先日の上信電鉄訪問の第一目標は、西武イエロー塗装に変更された500形第一編成を見ることだった。だが、高崎に私が到着したときには、500形は2編成ともに入庫中だった。でもきっと午後に出庫してくるであろう500形第一編成を沿線で待ち構えていようと、下り列車に乗り込んだ。そうして鏑川の橋梁でカメラを構えていると、まったく予期していなかった列車がやってきた。上信電鉄自社発注車であるデハ252+クハ1301だ。
■250形の運用頻度はそれなりに高くなっている
2024年現在の上信電鉄の主役はJR東日本から購入した700形電車(JR107系100番代二次車)だ。全5編成が運用中で、165系由来の重々しい走行音を立てて日夜活躍中だ。それ以外の電車となると、西武新101系だった500形2編成と、VVVFインバーター制御の最新型7000形電車1編成だ。
大変残念ながら、鉄道友の会による第17回(1977年)ローレル賞を受賞した自慢のフラッグシップ電車1000形は自動車との衝突事故のあとは長期休車中だ。おそらく実質的には運用離脱していると思われる。桃源堂の広告ラッピングも700形に引き継がれているところをみると、復帰は難しそうだ。そして、1000形の2両編成化&冷房化増備車といえる6000形も長いあいだ休車状態だったようだが、先日検査入場したようだ。そういうわけで、2024年5月現在で運用入りできる車両が不足気味にあるために、250形がなにかと運用入りする機会が多いようだ。
500形をねらいに来ても、上信電鉄自社発注車がいるならば、ここでしか見られないめずらしい電車だと思うと、私はどうしてもそちらを追いかけてしまう。西武新101系は西武にもまだ残党もいるしね。
ただ、それでもデハ252+クハ1301が日中に走り回っているとは思わなかった。高崎で見かけなかったけれど、下仁田留置の可能性もあったからね。だから、まっさきに見かけることができて、もう大感激したというわけだ。
鏑川の橋梁から歩いて上り方向へ移動しているあいだにも、デハ252+クハ1301は高崎から戻ってきて下り列車として姿を現した。長い直線区間だから、それなりに速度を出してぶっ飛ばしてくる。編成全体を撮るには背景に送電線がある場所でよろしくない。そこで、えいやっと流し撮りをしてみたり。午後もう少し遅くないとこちら側の側面に日が差さないから、RAW現像でシャドーを持ち上げることを意図して撮った。
■駅を見下ろす場所で待った
このあと、先日のエントリーでも書いたように信号機故障でダイヤ乱れが生じてしまった。そのために、デハ252+クハ1301が戻ってくる上り列車の予想が立てにくくなった。しばらくは高崎商科大学前付近の山のなかでも待ってみたものの、太陽が傾いて木立の影が線路にかかるようになってきた。そこで、駅を見下ろす場所に移動して待った。
このあと、先日のエントリーでも書いたように信号機故障でダイヤ乱れが生じてしまった。そのために、デハ252+クハ1301が戻ってくる上り列車の予想が立てにくくなった。しばらくは高崎商科大学前付近の山のなかでも待ってみたものの、太陽が傾いて木立の影が線路にかかるようになってきた。そこで、駅を見下ろす場所に移動して待った。
ずいぶんむかしにこの場所で「デキファンタジー号」を見たことがあるなあ、などと思い出した。あの日は暑さでコンパクトデジタルカメラのバッテリーが使えなくなり、ここで撮ろうと思っていた動画が撮れなかったのだった。
そこへ警笛を鳴らしてクハ1301が姿を現した。貴重な1000系電車の残党ながら、新設されたややサンパチ的な(失礼)顔に西日が当たりまぶしい。
眼の前を過ぎていく列車を450mm相当で追いかけた。すると、駅で学生さんたちの乗降があった。そして列車が駅を出て烏川にいたるまでの勾配を登っていくと、踏切を下校中の学生さんが横切った。ちょうど中高生の下校時間だ。
自分が連想する上信電鉄の駅の典型的なようすをうまく絵にできたような、なんとなくそんな気持ちがした。通学と通勤客がそれなりに多いのが上信電鉄の特徴だ。西日でやや赤く染まり始めた風景も、どことなく旅情を誘うように思える。
デハ252+クハ1301はこのまま高崎で入庫してしまい、これ以降は姿を見せなかった。けれど、予期していなかった姿をこれだけ見ることができたのだから、文句はない。
【撮影データ】
Nikon Df, D7200/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D, AI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-ED, AI AF Nikkor ED 300mm F4S (IF)/RAW/Adobe Photoshop CC 2024