2022年5月3日火曜日

【秩父鉄道撮影記事】ひさしぶりの北武区間訪問で太陽と影と背景相手に戦いを挑む話。そして地方私鉄沿線撮影の「秘訣」について


■北武鉄道のこと
秩父鉄道秩父本線のうち羽生〜熊谷の区間は、秩父鉄道の前身である上武鉄道の手によって開業したのではない……という解説は、ここにお越しになるであろう大多数のテツのお仲間のみなさんには不要だろう。現在の羽生町の有力者が中心となって創業した北武鉄道が、1921(大正10)年に「羽生線」として羽生〜行田(現在の行田市)を開業させ、翌年に行田〜熊谷を延伸し全線開業させた。いまからちょうど100年前のできごとだ。

北武鉄道は会社創業直後に当時の東武鉄道社長だった根津嘉一郎が筆頭株主になり、さらに行田〜熊谷の延伸に関して秩父鉄道からの出資を受けた。そして、建設費の高騰で資金難に陥っていた北武鉄道は、東武鉄道経由での貨物輸送をもくろんでいた秩父鉄道が合併することになり、羽生〜熊谷の全線電化開業後に秩父鉄道秩父本線に加わった。現在にいたるまで続く東武鉄道と秩父鉄道の浅からぬように思われる関係は、この経緯からうまれたのだろう。

そこで筆者は羽生〜熊谷を指す場合に「北武区間」という言い方をしている。正式名称ではないが、全長70キロメートルにおよぶ秩父本線のうち羽生〜熊谷をしめす場合に、上記の歴史的経緯を共有できるある程度の知識を持つ鉄道ファンが相手の場合には、わかりやすいと思うからだ。

■7年ぶりに北武区間を訪問した
その北武区間は埼玉県南部在住の筆者からすると、少し遠いという印象がある。西武鉄道および東武鉄道東上線を経由して秩父本線にアクセスすることが多いからだ。1000系電車の置き換えが行われていた2011(平成23)年から2014(平成26)年にかけては、それでも北武区間にも何度も足を伸ばした。だが、それ以降は2015(平成27)年以来、この区間で列車を撮っていなかった。さきたま古墳公園や忍城を訪問するために乗ったのも、2016(平成28)年が最後だったのではないか。

日が長くなりつつあるものの、まだ寒さが残る2月のある日のこと。ふと思い出してひさしぶりにこの北武区間にやってきた。行田の町外れの田畑に囲まれたあの駅に行ってみたくなった。そこで昼過ぎに家を出て東松山から路線バスで熊谷に出て、午後遅くにあの駅に降り立った。雪雲のような濃い感じの雲が出て太陽を隠す「明るい曇り空」が広がる。


■光線状態と背景に悩むわけですよ



この駅の前後どちらにも少し歩けば田んぼが広がる場所がある。今日は熊谷方の国道125号行田バイパスのオーバーパスと見沼代用水の橋梁のあいだのカーブのある区間をめざした。ただし、ここは背景があれなので工夫が必要なのだ。

カーブの外側から羽生行き列車を見ると画面奥にある行田バイパスがめにつく。いっぽうカーブの内側からでは、行田バイパスのほうにあるラブホテルが画面に入る。「この場所の記録」とでもいうような、この土地の風俗を記録したいわけではないならば、列車でそれらを隠すようにカメラの高さとレンズ焦点距離、構図でいかに工夫するかが腕の見せどころだ。腕が鳴るぜ! ぼきぼき! こういうところに注意して画面をできるだけシンプルにして主題をうまく強調できるかどうかが、都市近郊を走る地方私鉄路線撮影の「秘訣 その2」かも。なぜ「その2」なのかは文末に書くよ。

■ナナハチを撮ってそれなりに満足していたら



カーブの内側と外側のどちらに立つか少し悩んだ。ちなみに、羽生行き列車を先頭にすると午前中は内側から見ると順光で、午後遅くなるとカーブ外側が順光になる。この時期の午後の遅い時間にカーブ内側から熊谷方を見ると、気をつけないと太陽が画面内に入る。

ただし、カーブ外側からでは線路沿いの枯れ草の背が高いのが気になった。そして、空模様を見ていてこのようすならば雲が太陽を隠すだろうと思われた。そこで、カーブの内側に立った。画面奥にはラブホテルが写り込むが、木立でめだたないようにできるかな、とも思った。望遠レンズで引き寄せることを避けて、60ミリで撮ることにした。持っていたレンズで105ミリでは背景を引きつけすぎてしまう。85ミリを持ってくればよかったのだろうにゃあ。

そこへ7800系電車がやってきた。我らがナナハチだ。羽生方にパンタグラフがあるのも好ましい。よしよし、いいぞ! と思って撮る。ただし計算外だったのは手前まで列車を引きつけて架線柱にパンタグラフがかからないようにすると、列車の正面に手前の画面外の架線柱の影が映り込むことだ。東急平妻車をふだん撮らないので、すっかり忘れていたぜ。でかいことをいいたがる傾向があるくせに、技術が伴わなずに完璧に仕上がらないから、カッコつかないんだよな筆者。うひひひひ。

■地方私鉄の撮影でもっとも大切なことは
ナナハチが通過してしばらくすると、撮影者がにわかに増え始めた。大半の方はエントリー一眼レフとキットレンズの組み合わせではなく、ミドルクラスからフラッグシップクラスの一眼レフもしくはミラーレス機と、松竹梅で表現すると松や竹レベルのレンズ、ハスキー三脚などのしっかりした三脚、「鉄ちゃんバー」とビデオカメラ、さらに脚立を携行されているので、どうみてもみなさんガチ勢だ。それまで私ひとりしかいなくて、どんなアングルでも選び放題だったのに。

さらに、自動車でやってきたひとたちも増え始めて沿道に停め始めた。それを見てすぐそばにお住まいの方も「なんだなんだ」という顔をして表に出てきた。ははあ、これはあきらかに今日はなにかあるなこれは……と思ってガチ勢のなかのひとりにたずねると、デキ牽引の団体臨時列車が走っていて、上り方の終点がこの田んぼのなかの駅なのだという。なんですと。

そこで私もその場で構図と露出設定を考えながら、ぐうぜん遭遇したにもかかわらず住民の方に説明して、不審者がられないように努めた。めずらしい列車がもうすぐくるらしいですよ、お騒がせしてごめんなさい。申し訳ないのですが、もうちょっとだけお邪魔させてくださいね、なんて。地方私鉄撮影の秘訣のうち、もっとも大切なのはこれなんじゃないかな。

だから「秘訣 その1」は「地元のみなさんにあいさつやお礼をして不信感を抱かれないこと」だ。

【撮影データ】
Nikon Df/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D/RAW/Adobe Photoshop CC