2024年5月15日水曜日

【西武新101系=上信電鉄500形】上信電鉄500形第一編成クモハ501-クモハ502が西武リバイバルカラーに


■西武リバイバルカラーになった上信電鉄500形第一編成クモハ501-クモハ502
上信電鉄の5月9日付けプレスリリースによると、同社500形電車(元西武新101系電車)の第一編成クモハ501-クモハ502が、西武鉄道の協力により西武イエロー塗装になった。5月10日より運行開始をすると発表された。同列車はまた、今年度の絵手紙列車にもなるという。

(以下引用。引用につき原文ママ)
今回リバイバルカラーとなる500形の第1編成(クモハ501・クモハ502)は2004年(平成16年)に西武鉄道株式会社様より譲り受け、翌年の2月より運行開始いたしました。 2024年は上信電鉄入線から20周年を迎えることから西武鉄道株式会社様の御理解、御協力を頂き運行となります。 
(引用ここまで)

「そうか、もう20年も上信電鉄で走っているの」という気持ちになったのは私だけだろうか。上信電鉄は昔からオリジナル塗装のセンスのよさに定評がある。少なくとも、私は好き。だから、ここ15年ほどはどんな塗装になってもいろいろと撮ってはいる。かつて運行されていたビール列車でも何度も乗っているしね。そして、2024年現在でも西武鉄道にはまだ西武イエローの新101系電車が牽引車代用(263編成のこと)として残されているから、西武沿線住民ファンの端くれとしてはいろいろと不思議な気持ちになる。

近江鉄道、流鉄、そして上信電鉄では2両編成で走っていてもべつの塗装だ。各鉄道のオリジナルカラーをまとう姿は好ましく思う。近江鉄道900形あかね号はいますぐにでも撮りに行きたいほどかっこいいと思う。それでも、元新101系電車の2両編成での運行は西武時代には入れ替え運転程度でしか見ることは通常できなかったから、西武イエロー塗装で走る2両編成は見てみたい。なにしろ私は、電車の色が変わっただけで一喜一憂する「ちょろいオタク」だからね。

ありがたいありがたい。

ここ数年続けていた春の上信電鉄訪問を今年はしていなかった。いろいろな理由をつけて平日休みを作り、五月晴れが広がりそうな日に出かけてきた。

■「午後から走るんじゃないの」と思っていたらほんとうにそうなった
ときどき書いているが、私は「電車運」がものすごくいい……という思い込みにかられる日がある。意図せずに珍しい車両に出会えてしまうということね。我ながらすごくおめでたいと思うけれど、そういう理由のないポジティブな思い込みはいろいろと楽しいから、まあいいのさ。

この日も、地元駅でまず西武30000系「DORAEMON-GO」(38101編成)を引き当てた。1編成しかない電車にいきなり遭遇できるのだから、今日はきっといいことがあるぞ、と思えたわけ。

正午前に高崎に着いたら、おめあての500形第一編成は午前中の仕業を終えて入庫していた。だが、その位置は「おそらく午後に再出庫するのではないか」という場所だった。本社建物前のやや下り方にいたからね。たとえば、マンナンライフ広告車の500形第二編成やデハ251は奥の駐車場方にいて、これはもう本日は出庫しないであろうと想像できた。なお、手前でもJRに接した側線は休車中の車両置場だから、そこにいる列車は動かない。

そして、過去の経験上思ったわけですよ。午後に再出庫するパターンなのではないかなあ、などというふうに。そんなことを考えながら、あまり下仁田近くまでは行かずに鏑川橋梁のある駅で降りた。古武術の道場で有名なところね。

そこでまず、デハ252+クハ1301に遭遇したものだから……「クハっ! 俺氏いまなんかすごい!」と思いましたわよ。「みんな、ごめんね☆」だなんて。そうして上り方向へひと駅歩いて、午後になると順光になる直線区間にたどりついたらすでに同業の方がいる。これはもう「奴は来る」と確信して待ってみると、ほんとうに午後に出庫してきた。しかも想像していた運用で。


■「譲渡先のほうが原型に近い」おもしろさ
ヒバリのさえずりや下校中の小学生のおしゃべりを聞くともなしに聞きながら待った。天気はいいが湿度が低いので心地よい。関東の夏もこういう感じならばいいのになあ。そこへ踏切警報機が鳴り始めた。上り方からそろりそろりという感じで西武イエローのクモハ501-クモハ502がその姿を現した。

見慣れた塗装だからもちろん似合う。3時間もかけて地元を走る電車の「再就職先」での活躍を見に来るというのは我ながらいろいろとおかしい。新緑の淡さをまだ残す緑のなかを走る姿は絵になっている。ここ数年の西武鉄道残留車はワンマン化改造による種別方向幕窓の埋め込み、シングルアームパンタグラフへの交換、前面へのスカートの設置、無線アンテナの交換、屋根上通風器の撤去、コーポレートマークステッカーの貼付などもあったから、譲渡先での姿のほうがより原型に近いのも興味深い。密着自動連結器と側面方向幕窓の設置などはたいしたことはない。「譲渡先で20年間も大事にしてもらえてよかったなあ、お前」という気持ちにもなったり。

すごく短く書くと「気に入った」。

■ダイヤ乱れはあったけれど明るいうちにゲットしたぜ!
この日の上信線は信号機トラブルによるダイヤ乱れが生じた。上州福島から下仁田にかけては運転見合わせもあったようだ。その時点で自分がいたのは西山名付近だった。駅で休憩しているところに放送が流れて知ったのだ。こういうところもなにかしらの「電車運」があった。沿線はいまではタクシー以外に代替交通機関がない地域であり、駅間距離も長い区間で運転見合わせになると困っていただろうから。西山名からなら歩いても移動できる。

そういうわけで、ひさしぶりに撮影地の再確認もしながら鏑川の橋梁のある駅から歩き始めて、西山名、山名、高崎商科大学前、根小屋、佐野のわたし……と歩いた。そうこうしているうちに、烏川橋梁にたどり着いたころには太陽がだいぶ傾いてきた。ダイヤはどうも30分程度遅延していた感じ。日の高いうちにクモハ501-クモハ502は戻ってくるか。そう思っていたらちゃんと戻ってきたから一安心だ。


そして、高崎から戻ってきたところもばっちり撮った。烏川橋梁にいるのに順光で撮っているのは、逆光で撮るには太陽がまだ高かったのと、「顔の鼻筋」がわかる日差しでも撮ってみたいと思ったからね。

「そうめずらしい塗装でもない」と思ってはいたけれど、平日にも関わらずおもに地元のテツのお仲間が多かったのは興味深かった。平日だから、高校生諸君も多かった。それでも、穏やかな雰囲気で撮影できたのはとてもよかった。線路沿いで出会っていろいろと教えてくれたみなさん、どうもありがとうございます。

そしてなにより、この企画を実現するために上信電鉄社内や西武鉄道への許諾に奔走して、この塗装を実現してくれた上信電鉄の関係各位のみなさんにも、お礼申し上げます。


これからいろいろな季節にこの塗装をまとう電車を撮りためていくのは楽しそうだ。上信電鉄沿線の自然をうまくいかした写真を考えていきたい。沿線風景の変化に富むのが上信電鉄沿線のよさだからね。 

2021年4月。「ぐんまちゃん列車」も正面は黄色だった
2021年4月。画面左のサクラの木は斬られてしまい残念

2015年8月。私はこの塗装が好きだな 
2010年9月。「銀河鉄道999号」だったころ。移転前の上州新屋駅
2009年6月。練馬
2010年4月。狭山線は2M×2で走ることがあった
2009年10月。羊山公園のトンネルより
2009年10月4日。西武秩父線開業40周年記念ヘッドマーク。
横瀬〜西武秩父で走った271編成2連

2010年8月、夕方の池袋線下り急行列車
2011年3月、所沢駅への入線シーン

【撮影データ】
Nikon Df, D7200(動画), D2X(西武鉄道時代の写真)/AI AF Nikkor 35mm f/2D, AI AF Nikkor 50mm f/1.4D, AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D,AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED, AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>/RAW/Adobe Photoshop CC 2024