ラベル AI Nikkor 35mm f/1.4S の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル AI Nikkor 35mm f/1.4S の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年6月1日水曜日

【西武国分寺線の歴史】西武国分寺線を走った貨物列車についての私的な概略的なもの

出発を待つE851形(1992年飯能)

【おことわり】
今回は西武鉄道の貨物輸送のうち、有名な西武秩父線のものではなく、国分寺線を走ったであろうものについて書いていく。できるだけ資料があって「裏がとれる」ものを中心に書いているが、事実誤認や不注意による見落としが、いつも以上にありえることはあらかじめおわびしておきたい。「私的な概略的なもの」と称しているのは一次資料を用いて書いているのではないからだ。既存の書籍などを見ながら「ははあ、おそらくこういうことだったのだろうな」という部分をまとめた、メモ書き程度の書物だと思ってほしい。

■貨物輸送のための重要な支線でもあった
西武鉄道の貨物輸送は1996(平成8)年3月にその役目を終えた。国分寺線を一般貨物列車が走っていたのは、小川で貨物取扱が行われていた1981(昭和56)年3月31日のダイヤ改正まで。その時点では東村山と小川のひと区間だけを走っていた。

2021年10月20日水曜日

【レンズフードの話】ニコンゼラチンフィルターホルダーAF-1はいつ発売されたのか

1977年ごろのニコンゼラチンフィルターホルダーAF-1
元箱が銀色だった。のちの製品では金色の箱になっている

■いったいいつ発売されたのかと考えていたら
カメラボディやレンズの発売年月日や発売当時の価格などを調べることは、零細メーカー製品でなければそう難しいことではない。ところが、メジャーメーカー製品でもアクセサリー類について、それもコンシューマー向けではなくどちらかというとニッチな業務用途向け製品の発売年月日を調べるのは、意外とむずかしい。

2021年7月29日木曜日

【レンズフードの話】第七次レンズフード戦争 キヤノンゼラチンフィルターホルダーを予期せず入手し新展開か

F-1やFDレンズ時代の
キヤノンゼラチンフィルターホルダーと
専用レンズフード

■キヤノラーに俺はなる!
以前からレンズフード関連記事のなかで私は「有名なキヤノンゼラチンフィルターホルダーを使ってみたい」と何度も書いていた。ところがそれを書いていたころには、手ごろな価格のものどころか、手ごろではない価格のものさえも見つけることができなかった。インターネットオークションや某有名フリマアプリを使えば見つけることはでるが、じっさいに手にとって見ることができないので好きではなく、もうずいぶん利用していない。

だから、評判の高さは知っていても自分の手で触れたことさえなかった。

EOS用の3インチ角シートフィルター用のIII型(GFH3)および4インチ角シートフィルター用のIV型(GFH4)ならば、製造終了しメーカー在庫が払底していても、もしかしたらまだ入手はしやすいかもしれない。ただし高価だ。ニコンのAF-3およびAF-4と同様にホルダーとフード数枚、さらに必要なアダプターリングを新品で買うと1万円以上かかる。

そう思って、すっかりキヤノンゼラチンフィルターホルダーのことをあきらめようと決めて、その存在さえ忘れていたある日のこと。とあるカメラ店のジャンク用品コーナーに、興味のあったFDレンズ時代のキヤノンゼラチンフィルターホルダー(ホルダー本体に"Canon HOLDER FOR GELATIN FILTER"とあるもの)が並んでいるのを目にした。フードがふたつと⌀52mmの純正アダプターリングがついてワンコインだぜ。イヌ入りではなくて、税込みで硬貨一枚という価格だ。

嗚呼、南無三。

「セリヌンティウス。」メロスは眼に涙を浮べて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ。」
(太宰治『走れメロス』)

すぐそばには、専用フードがさらにもうひとつ数百円でジャンク棚にありましてね。政府高官ふうにいうと、私はものを増やさないように「いろいろな意見があるのは承知しているが、万全の体制で努力している」のですが。はい、ご明察。完落ちしました。引用する文学作品はむしろ『人間失格』や『白痴』『悪霊』のほうがふさわしいかもしれないな……。よくしゃべる! 

こうなったら、キヤノラーに俺はなる! 「潜水艦は伊号、飛行機は92式、カメラはKWANON、皆世界一」*だからな!

2021年3月5日金曜日

【写真術について思うこと】夢想を写真にできないかと考えながら


■ファンタジーで遊ぶということ
昨年から続いているあれのために困されるのは自由に遠くへ外出しづらいから。首都圏ではまだ緊急事態宣言による不要不急の外出自粛要請が延長されてしまった。健康維持のための散歩のついでにひとの少ない場所を求めて自宅周辺を出歩いてはいても、撮影目的の遠出はさすがにしづらい。自分自身がもし罹患してしまったさいに重症化リスクの高い基礎疾患のある中年でもあるし、大切な試験をひかえている親族もいるので。

そういう理由で自宅周辺を歩く程度の暮らしも、正直にいうと飽きてしまう。体調不良で長期間動けなくなる経験が多い私でも飽きる。これを乗り切るには、ファンタジーで遊ぶことなのだろうなと考えている。

2021年1月28日木曜日

【西武鉄道2010年から2012年】西武狭山線のことと、そこを走っていた新101系電車について

2010年4月。土曜日の早朝

■西武狭山線で新101系電車が走っていたころの話をしよう
旧ブログでは何度も記事にしていたのに現在のこのブログではまったく取り扱うことを失念していたもののひとつが、西武狭山線だ。カテゴリさえ設けていなかった。筆者が少年時代の鉄道趣味に出戻りした2009年ごろから2012年まではここを新101系電車が定期運用として走っていて、池袋線の撮影にあきると狭山線に通っていたものだ。

2020年10月2日金曜日

【ニッコールレンズの話】いろいろなニッコールレンズにコンタックスメタルフードを装着して悦に入る俺は「フード病」をこじらせたに決まってる 補遺


■コンタックスメタルフードが「さらに生えた」
かつての京セラ・コンタックス(またはヤシカ・コンタックス、略してヤシコンまたはY/C)RTSシリーズ用一眼レフカメラのカール・ツァイス*1交換レンズには、⌀86mmの円筒形で深さ(長さ)が5種類あるねじ込み式メタルフードおよび⌀82mmのW-1、レンズの何種類かのアタッチメントサイズに合わせた各種アダプターリングが用意されていた。そして、いくつか所有していたそれらのフードとアダプターリングを、用品メーカー製ステップアップリングを介してFマウントニッコールレンズにつけてみたら気に入ったという話を先日した。

そこでカメラ店で傷のある安価なコンタックスメタルフードとアダプターリングをさらにいくつか手に入れて、AI Nikkor 20mm f/2.8S、AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G(Special Edition)、AI Nikkor 85mm F1.4S、そしてAI Nikkor ED 180mm F2.8SおよびAI AF Nikkor 180mm f/2.8D IF-EDにあれこれとつけ替えて用いるようになったというところで、戦争は終結し世界には平和が訪れた。

2020年2月11日火曜日

【カメラ機材の話】Nikon Dfの試し撮りの日々

マグニファイングアイピース DK-17M(旧製品)と接眼目当て DK-19を装着

■日々これ試し撮り
2月も半ばを過ぎて、さらに今年は暖冬なだけありなおさら、春の訪れの気配がはっきりと感じられるようになった……などと書くとまた大雪が降るかもしれないけどさ。近頃はいろいろとやるべき作業をまた山積みにしているあいまの散歩に持ち出す際に、いろいろとNikon Dfで試写をして、感触を確かめている。

というのは、2020年のいまになってみると、2015年に上毛電気鉄道をDfで撮影するために使わせてもらっていたころとは、受ける印象がことなるからだ。5年のあいだにデジタルカメラの進歩がさらに進み、自分がいつのまにか「いまのカメラ」に慣れてしまったからなのだろう。そんなことは頭では理解していたつもりだったのだが。

2016年12月10日土曜日

【西武新101系電車なつかし記事】ああ、いずっぱこ! 伊豆箱根鉄道1301編成塗装変更の報を聞きながらもの思う


■いずっぱこでイエローとベージュのツートンカラー復活と聞いて
西武グループの一員である伊豆箱根鉄道ではこのところ「西武鉄道リバイバルカラー電車」づいているようだ。先ごろ、大雄山線に西武赤電塗装の5000系電車が走り始めたのは記憶に新しい。そして、ツイッター上では目撃情報があがっていた第二弾ともいえる「イエローパラダイストレイン」(YPT)として、駿豆線の1300系電車(元西武新101系電車)の1301編成が、西武鉄道で新製された当時の黄色にベージュのツートンカラーをまとって走り始めたという。やっほう! 黄色い新101系は西武鉄道には263編成を除いてもういない。そして、黄色一色よりもこのツートンカラーが私は好きなのだ。

2015年11月23日月曜日

【秩父鉄道2014年春】ポジフィルムで振り返る2014年3月21日「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」


■前年の「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」はポジでも撮っていた
秩父路より1000系電車(元国鉄→JR東日本101系電車)が姿を消して、はや1年半を過ぎた。最後に残った1003編成「オレンジバーミリオンII」がさよなら運転を行ったのは2014年3月末のこと。よく晴れた3連休の日だった。

2015年3月14日土曜日

【西武多摩湖線新101系263編成撮影記事】だって、黄色いアイツがいたから


■JRダイヤ改正の日に……西武沿線散歩
JRダイヤ改正のこの日。首都圏でも『北陸新幹線金沢開業』『上野東京ライン開業』の動きがあったのはご存じの通り。でも、私はすっかりそんなことを忘れていた。より正確にいうと、商店街を流れるラジオで思い出したくらい。考えたら、電車に毎日乗っていてもJRを使わないからかも。思い出せないことや認識しないことは、私には存在しないこととほぼ同義なのだろう。

この日私が考えていたのはむしろ、抵抗制御の電車の音が聴きたいなあという、実に極私的でヲタ的なことだった。さらに、そんな電車をできればマニュアルフォーカスレンズで地味に撮りたいなあ、というもの。そこで、Nikon D2XにMFニッコールレンズをつけて散歩がてら多摩湖線に寄ってみたら……奴がいた! 西武鉄道に残る唯一の黄色い新101系である263編成だ。

2014年3月29日土曜日

【秩父鉄道C58363PETIT撮影記事】ファーストラン目前に迫る! SLパレオエクスプレス試運転行われる


菜の花を優先してこの場所にしたけど、背景はどうしてもね

■SLパレオエクスプレス試運転に遭遇した
ふらりと尋ねた秩父鉄道では、7800系第4編成(7804F)が運用入りするようすを目撃した日には、SLパレオエクスプレスの試運転が行われていた。事前に情報を得ていたわけではない。「近くに立ち寄るしカメラを持っていくか」と思って熊谷で降り立ったときに、ふと今週末のファーストランのことを思い出し、そういえばそろそろ試運転なのではないか、と思い出して線路際で待ってみたら、運よく遭遇できたというだけだ。

2013年11月5日火曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】2008年9月、NikonF2を持って秩父へ行く


■Nikon Dfがいよいよ出た
ニコンがこのところずっとじらし広告(ティザー広告)で「11月5日になにかを発表する」と予告していたのは、ニコ爺でなくてもデジタルカメラ好きのお仲間にはご存知の通り。アメリカ辺りからはだいぶ前から写真やスペックが漏れ伝わっていたけれど、とうとうそのカメラが「Nikon Df」という名で、かつてのフィルムカメラF3やFEあるいはFAなどの1980年代テイストにあふれた、ダイヤルを中心としたデザインの35ミリフルサイズ(ニコンFXフォーマット)一眼レフであることが、正式に明らかになった。

2013年10月5日土曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】スカイブルー1001編成、夜の駅にて。そしてAI Nikkor 35mm f/1.4Sと1Nikkor 18.5mm f/1.8についてあれこれ


SL運行時期や観光シーズンの日中の人出が嘘のよう

■35mmレンズについていろいろわかった
先日来から、気になって自分のカメラのファインダーの見え方やレンズの絞りによる描写をあれこれ試し、過去に撮った写真を見返していて、興味深いことを知った。

2012年10月5日金曜日

【秩父鉄道1000系撮影記事】センガタン、夜を照らせ! Nikon D4の高感度性能におどろく

山の麓の駅で眠る1010編成と、入れかえ作業中の1003編成

■1000系電車の動向を知りたくて
先日の横瀬行きのあとの秩父鉄道訪問の目的は、じつは1000系電車1007編成「秩鉄リバイバルカラー」(通称チョコバナナ)の動向を知りたかったからだった。ただ、その日は台風接近を考えて広瀬川原や熊谷に寄らずに寄居で乗り換えてしまったので、チョコバナナには会えなかった。

2010年8月19日木曜日

【上信電鉄2010年8月PETIT撮影記 その2】西武451系、デキとともに眠る



■F2にモノクロフィルムをつめて高崎へ
「あそこにあるピンク色の錆びている電車は、古い西武線の電車で、黒い電気機関車はデキ1と3だよ。デキの後ろにも機関車がいるね」

早く電車に乗りたがっている我が家のチビッコに説明する私。チビッコは大宮から高崎までの新幹線の満員のデッキで私に抱かれているうちに眠ってしまい、いまじつに不機嫌な寝起きだ。

2009年5月31日日曜日

【秩父鉄道1002編成撮影記事】「秩鉄リバイバルカラーデハ100形タイプ」撮影記 前編

Ai Nikkor 50mm f/1.4S

■秩父鉄道で20年ぶりに鉄道を撮る
そらく、20年ぶりに秩父へ行った。それも、鉄道を撮ることだけを目的にして。

鉄道を撮ることだけを目的に秩父へ行ったのは、1988(昭和63)年春のデハ100形電車引退直前の桜の季節に行ったのが最後だ。それ以降も秩父へはなんども出かけている。だがそれはいつも観光や子連れでのおでかけがおもだった。鉄道撮影に出かけたのは20年ぶりだ。いやはや、20年なんてあっという間だった。

2009年4月27日月曜日

【秩父鉄道2009年】ニコンF2+モノクロフィルムで秩父に(後編)


パレオのヘッドマークも「しばざくら」号だった

■SLパレオエクスプレスは乗るのも楽しい
夏みたいな空の快晴で、新緑もまぶしい。西武鉄道発の直通列車で長瀞までやって来た秩父鉄道では、カラフルな秩父鉄道オリジナルカラーの1000系1010編成や1007編成に遭遇した。急行『秩父路』にもヘッドマークが取りつけられていた。新しい7000系電車も2編成とも走っていた。そして、おまちかねのSLパレスプレス5001列車がやってくるとプラットホームはおおさわぎ。

2009年4月26日日曜日

【秩父鉄道2009年】ニコンF2+モノクロフィルムで秩父に(前編)


■SLパレオエクスプレスに乗りにいった
行ってきました、秩父鉄道へSLパレオエクスプレスに乗りに。カメラはニコンF2のみ! しかも、フィルムはモノクロだ。