Xのタイムラインを眺めていたら、1月半ばから上信電鉄250形電車デハ251がクハ1301と編成を組んでいることを知った。
そこで、高崎線沿線に用事があった日にカメラを持ってでかけた。用事が終わったあとで、運がよければ上信電鉄沿線に出て撮影もしたいという「あわよくば」撮影作戦というわけだ。小ぶりなPanasonic LUMIX GX7 Mark IIを2台とレンズ3本をカバンに詰めておいた。
三が日に上信電鉄を訪問したばかりだ。デハ251の単行運転とデハ252+クハ1301を撮ることができて、ひさしぶりに満足していた。
デハ251が登場時の塗装をまとってから数年経つ。2020年夏、2021年春、2022年春、2023年正月、2023年春と何度か訪問して、そのうち2回ほどデハ251自体を撮ることはできていたものの、撮りたいと思っている場所で撮ることがどうしてもできないカットがあった。そのことをずっと悔しく思っていたのだ。
■カール・マルクス先生のセリフを引用することに
用事は正午には終えた。天気もいい。立て飢えたる者よ、いまぞ日は近し。切符を買って下仁田行き列車に乗り込んだ。列車が高崎を出てからよく見ると、おめあてのデハ251+クハ1301は午前中の運行を終えて高崎検車区で留置中だった。南無三。これは、今日は空振りかもしれない。
まずはホワイトタイガー塗装の703編成に乗り下仁田まで行き、少しずつ高崎に戻ってくることにした。穏やかによく晴れていて風もなく比較的暖かい。冬の西毛路でよく体験する陽気だ。
下仁田までいったん下り、同じ列車で数駅上り方向へ戻ってきた。そのあと、畑の中の踏切で上下の列車を撮り、列車の運用を確認しながら歩いて、いつもの宇芸神社の鳥居のところにたどりついた。
この日運用に入っていたのは、桃源堂広告の701編成、ジオパーク塗装の702編成、ホワイトタイガー塗装の703編成、マンナンライフラッピング広告の503−504編成と7000形。ただし、7000形と702編成はすぐに入庫して、JRカラーの704編成が高崎から、上信電鉄リバイバルカラーの705編成が下仁田から出庫して入れ替わった。
デハ252は編成を解かれているし、501−502編成も編成を解かれて入場中。6000形もいない。昼過ぎで列車の本数も少なくて、さあどうしようというところ。好きで来ているのに飽きるんだよな。
そういうわけで、数本撮ってから移動しようと鳥居からいちど上り方向の駅へ戻ってみたら……下り列車にデハ251+クハ1301がやってきた……っておい! またかよ。
さきほどまでいた場所にい続けたら、ねらっている列車を撮影できたはずなのだ。
前述のように「宇芸神社の鳥居から上り方向の駅にやってきたら、下り列車にいちばん撮りたいデハ251がやって来た」という経験を、2022年年始、2023年年始の2回も経験している。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」とは、かのカール・マルクス先生が述べた言葉だそうですが、3回同じことをするのはどうなのだ、私。
あ、かの先生を信奉しているわけでは私はないですよ。ソ連のアネクドート(小咄)のように、秘密警察が設置した隠しマイクがあるかもしれない天井とか灰皿に向かって「同志少佐、マルクスの件は本心ではありません」といわなくちゃ。あるいはめだたない反体制派のように、禁止されている英国国営放送(BBC)や「アメリカの声(VOA)」「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」を深夜の台所でこっそり視聴しながら、この記事を書くとか。
ソ連時代のアネクドートや「台所反体制派(кухонный диссидент)」の話はともかくとして、2023年年始にこの駅でデハ251に遭遇したのははもっと早い時間だった。いっぽう、EXIFを見ると2022年正月はまったく同じ時間だ。列車のダイヤは2022年のときと変わらない。この段階になってようやく私は気づいた。自分への備忘録としてここへ書き留めておく。自分が見たことのあるものだ。特例の可能性もなきにしもあらずだから、正確さについては保証しかねる。まちがっていたらもうしわけないから、あてにしないでほしい。
【運用備忘録】
1)始発近くの上州富岡行き103列車→112列車に充当されてから高崎入庫すると、15列車で出庫して下仁田まで行き、夜まで留置されたのちに、終電近い64列車で高崎に戻ってくる行路があるらしいこと(2024年2月2日追記:これらは単行運転だったから15列車で下仁田入庫したのかも。単行ではない15列車は引き続き運用入りするようだ)
2)午前中に運用を終えて高崎入庫した列車には、31列車で高崎を再出庫して運用入りする行路があるらしいこと
今年の正月にこの駅で遭遇したデハ251単行の下り列車は、早朝の103列車→112列車で上州富岡まで往復したのちに、15列車に充当されて下仁田に入庫してしまった。22年春に単行運転を行っていたデハ252も同様に103列車→112列車で上州富岡まで往復したのちに、15列車で下仁田まで行くところを見ている。
いっぽう、昨年正月と今回やってきたデハ251+α(22年はデハ252、今回はクハ1301)の下り列車は31列車だった。午前中の運用は見ていないのでわからない。だが、31列車に充当された過去の例から類推すると下仁田入庫ではないはず。だからまだ撮影できるのではないか。
その31列車にいっしゅん乗りかけて、いや、やめようと思い、列車が去った後もしばらくぼんやりと駅で固まっていた。冷静になっていま起きたことを考え直せ俺氏……と考え始めてようやく上記の行路のことを考えついた。
そして、ハッとしてさきほどまでいた場所に早足で戻った。あの場所で撮りたいならば、いまからならばむしろ確実に撮影できるのだ。これはむしろ、チャンスでさえある。そうして、デハ251+クハ1301が42列車として戻ってきたところを撮ったのが冒頭のカットだ。
私は、この宇芸神社の鳥居のところで側面に特徴があるデハ251を撮ってみたかったのだ。ずっと撮れないでいたカットのうちのひとつがこれ。単行運転ではなく上り方にヘンテコ顔のクハ1301がいるものの、2年越しでようやくこの希望をかなえることができた。やったぜ!
■早く日没してクレメンスなどという身勝手な願い
デハ251+クハ1301が運用入りしたことを確認できた。これから本気と書いてマジと読むぜ……などと昭和すぎることを考えて我ながら草(締めを無理に平成令和風に)。
上り列車で追いかけるにしても、次の上り44列車までは50分もある。この駅で後続列車に乗り込んでも出発は16時すぎだし、時刻表を見るとおそらくは41列車としてふたたび下ってくるデハ251+クハ1301とは、山名で交換してしまう。だから、写真を撮りたいならば、移動できるのは山名の手前までだ。
そう考えていて、変電所の近くにある線路を越える大きなオーバーパスの存在を思い出した。このところ、自分が選ぶ撮影場所と撮影方法が似すぎているという反省もある。そこで、ひさしぶりにオーバーパスへ向かうことにした。
計算外だったのは、日没直前だと太陽の高度が低いから、このオーバーパス自体の影が線路をまだらに覆うこと。
ただし、正月と比べると日没時間は遅くなり、17時すぎだ。おめあての41列車がやってくるのも17時ちょっとすぎのはず。日没してしまえば影は問題ではなくなる。だから、少しでも山の端の向こうに太陽がお隠れ遊ばすことを祈った。先程までは、太陽が雲に隠れてしまうことがないように祈っていたのに、ずいぶんと身勝手だとは我ながら思う。
祈りのかいはあった。太陽が沈みあたりが薄暗くなり始めて、まだらに当たっていた残照もなくなったものの、それほど暗くはない。そんな光線状態になってからタイフォンを鳴らしつつ、待望のデハ251+クハ1301が戻ってきた。遠景にはヘルメットをかぶって自転車に乗るジャージ姿の下校中の子どもたちも小さく写っていて、いかにも夕方の感じになった。
神様仏様その他の八百万の神と産土の神様、それから上信電鉄の中のひとたちその他関係各位のみなさん、ありがとうありがとう!
■マイクロフォーサーズの利点も体感した
GX7 Mark IIはもう古くなってしまったカメラだけど、ローガニスト最前線の私にはファインダーがあるカメラが望ましい。最新機種だと、G100Dしかこういう小型でファインダーのあるマイクロフォーサーズボディはなくなってしまった。G9 Pro IIはいいカメラだけど自分には少々大げさな感じ。G100Dはどうだろう。GX7 Mark IIIを買い逃したことが惜しまれる……正直にいうといまのところMark IIでも困らないのも事実だ。RAWで撮るし2台も持っているから。
できれば、85mm相当よりも焦点距離の長くて開放F値の明るい望遠レンズがあると、なおいい。GX7系列と組み合わせてバランスのいいサイズと重さのものとなると、考え込む。業務の取材撮影以外では私はズームレンズを使わないでいたいから、少し考えてみるかな。
【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm F1.7 ASPH., LUMIX G 42.5mm F1.7 ASPH. POWER O.I.S./RAW/Adobe Photoshop CC 2024