■モスクワ中央環状線開通と聞き
さる2016年9月10日に、モスクワ市にあらたに「モスクワ中央環状線」(略称МЦК(MTsK エムツェーカー):マスコーフスコエ・ツェントラーリノエ・カリツォー)という鉄道路線が開業したという。
ここ数年来工事を進めているということは聞いていたので、ついに開業したのかとうれしくなった。正式名称はモスクワ環状鉄道(略称МКЖД:MKZhD エムカージェーデー)。ロシア鉄道とモスクワ地下鉄が施設を所有し、運営に当たる。モスクワ市地下鉄14号線でもあり、運賃は地下鉄と同様に均一料金。全線54kmで駅はすべて開業すると31駅とのことだ。
モスクワの鉄道網は東京やベルリンとはことなり、地上を走る通勤電車は都心部のターミナル駅に乗り入れるのみで、環状して走るのは地下鉄だけだった。地下鉄環状線(メトロ・カリツェヴァーヤ・リーニヤ)はちょうど東京でいうところの山手線のように、都心中央部の外周をまわっている。サンクト・ペテルブルク方面の発着駅であるレニングラード駅や、シベリアへの列車が発着するヤロスラブリ駅、ヨーロッパ方面への列車の発着駅であるベルロシア駅、中央アジア方面の列車の発着駅であるカザン駅など*1を地下鉄環状線が結ぶ。それより内側を走る鉄道は、地下鉄とわずかに残る路面電車(トラムヴァーイ)のみだ。
そしてそれより外側には、環状に市内を移動する公共交通はバスとトロリーバスがあるのみだった。ただし、貨物線は存在した。そこで、この既存の貨物線を電化して旅客化したのがこのモスクワ中央環状線というわけだ。たしか、数年前にはこの貨物線の一部区間に蒸気機関車牽引の列車を走らせていたのではなかったか。
■東京に例えるとJR武蔵野線や湘南新宿ラインかな
ただし「中央環状線」と名乗るとはいえ、東京圏在住の筆者からするとむしろ、沿線の雰囲気は東京の外周を回るJR武蔵野線に近い。位置関係はもう少し市の内側で、東京で考えると23区と市部の境あたりだろうか。『ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)』によるRussia Beyond the Headlines(RBTH)の日本語版ロシアNOWで見る沿線風景動画に映る風景は都市郊外そのもので、武蔵野線からの車窓風景を思い起こさせる。
モスクワの鉄道網は東京やベルリンとはことなり、地上を走る通勤電車は都心部のターミナル駅に乗り入れるのみで、環状して走るのは地下鉄だけだった。地下鉄環状線(メトロ・カリツェヴァーヤ・リーニヤ)はちょうど東京でいうところの山手線のように、都心中央部の外周をまわっている。サンクト・ペテルブルク方面の発着駅であるレニングラード駅や、シベリアへの列車が発着するヤロスラブリ駅、ヨーロッパ方面への列車の発着駅であるベルロシア駅、中央アジア方面の列車の発着駅であるカザン駅など*1を地下鉄環状線が結ぶ。それより内側を走る鉄道は、地下鉄とわずかに残る路面電車(トラムヴァーイ)のみだ。
そしてそれより外側には、環状に市内を移動する公共交通はバスとトロリーバスがあるのみだった。ただし、貨物線は存在した。そこで、この既存の貨物線を電化して旅客化したのがこのモスクワ中央環状線というわけだ。たしか、数年前にはこの貨物線の一部区間に蒸気機関車牽引の列車を走らせていたのではなかったか。
■東京に例えるとJR武蔵野線や湘南新宿ラインかな
ただし「中央環状線」と名乗るとはいえ、東京圏在住の筆者からするとむしろ、沿線の雰囲気は東京の外周を回るJR武蔵野線に近い。位置関係はもう少し市の内側で、東京で考えると23区と市部の境あたりだろうか。『ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)』によるRussia Beyond the Headlines(RBTH)の日本語版ロシアNOWで見る沿線風景動画に映る風景は都市郊外そのもので、武蔵野線からの車窓風景を思い起こさせる。
ボタニーチェスキー・サット(植物園)駅、ブリバール・ロコソーフスカヴァ(ロコソフスキー庭園通り)駅、イズマイロヴォ駅、ショッセ・エントゥジアストフ(エントゥジアスト街道)駅、ドゥブロフカ駅、アフトザヴォーツカヤ(自動車工場:「ジル」ことリハチョフ名称自動車工場がある。ただし、すぐ隣にジル駅もあるので、既存の地下鉄ザマスクヴァレツカヤ線との乗換のために設けられた)駅、プローシャジ・ガガーリナ(ガガーリン広場)駅、ルージニキ駅、クトゥーゾフスカヤ駅、ジェラヴォイ・ツェントル(ビジネス・センター)駅、ハラショーヴァ駅、バルチースカヤ駅で、それぞれ地下鉄に乗り換えが可能だという。この駅名を見ても、それぞれ地下鉄の郊外部の駅だ。
鉄のお仲間のみなさんには「JR武蔵野線をE231系電車が走るようなもの」と想像してもらうと、わかりやすいかもしれない。より正確には、武蔵野線・京葉線からりんかい線の東臨運輸区と東京貨物ターミナルに渡り線を設けて、東京湾トンネルを通って浜川崎に出て、南武支線から新鶴見信号所を通って梶ヶ谷貨物ターミナルを通って武蔵野線を完全に環状する旅客線ができたような……山手貨物線を通る湘南新宿ラインみたいなものといえばもっと簡単だった。
なお「中央」環状線と名乗るのは、さらに外周に地下鉄の環状線が計画されているからのようだ。少子高齢化が進むいまとなっては、東京圏にはもう武蔵野線の外側を環状に走る鉄道はできそうにない。
■1990年代にはディーゼル機関車が貨物列車を牽引していた
■吊り掛け式駆動電車がもし走っていたらと妄想
モスクワ中央環状鉄道を走る電車はジーメンス製ЭС2Г(ES2G)型「ラースタチカ(つばめ)」だ。ロシア語で「エレクトリーチカ(電車)」というと、緑色で車体にリブがあり、2扉で木製の椅子のある近郊型電車ЭР2(ER2)を思い出してしまうのは筆者がアナクロだから。ER2とその後継であるER4はいまは独立したバルト三国のラトビア・リガ車両製造工場(ラトビア語では"RVR : Rīgas vagonbūves rūpnīca"。ロシア語では"Рижский вагоностроительный завод"(リーシュスキー・ヴァゴナスタライーチェリヌィ・ザヴォート))製だ。二扉でデッキがあり木製の椅子が並んでいた。「木製の椅子で吊り掛け駆動の165系電車」といえばいいかな。80系電車の初期型の感じかも。セルギエフ・ポサードまで往復したことがある。「ガイジンが乗ってきたぞ」という好奇の目で見られたし、お尻が痛くなった。写真を撮る勇気がなかったのが残念だ。
【撮影データ】
Nikon New FM2, Konica BiGmini BM-301/Ai Nikkor 35mm f/2S, MC MIR-24N 2/35/Kodak Academy 200, SVEMA Foto100/ILFORD ID-11ほか
(最後の写真は1994年9月、ほかは1995年2月から3月撮影)
鉄のお仲間のみなさんには「JR武蔵野線をE231系電車が走るようなもの」と想像してもらうと、わかりやすいかもしれない。より正確には、武蔵野線・京葉線からりんかい線の東臨運輸区と東京貨物ターミナルに渡り線を設けて、東京湾トンネルを通って浜川崎に出て、南武支線から新鶴見信号所を通って梶ヶ谷貨物ターミナルを通って武蔵野線を完全に環状する旅客線ができたような……山手貨物線を通る湘南新宿ラインみたいなものといえばもっと簡単だった。
なお「中央」環状線と名乗るのは、さらに外周に地下鉄の環状線が計画されているからのようだ。少子高齢化が進むいまとなっては、東京圏にはもう武蔵野線の外側を環状に走る鉄道はできそうにない。
■1990年代にはディーゼル機関車が貨物列車を牽引していた
筆者はモスクワを訪問したのが2001年冬が最後なので、もう15年もごぶさたしている。ほんとうはすごく行きたいんだよ、ロシアに。だから、最新の写真は手元にない。掲載した写真も何度もみなさんにお見せしたものばかりだ。
1994年から1995年に筆者はこのモスクワ中央環状線の沿線のほんの外側であるヴァラビョーヴィエ・ゴールィ(雀が丘)のモスクワ国立大学の寮に住んでいて、都心に出るのにときどき少し遠回りをしていた。地下鉄駅レーニンスキー・プロスペクト(レーニン大通り)に接続するプローシャジ・ガガーリナ(ガガーリン広場)付近の当時の貨物線の様子が何枚か写してあった。レーニンとガガーリンの名前が出てきて、いかにもソビエトっぽい。
ガガーリン広場には、巨大なガガーリン像が立っていた。口の悪いモスクワっ子は、このガガーリン像をその形状から「アトクルィヴァーチェリ(栓抜き)」と呼んでいるとかいないとか。雄々しすぎて、小柄だったガガーリンのようには見えない。理想的な姿で人民を鼓舞することをめざした社会主義リアリズム時代の名残だ。
地下鉄レーニンスキー・プロスペクト駅のそばにこの貨物線の線路がある。それを活用して地下鉄との乗換駅ができた。当時の筆者は「非鉄時代」であり、さらにはソ連崩壊後のロシアで鉄道を写していいのかよくわからないでいた。カメラを向けてパトロール中の兵士に見つかり制止されたことは、爆弾テロ事件のあとくらいにしかなかったのだが。そういうわけで、旅行で乗った列車の記念写真以外は、地下鉄とトラムヴァーイくらいしか写していない。
1994年から1995年に筆者はこのモスクワ中央環状線の沿線のほんの外側であるヴァラビョーヴィエ・ゴールィ(雀が丘)のモスクワ国立大学の寮に住んでいて、都心に出るのにときどき少し遠回りをしていた。地下鉄駅レーニンスキー・プロスペクト(レーニン大通り)に接続するプローシャジ・ガガーリナ(ガガーリン広場)付近の当時の貨物線の様子が何枚か写してあった。レーニンとガガーリンの名前が出てきて、いかにもソビエトっぽい。
ガガーリン広場には、巨大なガガーリン像が立っていた。口の悪いモスクワっ子は、このガガーリン像をその形状から「アトクルィヴァーチェリ(栓抜き)」と呼んでいるとかいないとか。雄々しすぎて、小柄だったガガーリンのようには見えない。理想的な姿で人民を鼓舞することをめざした社会主義リアリズム時代の名残だ。
地下鉄レーニンスキー・プロスペクト駅のそばにこの貨物線の線路がある。それを活用して地下鉄との乗換駅ができた。当時の筆者は「非鉄時代」であり、さらにはソ連崩壊後のロシアで鉄道を写していいのかよくわからないでいた。カメラを向けてパトロール中の兵士に見つかり制止されたことは、爆弾テロ事件のあとくらいにしかなかったのだが。そういうわけで、旅行で乗った列車の記念写真以外は、地下鉄とトラムヴァーイくらいしか写していない。
それでも、毎日カメラは持ち歩いていた。たまたまバスを降りてレーニン大通りから下を走る貨物線の線路を見下ろすと、たまたま列車がやってきたところを写しただけだ。Googleマップで見ると、いまはこの線路の上は公園になっていて、中央環状線は約1kmほどトンネルのなか(ガガーリン・トンネル)を走るそうだ。プローシャジ・ガガーリナ駅も地下駅だ。
走ってきた列車はいま見るとM62型ディーゼル機関車の2車体方式バージョン2M62U(2М62У)の単機回送だった。M62型はウクライナ・ルガンスクディーゼル機関車機関車工場製の電気式ディーゼル機関車だ。ルガンスクとは「ルハンシク」とウクライナ語でよぶウクライナ東部の工業都市。ただしロシア語人口の多いウクライナ東部であるためか、Webサイトにもロシア語の"Лугансктепловоз"(ルガーンスクチェプロヴォーズ)とある。(2021年6月追記:ルガンスクディーゼル機関車工場はウクライナ東部紛争(ドンバス戦争)の影響を受けて操業を停止しているようだ)
■ソ連崩壊後の写真もソビエト時代のように見える
モスクワ中央環状鉄道は何度かモスクワ川を渡る。モスクワ川が蛇行して流れているからだ。この、ゴーリキー公園近くでスタジアムがあるルージニキを結ぶ橋はノヴォアンドレイエフスキー・モスト(ノヴォアンドレイエフ橋)と名づけられている。貨物線だったころから歩行者通路があった。いまは自動車道(第3交通環状線:トレーチエ・トランスポルトノエ・カリツォー)が平行しているので、その橋もかけられている。
走ってきた列車はいま見るとM62型ディーゼル機関車の2車体方式バージョン2M62U(2М62У)の単機回送だった。M62型はウクライナ・ルガンスクディーゼル機関車機関車工場製の電気式ディーゼル機関車だ。ルガンスクとは「ルハンシク」とウクライナ語でよぶウクライナ東部の工業都市。ただしロシア語人口の多いウクライナ東部であるためか、Webサイトにもロシア語の"Лугансктепловоз"(ルガーンスクチェプロヴォーズ)とある。(2021年6月追記:ルガンスクディーゼル機関車工場はウクライナ東部紛争(ドンバス戦争)の影響を受けて操業を停止しているようだ)
■ソ連崩壊後の写真もソビエト時代のように見える
モスクワ中央環状鉄道は何度かモスクワ川を渡る。モスクワ川が蛇行して流れているからだ。この、ゴーリキー公園近くでスタジアムがあるルージニキを結ぶ橋はノヴォアンドレイエフスキー・モスト(ノヴォアンドレイエフ橋)と名づけられている。貨物線だったころから歩行者通路があった。いまは自動車道(第3交通環状線:トレーチエ・トランスポルトノエ・カリツォー)が平行しているので、その橋もかけられている。
写真で見るとモスクワの繁栄ぶりには驚かされる。筆者がいた時代はもう大昔というわけだ。なにしろいまや高層ビルコンプレックスのモスクワ・シティ(Московский Международный Деловой Центр:ММДЦ)などいうものがあるのだもの。私がいたころのモスクワの近代高層建築といえば、ノーヴィ・アルバートの高層ビルとモスクワ市市庁舎になったコメコンビル、そしてアーマンド・ハマーの建てた国際貿易センタービルのほかは、スターリン建築と郊外のアパート群くらいしかなかったのだ。この国際貿易センタービルは、一般のロシア人は入れないように意図的にどの地下鉄駅からも遠いところに設けられていて、たんに西側から来ただけでお金がない学生は入れても、あまりそう居心地のよろしくないビルだった。佐藤優さんの本などを参照されたい。
ほとんどの写真はレーニンスキー・プロスペクト駅付近のガガーリン区よばれている市の南西部から南部の写真だが、以下は市の南部のユージヌイ・レチノイ・ヴァクザール(モスクワ川南港)方面をコローメンスコエから望んでいる。地下鉄ザマスクヴァレツカヤ線はアフトザヴォーツカヤ駅のあたりでモスクワ川を地上で渡る。そこから見える光景は、多摩川の六郷土手あたりに似ている気がしていた。モスクワのほうが緑が多いか。思えばこのころから私は都心よりも郊外の町ばかりうろうろしているというわけか。
ほとんどの写真はレーニンスキー・プロスペクト駅付近のガガーリン区よばれている市の南西部から南部の写真だが、以下は市の南部のユージヌイ・レチノイ・ヴァクザール(モスクワ川南港)方面をコローメンスコエから望んでいる。地下鉄ザマスクヴァレツカヤ線はアフトザヴォーツカヤ駅のあたりでモスクワ川を地上で渡る。そこから見える光景は、多摩川の六郷土手あたりに似ている気がしていた。モスクワのほうが緑が多いか。思えばこのころから私は都心よりも郊外の町ばかりうろうろしているというわけか。
■吊り掛け式駆動電車がもし走っていたらと妄想
モスクワ中央環状鉄道を走る電車はジーメンス製ЭС2Г(ES2G)型「ラースタチカ(つばめ)」だ。ロシア語で「エレクトリーチカ(電車)」というと、緑色で車体にリブがあり、2扉で木製の椅子のある近郊型電車ЭР2(ER2)を思い出してしまうのは筆者がアナクロだから。ER2とその後継であるER4はいまは独立したバルト三国のラトビア・リガ車両製造工場(ラトビア語では"RVR : Rīgas vagonbūves rūpnīca"。ロシア語では"Рижский вагоностроительный завод"(リーシュスキー・ヴァゴナスタライーチェリヌィ・ザヴォート))製だ。二扉でデッキがあり木製の椅子が並んでいた。「木製の椅子で吊り掛け駆動の165系電車」といえばいいかな。80系電車の初期型の感じかも。セルギエフ・ポサードまで往復したことがある。「ガイジンが乗ってきたぞ」という好奇の目で見られたし、お尻が痛くなった。写真を撮る勇気がなかったのが残念だ。
ER2はめずらしくない電車だったから、映画『モスクワは涙を信じない』にも出てくる。YouTubeにあるモスフィルム公式の動画第2部の28:38あたりで主人公カーチャが汚れた靴を履いているゴーシャと知り合う場面が描かれている。おばあさんが列車内に持ち込んだ大きなサモワールを運んでやり、そのあとで主人公の向かいの席に座る。いい感じの男性だと思って目をやると靴が泥だらけで、思わずカーチャの顔が厳しくなる。それを見てゴーシャがいう。
「俺だって、汚れた靴にはがまんできないさ」「そう。私はあなたの靴なんて気にしないけど」「でも、とにかく不愉快なんだろ。あなたの顔にそう書いてある」と話しかけるところね。
「ひとの顔の表情を読むのは趣味かなんかなの」
「まさか。でも俺はわかる。たとえば、あなたは独身だってことも」
「独身の女にはなにか特別なことがあるとでも」
「うーん、目つきがちがう。何かを執拗に探している。そういう目つきをするのは民警か企業のリーダー、あるいは独身の女性だ」
「じゃあ、私は民警なの」
「まさか」
「企業のリーダーかしら」
「いや。でも、あなたは工場で働いていて、特別な地位にある。職長かなにか。そして労働組合の指導者とか」
「だいたいあたってる」
じつは「言い当てられた」主人公カーチャは工場長だった、という皮肉なおかしみが観客にはわかる。そういう重要なシーンにもER2が出てくるわけですよ(オタク特有の早口で)。
それが、国産ではなくドイツ製の電車を使うところがいまのロシアらしい。ソ連時代だってロシア製ではないから同じか。モスクワとサンクト・ペテルブルクを結ぶ高速列車サプサンもジーメンス製の電車だ。ソビエト製の高速鉄道用の電車ЭР200(ER200)を見てみたかったよ。
このモスクワ中央環状鉄道がもしソビエト時代に開業していたらと妄想する。ER2が吊り掛け駆動の音をたてて走っていて、社会主義時代の緑皮車好きのおっとっとさんも私も大喜びしただろう。でも、ソビエト時代であれば撮影はできそうにないな。いまであれば写真を撮ってもとがめられることもないだろう。それにしても、ジーメンスのインバーターといえば歌うのだろうか、などと気になることはたくさんある(YouTube動画を見ていると、どうやら歌わないみたい)。ああ、モスクワに行きたい!*2
YouTubeにさっそくロシアのみなさんがアップされた動画がある。うーん、沿線風景はやはりJR武蔵野線という感じ。そのなかのひとつでプローシャジ・ガガーリナ駅を「なんだかヨーロッパの地下鉄の駅みたい」と撮影者が語っていたけれど、新しい鉄道路線は無国籍風でどこもそう雰囲気が変わらいものだなと思わされたし、私にはドイツの鉄道や仁川空港鉄道を思い起こさせた。
*1 サンクト・ペテルブルク方面の発着駅であるレニングラード駅や、シベリアへの列車が発着するヤロスラブリ駅、ヨーロッパ方面への列車の発着駅であるベルロシア駅、中央アジア方面の列車の発着駅であるカザン駅など:この名前のつけかたは、パリの駅をご存じの方は理解できるだろう。「ガール・ド・リヨン」(リヨン方面駅)というような命名だ。つまり、モスクワ市内の発着駅もそれぞれ「レニングラード方面駅」「ヤロスラブリ方面駅」という意味だ。
*2 ああ、モスクワに行きたい!:チェーホフ『三人姉妹』のイリーナのセリフ
【2021年6月追記】
このモスクワ中央環状鉄道がもしソビエト時代に開業していたらと妄想する。ER2が吊り掛け駆動の音をたてて走っていて、社会主義時代の緑皮車好きのおっとっとさんも私も大喜びしただろう。でも、ソビエト時代であれば撮影はできそうにないな。いまであれば写真を撮ってもとがめられることもないだろう。それにしても、ジーメンスのインバーターといえば歌うのだろうか、などと気になることはたくさんある(YouTube動画を見ていると、どうやら歌わないみたい)。ああ、モスクワに行きたい!*2
YouTubeにさっそくロシアのみなさんがアップされた動画がある。うーん、沿線風景はやはりJR武蔵野線という感じ。そのなかのひとつでプローシャジ・ガガーリナ駅を「なんだかヨーロッパの地下鉄の駅みたい」と撮影者が語っていたけれど、新しい鉄道路線は無国籍風でどこもそう雰囲気が変わらいものだなと思わされたし、私にはドイツの鉄道や仁川空港鉄道を思い起こさせた。
*1 サンクト・ペテルブルク方面の発着駅であるレニングラード駅や、シベリアへの列車が発着するヤロスラブリ駅、ヨーロッパ方面への列車の発着駅であるベルロシア駅、中央アジア方面の列車の発着駅であるカザン駅など:この名前のつけかたは、パリの駅をご存じの方は理解できるだろう。「ガール・ド・リヨン」(リヨン方面駅)というような命名だ。つまり、モスクワ市内の発着駅もそれぞれ「レニングラード方面駅」「ヤロスラブリ方面駅」という意味だ。
*2 ああ、モスクワに行きたい!:チェーホフ『三人姉妹』のイリーナのセリフ
【2021年6月追記】
2021年1月16日づけの『ロシア・ビヨンド』の記事によるとER2形電車のうち、あちらの鉄道員のみなさんやあちらのヲタには「グローブス(глобус / globe:地球儀)」とよばれているらしい初期型の円形運転台を持つ車両がモスクワと近郊のスキー場のある町ヤフロマを結ぶスキーヤー向け特別列車として運用されているそうだ。緑色のリバイバル塗装をまとい「ヤフロマ」というロゴが入れられ、木製の内装をいかして整備されているようで、トイレも設置されている。「ロシアンミ※ーカ」ふうというところか。スキー場ではさらに黄色いイカルス200シリーズ連接バスも使われているそうで……見たいし乗ってみたい。モスクワへ行きたい。
【撮影データ】
Nikon New FM2, Konica BiGmini BM-301/Ai Nikkor 35mm f/2S, MC MIR-24N 2/35/Kodak Academy 200, SVEMA Foto100/ILFORD ID-11ほか
(最後の写真は1994年9月、ほかは1995年2月から3月撮影)