先日来から西武国分寺線に関していろいろと書いてきた。そして、2000系電車初期車が比較的多く国分寺線運用に充当されているのを見ているうちに、そのようすを撮ろうと考えた。
撮り方はいろいろと考えられるが、このところ自分の興味は望遠レンズを多用した本格的な列車の撮影よりも、大げさにならない機材でスナップショット的に撮影してまとめたいという気持ちのほうにある。
スナップショット(以下、スナップと略)は、ここでは三脚にカメラを置いてじっくり構図を考えて撮るのではなく、手持ち撮影でフォトジェニックな瞬間をねらう撮影、という程度の意味だ。誰にでも撮ることのできる「適当に撮った写真」だと思っている方をかなりの頻度でお見受けするが、けっしてそうではない。きちんと決めるには撮影前の観察眼と技術を要する。三脚を立ててじっくり撮るよりもむしろ、瞬発力と瞬間的なひらめき、決断力も要求されるぶん、よりテクニックを求められると私は考えている。
話を戻す。カメラを片手に国分寺線の沿線を歩いて、いいなと思った瞬間を撮りためていく。そういう撮影をしたくなった。つまり「ローカル線撮影の旅」を東京都内の私鉄沿線で試したいということだ。
「遠くに行かないと写真が撮れない」という意見もときに聞く。それに対しては私としては「必ずしもそんなこともないのではないか」と反論を試みたい。なにか特定の被写体を撮影したいとか、どこか特定の場所に行きたいならば、たしかにじっさいにその場所にでかけないと解決できないだろう。
だが、漠然とした「どこかへ行きたい」は非日常の雰囲気を体験できればいいだけで、自宅からの距離とは必ずしも比例しないのではないか。「遠くに行く」行為と「写真を撮る」行為のふたつを、切り離せばいい。切り離せないひとには、「写真を撮ること」自体が非日常の体験なのだろうか。
非日常であるほうが被写体の興味が湧きやすく、写真にしやすいのは確かだ。だがそれは、私にいわせれば、視点と撮り方、そして見せ方を工夫すればいいだけの問題だ。つまり撮影者が頭をひねって撮影してから「ページ編集のテクニックでなんとでもできる」といいたいのだ。
撮影前には機材はDfボディと小柄なマニュアルフォーカスレンズであるAI Nikkor 50mm F1.8S, AI Nikkor 85mm F2S、そしてAI Nikkor ED 180mm F2.8Sを使おうと考えた。それで機材のイメージカットも撮った。
だが、撮影を重ねていくうちに日没後に撮ることが増えた。そこで、フレア対策を考えてAFニッコールレンズを使うようになった。だから、掲載カットには上記のマニュアルフォーカスレンズではなく、AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8DとAI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED、さらに望遠レンズの代わりにDXフォーマットのD7200を×1.3倍クロップ(つまり、35mmフルサイズからみると2倍クロップ)で使っている。
■駅前通りと緑の木立、上水の小さな鉄橋が好ましい
10年くらいぶりに沿線を歩いてみて気に入ったのは、駅前通りと駅周辺に緑の木立のある駅だ。周辺は住宅街だが、大学や各種学校も多くあり駅前通りには商店街が残っていて素敵だ。コンビニエンスストアだけではなくケーキ店、喫茶店、八百屋、クリーニング屋、そば屋、立呑みのできる酒屋などもあり好ましい。朝晩や休日だけに乗降客が多いだけではなく、学校があるために日中の利用客もあるから、商店街が生き残っているのだろう。銀行支店も数年前まであった。
駅周辺には玉川上水と分水した新堀用水が流れていて、その用水路沿いは木立がある。そして、駅に隣接してある小平中央公園も緑の景観をかたちづくっている。
用水路の小さな鉄橋を1976(昭和51)年の武蔵野線開業前まではE851形電気機関車がセメント輸送列車を牽引し、各種輸入電気機関車がブリヂストン東京工場や航空自衛隊入間基地、日清製粉本川越工場に向けて走っていたのか……そのころは赤電塗装の旧型電車も吊り掛け駆動の重々しい走行音を響かせていたはずだ……と想像をすると、胸がアツくなる。そういうところはヲタだから。
だが、ちょっとまってほしい。玉川上水は、1965(昭和40)年に淀橋浄水場が廃止されて、東村山浄水場が稼働してからは西武拝島線玉川上水駅前にある小平監視所から下流には水を流さなくなり、このあたりは空堀だったという。現在水をたたえているのは、1986(昭和61)年より小平監視所から多摩川上流水再生センターで高度二次処理を施した下水が、景観の向上のために流されているからだ。
そしてまた、駅に隣接した中央公園はながらく蚕糸科学研究所小平支所の桑畑と木立だったそうだ。同研究所が1974(昭和49)年に移転し、小平市に払い下げられて公園の整備が行われたのは1980(昭和55)年から1985(昭和60)年だそうで、平成初期のころの写真をグーグル検索をしてみると、木立という感じではない。
つまり、旧型電車や貨物列車が走っていた昭和のころよりも、令和のいまのほうが駅周辺は緑の木立がうっそうと茂っているという、時間の流れと逆行したような景観を見せて興味深い。もちろん、商店街はもっと元気だったろうし、住宅はいまのほうが増えているはずだけどね。
■「2000系電車が行き交う情景」を撮りたい
そういう歴史的な事実を下調べしつつ、この駅を行き交う2000系電車を撮ってみようと、二週間ほど通った。歴史的な背景は絵にできるとは限らず、画面にも必ずしも反映されないが、写真のヒントになる可能性はある。ただし、それが「絵になるかどうか」あるいは「絵にできるかどうか」はとても大切だよ。
「なんとか線といえば沿線のなになにが典型的だから、それを画面に入れたい」と考えるひとは多いだろうが、その結果が「うまく絵にできているか」まで考える必要がある。まことに残念ながら、画面内にいろいろな要素を入れているだけでは「絵にできている」とは思えない。そして、そういう写真はとても多い。情報の整理整頓が必要なのだ。
アートとは「芸術」と考えると大げさで理解しづらいものに思える。だが、字義通りに考えればアートというのは「匠の技」とでもいう意味だ。もともと「技術」とか「(人の手による)技」という意味でしかない。写真で考えれば主要被写体が画面全体とも調和がうまく取れていて「なんだかいいなあ」と効果的に思わせる撮影技術(それこそ匠の技)ができれば、じゅうぶんに「アート」として成立するといっていい。
被写体の必要な情報を整理できずに、雑多な要素を写し込んだだけの写真は美しくはない。「情報量の多い写真」とは「何を写したいのか撮影者にも決められない写真」であってはいけない。
ちょうど梅雨入りした時期で、夏至も近いので日没が遅い。通り雨に見舞われたことがあり、街灯の光を反射させる路面などがいい雰囲気をかもしだして、好ましく思えた。
こういうカッコいい光や状況を見つけて、それをうまく絵にしてみなさんにお見せして、楽しんでいただくのは、写真家の義務なのではないか、それがアートというものではないのか。いまちょっといいことをいった。
この駅を行き交う列車を撮ることは事前に考えていたとおりだ。だが雨の日の日没すぎにねらったのは、数回通ってその雰囲気がフォトジェニックに思えたから。さらに、電線などのいろいろなものが目立ちにくいからだ。なにより、私はあいかわらず薄暮の時間を走る列車が好きだから。
やってくる列車をやみくもに撮っていたわけではない。4枚で写真を組み合わせることを考えながら撮影を進めた。4枚組にしたのは、1枚の写真だけで見せるには限界があるからだ。絵コンテが書けるならば事前に書くといい。脳内で構想を練りながら、絵柄や構図に変化を持たせるようにしつこく考えて撮影を進めていった。
まずは、日中の順光の状況で走る編成写真ではなくても、「でんちゃ好き」のみなさんにも少しは賛成してもらえるように、2000系電車が走るようすをわかりやすく入れたものを組み合わせた。
組み合わせ方は使用目的や発表媒体によって、いろいろなバリエーションがありえるので、「正解」はひとつだけではない。だが、寄りと引き、撮る角度の変化、動きのありなしの対比をなどは心がけた。それはどの媒体で見せることを考えても同じだ。つまり、見るひとを飽きさせないようということだ。同じ構図や距離感の写真では複数枚見せられても飽きるのだ。さらに、複数日に撮影しているのでRAW現像時に階調を揃えることも意図した。そうしたひとつの例としてごらんいただきたい。
【撮影データ】
Nikon Df/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D, AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED/RAW/Adobe Photoshop CC