつくと、しばらくそこで貨物列車がやってくるのを待ったようだ。103系電車もここで数本撮っていることからそう類推する。


このあと、沢井でさらに上り貨物列車に遭遇している。そこから上り方向に列車で移動しているあいだに、晴れ間が出てきたからか、あるいは下り貨物列車を予期したのか石神前で下車して下り貨物列車を待ったようだ。



このネガはこのカットで終わっている。そのあとはいったいどうしたのだろう。日没後に拝島まで戻って駅ホームから構内に停車しているEF64形1000番代やDD51などを撮ったような、あるいは眺めただけなのだろうか。なんとなくそんな記憶はあるのに、そのネガは見当たらない。

この翌年の梅の季節などにも、同じ友人と青梅線を訪問している。それなのに、青梅線の撮影地としてもっと有名な御嶽〜川井、川井〜古里のカーブ、当時存在した東川合信号所、そして軍畑の鉄橋などにたどり着いていないのは不思議だ。絵柄は知っていたはずなのに。交通費をケチったのだろうか。

もしかしたら、生意気だったハイティーンの私は、ガイドブックには載っていないような撮影地を自分で探し出したかったのだろうか。有名撮影地で撮ると、既発表の他人の写真と似た絵柄ばかりになりがちだから。もしそれが有名撮影地を選ばなかった理由ならば、生意気な自分の心意気だけはほめたい気もする。

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【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Tri-X/Nikon SUPER COOLSCAN LS-4000ED/Adobe Photoshop CC
(1990年7月撮影)