■「高まる」という日本語の自動詞を知っているか
動詞「高まる」の活用:高まる、高まります……
お高まってなさいませ
え。「お高まってなさいませ」!?
先日のベルリッツのロシア語版日本語動詞活用の小冊子の続きだ。動詞「高まる」というものが掲載されている。その活用のページをためしに見てみよう。日本語の「高まる」の意味は 「大きくなる、育つ、より大きな音になる」とある。
高まる
高まります
高まろう
高まるだろう
ふむふむ。
高まりましょう
いや、藪から棒にそう言われてもアナタ!
■「高まれ」という命令形に茶を吹いた
え。「お高まってなさいませ」!?
先日のベルリッツのロシア語版日本語動詞活用の小冊子の続きだ。動詞「高まる」というものが掲載されている。その活用のページをためしに見てみよう。日本語の「高まる」の意味は 「大きくなる、育つ、より大きな音になる」とある。
高まる
高まります
高まろう
高まるだろう
ふむふむ。
高まりましょう
いや、藪から棒にそう言われてもアナタ!
■「高まれ」という命令形に茶を吹いた
高まれ
え!? なにそれえらそう!
高まりなさい
ハイっ! とか思わず言いそうになるのはブラック企業出身者だからか。いやいや、でもそんな用法を実際に日本語で聞いたことがないな…… 。
高まってください
いやいや、にわかにそう言われても心の準備も……。
お高まってなさいませ
着物を着た青い目のロシア人が正座して指をついて土下座しながら 「大変恐縮ですが切にお願いがございます、殿さま。どうかお高まってなさいませ」とか言いだしたら、そうとう困惑するのではないか。私は困惑するね。
もちろんこの否定形もある。
お高まりなさいますな
いやだからね、そうそう高まっていませんったら。
■敬語と謙譲語もあるんだってさ
「高まる」には敬語と謙譲語もある。
お高まりになる
お高まりなさる
お高まりにする
お高まりいたす
「先生は今日もお高まりなさっている」とか そんな例文だろうか。夏目漱石『こころ』ですかっ!? 中高生が読書感想文で選んでもぜったいに感想なんてうまく書けないあの小説ですかっ!? 恋愛や男の友情は別に美しくもなんともなく、自分は身を引くといいながらみんなの心の中に強烈な印象と罪悪感を残して自殺するKだって、相当のエゴイストなんじゃねえの? とか、感想文で書いても怒られるだろうなあ。
といいますか、「お高まり」になるのはだれがいったいなにをさ?
そんな私をいわば「高まひひらせられる(ママ)」この本。 しばらく、楽しい読書をさせてもらうことになりそうだ。 私にとっては、ロシア語の勉強になるのだけどロシア語は正しいのでしょうかねえ。
■「杉本さんにコピーをさせてもらいました」
と少し疑うのは、ちょっと意味が違うのではないかと思う例文を見つけたから。
杉本さんにコピーをさせてもらいました
сугимото-сан-ни копи-сасетэ мораимас(и)та
ところが、このロシア語訳はこう書いてある。
Г-н Сугимото попросил меня сделать ему копии.
現代語ではこういうふうには言わないんじゃないかな。このロシア語の文の意味は 「杉本さんにコピーするように頼まれました」つまり「杉本さんが彼自身のためにコピーするように私に頼んだ」。 どちらの日本語でもコピーをするという行為者は「私」だ。でも、誰のために(誰が使う目的で)コピーをするのかの意味合いがことなる。
日本語例文の「杉本さんにコピーさせてもらいました」は 「彼のぶん」ではなく「私のぶん」を自分自身が使うためにお願いしてコピーさせてもらったという意味だろう。いっぽう、「彼のぶんをコピーしてあげた」という意味で 「させてもらいました」はへりくだりすぎる。その意味でもし使うとしたら「杉本さんのコピーをさせてもらいました」だろうか。「不肖私めが」というような、あるいは最近の若い方が使う私には大げさでくどくて気に入らない言い方をすれば「杉本さんに不肖私めがコピーさせていただきました」というやつだ。「杉本さんにコピーさせてもらいました」がこういう意味で発話されるならば現代語では少々わかりにくくて、じっさいに耳にしたら聞き直すか意味を考え込んでしまう。
例文が古臭い可能性は大いにある。ソビエトでの日本語教育の権威の先生方は、いわゆる「白系ロシア人」(ソビエト政権を忌避して極東に亡命したロシア人たち)の子どもたちで、幼少のころに旧満州に住んでいて日本語を日常的に使っていたひとたちであったり、あるいは朝鮮半島出身で日本語教育を受け、戦後のソビエトで大学教育を受けて教育職になったひとたちがたくさんいたからだ。筆者がソ連崩壊後にモスクワ大学アジア・アフリカ学科(ISAA)で会った教科書を著している教授方にはそうした、とても正確ではあっても私たちの世代から見るとやや古めかしい祖父母の世代の日本語を使うひとたちがたくさんいらしたことを覚えている。
米原万里の著書にもあったはずだ。「はなしばなし」という単語を使う日本語学習者がどうしてソビエト時代に多いのかと思っていたら、そうした日本語の権威とされる方が書いたソビエト時代の教科書に例文があるからだ知ったと。いわく、日本語の名詞の複数形には名詞を重ねて作るものがある。人々、山々、はなしばなし……と。
話を戻す。したがって「杉本さんにコピーをさせてもらいました」という意味でロシア語にするならば"Я попросил г-н Сугимото, чтобы я сделал копии." かな。чтобы以下の主語が、以前の動詞と違うのでсделал と過去形となるはずだ。 これでようやく「コピーさせてもらえるよう杉本さんに頼んだ」 つまり「コピーさせてもらった」になるのではないか。
ああ、いけねえ。そんなところで高まっているんじゃねえよ、俺!
話を戻す。したがって「杉本さんにコピーをさせてもらいました」という意味でロシア語にするならば"Я попросил г-н Сугимото, чтобы я сделал копии." かな。чтобы以下の主語が、以前の動詞と違うのでсделал と過去形となるはずだ。 これでようやく「コピーさせてもらえるよう杉本さんに頼んだ」 つまり「コピーさせてもらった」になるのではないか。
ああ、いけねえ。そんなところで高まっているんじゃねえよ、俺!