この1本前の上り列車はハエ71編成だったのでびっくり |
ここ最近の川越線と八高線(電化区間)は車両の入れ替え時期にあたっているためか、車両の動きに変化が見受けられて興味深い。趣味的な……あえて正直にいえば「ヲタ的」な視点に立ってみると、なにかとおもしろく感じられるいうことだ。もちろん、もともとそれなりに私が好きな路線だからというのはもちろんだ。もっとも、いかにも地味な路線らしく、車両の動きもじつに地味だけどさ。
そういえば春に非電化区間の一部である寄居と高崎のあいだをSL列車が走る予定があったのが、あれのために中止になったというのは残念だ。もっとも、あれがなくても八高線をSL列車が走るなんて考えると、うれしいけれど人出がおそろ……(以下略)。ため息。
さて、その八高線・川越線の車両のささやかな変化について。まずひとつめは以前にも記事にしたように、ここ数年で209系電車3500番代車とE231系電車3000番代車の投入により、205系電車3000番代車と209系電車3000番代車が置き換えられた。そのさいに一度運用離脱をしたと思われていた209系電車3100番代車の2編成が2020年7月末現在、運用復帰している。
先に書いておくと運用復帰した理由や運用パターンなどは私にはまったくわからないので、それを期待していたひとにはごめんな。そうたいして距離が長い運用区間ではないから行ってみればわかるよ。私自身はこのところ夕方から夜に散歩のついでに八高線や川越線に乗ると、少なくともどちらか1編成が走っているのを見かけることが多い。拝島で留置中の姿を見たこともあるし、ハエ71編成とハエ72編成が続行して走ってきたことも。
この209系3100番代車は東京臨海高速鉄道70-000形電車の余剰車をJR東日本が購入し、同じ仕様で2両の中間車を追加新製して4両編成2本に仕立てたものだ。70-000形電車じたいは日々りんかい線と埼京線、川越線内を走っているものの、インバーターなどの電装品が交換されている。また、70-000形電車が仕様を準じた209系電車0番代車も姿を消し、車体を利用しながらインバーターなどの電装品をあらためて内房線、外房線と総武本線で用いられているのみだ。偶然にも209系電車0番代同様のインバーターを搭載して用いられているのは、この3100番代2編成のみのはず。
正直にいうとむかしはこの電車を真剣に追い回すようなことはしていなかった。それでも、「ちょっとめずらしい車両が走っているならばおもしろい」という視点で見ているうちに、八高線と川越線でこの209系電車3100番代車に遭遇するのが楽しくなった。ひとの好き嫌いや価値観なんてものはじつに簡単に変化するものなのかも。たんに私の気分のいいかげんさの問題か。
「ハチ公線」やない。それはイヌやろ。「ハチワレ線」や |
このハエ71編成およびハエ72編成にひさしぶりに乗ると、平成年間の電車であってもいかにも古い電車に思えるのは興味深い。起動時の磁励音を耳にして「そういえば……西武6000系電車をはじめ、ちょっと前の電車はこういう音がしたっけ」とちょっぴり懐かしい気持ちにもなる。103系電車にJR奈良線で遭遇するともっと懐かしい気持ちにさせられるけどね。インバーターの構造の話はGTOもIGBTでも私には理解できないので説明できない。グレート・ティーチャー・なんとかの略ではないことだけは確かだ。ええと、すみません。
素人目にも主要電装品が未更新で色あせかけた側面帯ステッカーのままでいるということは、そう長く走り続けるとは思えないので、興味のある方はあれの対策に十二分に気をつけてはやめに行かれることをおすすめする。比較的近隣に在住する私自身もしばらく通い続けるつもりだ。
■川越線開業80周年記念ヘッドマークのついたハエ45編成も走ってるよ
そして、もうひとつの車両の変化といえば記念ヘッドマークのこと。川越線は1940(昭和15)年7月22日に大宮〜高麗川の全線が開業したのだそうだ。それを記念して川越線では「川越線80周年記念キャンペーン」が行われている。JR東日本大宮支社によれば(リンク先はPDFファイル)駅構内に記念ラッピングや記念ポスターの掲示、特別放送の実施が行われ、川越駅構内に展示パネルが設けられているほか、川越線を走る列車2編成に記念ヘッドマークがとりつけられている。ヘッドマークは11月1日まで掲示されるという。埼京線、りんかい線および相模鉄道へ直通するE233系電車7000番代車のハエ127編成と、八高線へ直通するE231系3000番代車のハエ45編成の前後それぞれに絵柄のことなるマークが用意されている。
私がもっぱら乗るのは川越線でも川越〜高麗川と八高線だから、いまのところ同区間を走るE231系3000番代のハエ45編成しか見ることができていない。川越から高麗川を経て八王子まで通して走っても1時間程度だから、運用入りしている日ならば少し待てば出会うことができる。
もうひとつのE233系7000番代のハエ127編成のほうは、相模鉄道乗り入れにも用いられるので、走行区間が長いぶん見ることができたらかなりの幸運かもしれない。私自身は川越線の大宮〜川越には一ヶ月に一度乗る程度なので、なにかのついででは見られないだろう。川越車両センターや川越駅で両編成が並ぶところもイベントでも行われない限りそうそうないのではないか。今年は川越まつりの開催中止がすでに宣言されているので、同じ日に行われる「川越車両センターまつり」もおそらくは行われないだろうと個人的には予想している。
■1985年もすでに大昔か
103系ですよ103系 |
この時代はさすがに想像しがたいなあ |
さて、川越線が電化されたのは国鉄分割民営化のわずかにまえの1985(昭和60)年で、1996(平成8)年八高線の電化よりも一足早い。川越線の非電化時代のようすは、自分の目では見ていない。私自身はまだ幼くて、それ以前に大宮でディーゼルカーを見た記憶と、開業したばかりの埼京線に乗ったさいに大宮の地下ホームで103系3000番代車を見た記憶があるだけだ。川越線に通って列車を撮るということをしているのは、沿線の近隣に転居してきたせいぜいここ10年程度でしかないのだ。1990年代はじめから2010年ごろまでは鉄道を利用してはいても、鉄道をまじめに撮ることはしていなかった。
それでも、埼京線内や山手貨物線を高速で大きな音を立てて走る103系電車の姿はとても印象的だったので音までよく覚えている。だから、川越駅にあった古い写真の展示パネルを見ても、103系の写っている電化開業式典のようすは想像力を働かせれば想像できて「なるほど」と思うものの、川越線を蒸気機関車が走るようすは、自分にはなかなか現実感がわかない。きっと、平成生まれのひとには昭和50年代の姿は江戸時代のようすと変わらないくらい想像しづらいだろう。そういうことか。その1985年というのはもう35年もまえなんだってよ。
【撮影機材】
Nikon Df/AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G(Special Edition), AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED/RAW/Adobe Photoshop CC 2020