■桜井線の魅力は都市近郊を走るところ
JR桜井線(万葉まほろば線)の私にとっての魅力とは、歴史のある駅を結びながら、都市近郊をのんびりと走るところにあるとは、これまで何回かにわたって書いてきたところ。この夏にしばらく滞在していた松原市内から通ってみて、それを理解した。105系電車が里山の風景を走るところを見たいならば、桜井線よりもむしろ和歌山線の吉野口あたりででも撮るべきだろう。
そこで、ひとびとが暮らす街中を走る姿を撮るにはどうすればよいか。
滞在先から近鉄南大阪線を使ったアクセスを考えていて、橿原神宮前駅から近鉄橿原線に乗り換え、八木西口駅で降りれば桜井線畝傍駅はすぐそばであることがわかった。もっとも、これを知ったのはじつはうっかりミスがきっかけだ。
というのも、あるときに大和八木駅で降りようとしたところを、ひとつ手前の八木西口駅でまちがえて降りてしまった。ためしにそこでスマートフォンの地図アプリを見ていたら、八木西口駅のすぐ橿原神宮前駅寄りで、近鉄橿原線を桜井線がオーバークロスしている。プラットホームから見たら桜井線の線路はすぐ目の前だった。
■畝傍駅だけでも見る価値がある
近鉄橿原線八木西口駅から桜井線畝傍駅までは歩いて5分程度だった。八木西口駅前には商店がいくらかある。橿原市役所もすぐそばにあり、銀行も並ぶ。
■畝傍駅だけでも見る価値がある
近鉄橿原線八木西口駅から桜井線畝傍駅までは歩いて5分程度だった。八木西口駅前には商店がいくらかある。橿原市役所もすぐそばにあり、銀行も並ぶ。
ところが、すぐそばにある畝傍駅前はというと、木造のたいへん立派な駅舎の前はどちらかというと、商業地としてはいまとなっては外れに位置し、むしろ住宅地のなかにあるといったところ。いまは店をたたんでしまった古いお店がめだつ。広い駅前には路線バスが乗り入れるでもない。昼間は歩いているひとも多くはない。たまに、のんびりと走る自転車が現れ、スクーターに乗った僧侶がいるくらい。畝傍駅の待合室には、暇そうな少年少女がベンチでだべっているほかは、桜井線の列車がやって来る直前になると、通学定期券を持っているとおぼしき高校生たち(夏休み期間なので私服の子たちが多い)と、私のようなテツがちらほらといるだけ。もっとも、2両編成の列車の座席が埋まるくらいの乗り降りはある。
いくら少子高齢化の時代でモータリゼーションが進んでいても、人口も多そうな町なのに、ひとの少ないこの感じは不思議だなあ、と思っていて、そのあとで私は大和八木駅で乗降してひどく驚かされた。町の表玄関は大和八木駅だということを遅まきながら知ったというわけだ。
■駅舎を見るだけでも畝傍駅を訪れる価値がある
というのも、大和八木駅は近鉄大阪線と樫原線の乗り換え駅であり、特急停車駅でもある一大ジャンクションなのだ。まるで、東急東横線と大井町線の乗り換え駅である自由が丘みたいだ。駅前には近鉄デパートもあり、繁華街があり、大きなバスターミナルもある。
いっぽう、それより前の1893年(明治26年)に開業している桜井線畝傍駅は、近鉄樫原線の前身である大阪電気軌道が新駅を1923年(大正12年)に現在の八木西口駅の位置に八木駅として開業させ、1925年(大正14年)に大阪電気軌道八木線(現在の大阪線)が高田駅(現在の大和高田駅)から延伸し、1929年(昭和4年)の 八木線の桜井への延伸……という発展のまえにコテンパンにされたというわけか。まるで新幹線開業後の並行在来線のような存在といっていいだろうか。いまの乗車人員数を見ると、年度が揃わないのと片方が平均値なので正確な比較ではないのは承知のうえで書くが、大和八木の2015年11月10日が36,886人に対して、畝傍は2016年の平均値が466人。
もっとも、おそらくはそうして近隣の駅よりも乗降客数が少ないままでいたためなのだろう。皮肉にも畝傍駅はいまふうの駅舎に作り変えられることなく、皇紀2600年である昭和15年の昭和天皇の行幸のさいに作られた貴賓室がある駅舎が残されている。貴賓室はふさがれていて、ふだんは見ることはできないが、改札口からホームにいたるあたりの階段の造作などの意匠を見ながら、往時のにぎわいを想像してみるのは結構楽しい。
奈良盆地の夏は私には蒸し暑くてほんとうに参ってしまった。だから、列車を待つでもなく畝傍駅の日陰で座り込んで、考えるともなくあれこれぼんやりしていた。いま思えば、それはとてもぜいたくな時間の使い方だった気もする。
【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH. LUMIX G 42.5mm / F1.7 ASPH. / POWER O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019
いくら少子高齢化の時代でモータリゼーションが進んでいても、人口も多そうな町なのに、ひとの少ないこの感じは不思議だなあ、と思っていて、そのあとで私は大和八木駅で乗降してひどく驚かされた。町の表玄関は大和八木駅だということを遅まきながら知ったというわけだ。
■駅舎を見るだけでも畝傍駅を訪れる価値がある
というのも、大和八木駅は近鉄大阪線と樫原線の乗り換え駅であり、特急停車駅でもある一大ジャンクションなのだ。まるで、東急東横線と大井町線の乗り換え駅である自由が丘みたいだ。駅前には近鉄デパートもあり、繁華街があり、大きなバスターミナルもある。
いっぽう、それより前の1893年(明治26年)に開業している桜井線畝傍駅は、近鉄樫原線の前身である大阪電気軌道が新駅を1923年(大正12年)に現在の八木西口駅の位置に八木駅として開業させ、1925年(大正14年)に大阪電気軌道八木線(現在の大阪線)が高田駅(現在の大和高田駅)から延伸し、1929年(昭和4年)の 八木線の桜井への延伸……という発展のまえにコテンパンにされたというわけか。まるで新幹線開業後の並行在来線のような存在といっていいだろうか。いまの乗車人員数を見ると、年度が揃わないのと片方が平均値なので正確な比較ではないのは承知のうえで書くが、大和八木の2015年11月10日が36,886人に対して、畝傍は2016年の平均値が466人。
もっとも、おそらくはそうして近隣の駅よりも乗降客数が少ないままでいたためなのだろう。皮肉にも畝傍駅はいまふうの駅舎に作り変えられることなく、皇紀2600年である昭和15年の昭和天皇の行幸のさいに作られた貴賓室がある駅舎が残されている。貴賓室はふさがれていて、ふだんは見ることはできないが、改札口からホームにいたるあたりの階段の造作などの意匠を見ながら、往時のにぎわいを想像してみるのは結構楽しい。
奈良盆地の夏は私には蒸し暑くてほんとうに参ってしまった。だから、列車を待つでもなく畝傍駅の日陰で座り込んで、考えるともなくあれこれぼんやりしていた。いま思えば、それはとてもぜいたくな時間の使い方だった気もする。
【撮影データ】
Panasonic LUMIX DMC-GX7 Mark II/LEICA DG SUMMILUX 15mm / F1.7 ASPH. LUMIX G 42.5mm / F1.7 ASPH. / POWER O.I.S./Adobe Photoshop CC 2019