いづれの御時にか(*1)、いえいえ、あれは先の天子さまの御世のこと。東京の三田から西高島平を結ぶ地下鉄に6000系電車と名乗る電車がおりました。東京の地下鉄のうち第三軌条ではない集電方式の地下鉄はその頃もほとんどが相互乗り入れとして、国鉄や私鉄との直通運転を行っていたのに、この三田線は他社線ともつながらず、おまけに板橋区の地上区間ではどういうわけか曲線のたいへん多い路線で、終点の西高島平駅も終点らしくないようすの、子どもから見てもいっぷう変わった路線でした。
都でまことしやかに言われていた風の噂では、西高島平から先は根津さんのところの路線と接続する予定だとか、それを見越して6000系電車も地上線を走れるようにたいへん頑丈で、そのころ根津さんのところで作られていた「私鉄の103系電車」に似せて作られたとか。そしてまた、東にも伸びて泉岳寺からは五島さんのところにも結ぶつもりであったとも。ところが、そのわりには西にも東にも工事が進むようすもなく、都営地下鉄特有の薄暗い地下駅をガタピシと大きな音を立てながら日々黙々と6000系電車は走っているようでした。
噂好きな者たちによれば、根津さんや五島さんのところはそれぞれ都営三田線ではなく営団地下鉄(当時)と結ぶことを選んだために、東京都との約束を反古にしたそうですが、子どもである筆者がそれを知ったのは最近のことです。やんごとないかたがたによけいな詮索をしないのが下々の者の慎みでしょう(ミトじいですね)
6000系電車の運命が大きく変わったのはその前の天子さまの御世が終わる頃。運輸を司る大臣のもとでつくられた審議会で、三田線が東に目黒まで伸びてさらに五島さんのところとつながることになったようです。そして、そのために新たに対応工事を行うことも考えられたようですが、結局は新しい電車が作られることとなり、この6000系電車は身を引くことになりました。
とはいえ、頑丈に作られた電車ですし、まだまだ古びておりません。ご存じの通り、熊本とここ秩父、そして遠く海の向こうのジャカルタに渡っていまでも走り続けております。
……って誰だ私は。という口調でお届けした今回のエントリーに、みなさんが呆れていないか少し心配だ。電子タイフォンではなく、ガタピシ大きめの音をさせながらこの電車がやって来ると、かつては「ちっ! 1000系じゃないのか!」「しかも、続けざまに来やがって!」などと、罵りの対象(*2)でさえあった(けれど、夏場の移動中には3両すべてが冷房があってよかった)電車なのに。いまや、来てくれたら必死にレリーズしたくなる存在だ。いや、それではまるで『エヴゲニー・オネーギン』のターニャ(*3)……。
*1いづれの御時にか:源氏物語の書き出しですね。以下を古文調にしようとして、古文がいみじく苦手であったことを思い出しました(汗)。
*2電子タイフォンではなく、ガタピシ大きめの音をさせながらこの電車がやって来ると、かつては「ちっ! 1000系じゃないのか!」「しかも、続けざまに来やがって!」などと、罵りの対象:秩鉄ファンには地味でおとなしい人が多いので、この電車が好きという人はもちろんいたもののあまりそれを声高にアピールする人は少なかった気がする。国鉄ファンと東急ファンが秩父沿線にやって来て、この電車が来ると「なあんだ」という顔をして撮影しないところにはよく遭遇したし、かつての自分も(汗)
*3『エヴゲニー・オネーギン』のターニャ:何度も何度も書いているところが私のぶれないところ。かつて自分を愛してくれていた女性が他人のものになってから執着するも、もちろん断られるという、プーシキン作のロシア文学の古典。