2011年12月8日木曜日

【富士急1980年代】1988年2月、富士急の雪の日。元小田急2200形


■雪の日に富士急を撮りに出かけた思い出
懐かしい写真をお目にかけたい。1988年(昭和63年)2月に訪れた富士急行の写真だ。

たしか前日夜に雪が降り、雪景色を求めてどこかに鉄道を撮りに行こうと考えて、行ったことのない富士急を目指したのだと記憶する。当時の私は秩父鉄道300系電車が好きだったので、同型車3100形のいる富士急は大変気になる存在だった。そして、3100形事故代替車として登場し、今はトーマスラッピングが施されてしまった5000形も、日本車輛が国鉄近郊型電車のパーツを組み合わせて作り出した地方私鉄ロマンスカーといった趣があって好きだった。

もっとも、この日の昼間の富士急では5700形とJRから乗り入れて来た115系しか走っていなかったのだが。


■撮りたい電車は走っていなかったけれど
お目当ての3100形や5000形がいなかったのは残念で、その後いまに至るまで富士急とはお恥ずかしながらご無沙汰なのだが、この日大変気に入ってしまったのが元小田急車である5700形のうち、非貫通の湘南フェイスの元2200形の存在だ。

2200形が小田急時代に走る姿を見たことはなかった。走っていても引退前は2連で走ることはなかったはず。小ぶりな電車がスノープロウを着けて2連で走る姿はなんとも愛らしく、地方私鉄好きな私はすっかり痺れてしまった。

■2200形譲受車も同じくらいレアだった
このとき私は知らなかったのだが、小田急ABFM車を譲受した富士急行5700形のうち2200形由来の編成は5707-5708(小田急デハ2211-デハ2212)の1編成のみだったそうだ。だから私はおめあての3100形や5000形には出会えなくても、同様に1編成しかない列車に遭遇できたのだから、やはり「電車運」がよかったのではないか。


■そのあと毎日のように小田急2200形を見ていた
後年、小田急沿線の某三流大学に通うことになり、相模大野の工場奥に当時は2200形保存車が留置されていた。そのようすを毎朝、2600形の急行小田原行きや4000形、5000形、5200形などの急行箱根湯本行き(当時は箱根湯本・片瀬江ノ島行き。例の「中央分割案内板Aを境に、前6両は箱根湯本行きに、後ろ4両は片瀬江ノ島行きになります」な時代です)から2200形を見るのが楽しみだった。

■令和になっても残されているとは
(2024年9月28日追記)
富士急5700形のうち遭遇したこの5707-5708編成は1996年まで走り、京王5000系譲受車の1000形に置き換えられた。だがそのあと幸運にも笛吹市内の企業で保存されていた。そして今年になってそこからいすみ市・ポッポの丘と土浦市・首都圏電車区にて保存されるべくクラウンドファンディングが行われた(詳細はReady forの該当ページを参照されたい)。

この関連記事を読んでいて、自分が撮っていたこの写真の車両がまさに、クラウンドファンディングの対象になっていた車両そのものであることを遅まきながら知った。

小田急大野工場で保存されていた2200形のデハ2201-デハ2202その後喜多見検車区に移動し、現在はデハ2201のみが海老名検車区で保存されているそうだ。デハ2202は2019年に惜しくも解体されたとのこと。結果として富士急に譲渡された2両がずっと残されているというのも興味深い。もちろん、関係各位のみなさんのご尽力のたまものだ。

【撮影データ】
Nikon F-301/Ai Nikkor 85mmF1.4S/フジクローム50(RFP)/三ツ峠~寿