2020年10月18日日曜日

【ソビエトレンズ】MC HELIOS-44M-6 58mm F2.0をSony α7IIに装着して撮ってみた話


■MC HELIOS-44M-6で撮ってみた 
ソビエトレンズの代表といってもよさそうな標準レンズHELIOS-44 58mm F2.0というものがある。製造本数が膨大な数に及ぶらしく、めずらしいものではない。守備範囲を決めないときりがないからという理由でM42マウントレンズはできるだけ避けてきた私でさえ持っている。


■世界で最も製造本数が多いレンズのひとつ
原設計はカール・ツァイスBiotar 58mm F2.0。戦時賠償という名目で第二次世界大戦後にソビエト軍占領下にあったイエナから、クラスノゴールスク光学機械工場(KMZ/カー・エム・ゼー)に原材料、設計図、製造設備と人員を持って行って作らせたBTK(ベー・テー・カー/BioTar Krasnogorsky)58mm F2.0を、ガラス材料の変更とそれに応じた設計変更、コーティングの改良、自動絞り機構の追加などをなんども重ね、製造工場を変えながらソ連崩壊後まで作り続けられたものだ。

いまでも何十万本も残されているだろう。おそらくは世界で最も製造本数の多いレンズのうちのひとつだ。1958年の一眼レフSTART(バヨネットマウント)の付属レンズでもあり、M39マウント、M42マウント、そしてKマウント化もされて長いあいだ製造され続けて、ソ連崩壊後に日本製シャッターを用いて製造されたKマウントのAE搭載一眼レフZENIT-Avtomat(ゼニットアフタマート)シリーズにも付属していた。


半世紀近く製造され続けたのは、そこそこの性能を持っていて汎用的で使いやすく、製造コストが量産効果によって安くなり、したがって売価を高くしないで済むからだったと推測している。計画経済のソビエトでは民生用の耐久消費財の生産は優先順位が低く、とにかく増産するように指示があったとも思う。

だから、いま私たちが何かで目にするソビエト時代のアマチュアやアドバンストアマチュアが撮影した写真には、このレンズで撮影された写真がたくさんあるのだろう。ソ連崩壊後の1994年から1995年にかけてモスクワで暮らしていた際もよく見かけたものだ。

通信社の記者などはNikonやCanonを使っていたものの、安価な国産品であるために警察や研究機関などでも用いられていたようだ。亡命した民警(ミリツィヤ:内務省人民警察。現在は「ポリツィヤ」と改称)幹部が書いたソビエト時代の警察小説を読んだことがあるけれど、その作品中で民警が公務で使用するカメラもZENITだった。KMZにはクリップオンストロボとセットにしたキットもあった。友だちがある日「隣の家に泥棒が入ったのだけど、民警の鑑識がZENITにHELIOS-44をつけて写真を撮っていたよ!」とうれしそうに報告してくれた記憶がある。絞り値をF8やF11にして1/60秒でストロボを炊いて撮るだろうから、HELIOSでも十分だろうか。

そして、最終的にはHELIOS-44シリーズはエントリーモデル向けレンズという扱いだったにちがいない。というのは、F1.7やF1.8で量産されたより現代的な50mm標準レンズも1980年代にはいくつかソビエト製に存在することからの類推だ。ZENITAR-M 50mm F1.7、MC HELIOS-77M-4 50mm F1.8などだ。これらは別売されていた。ただし、F1.4やF1.2の35mm判一眼レフ用大口径レンズは試作がされただけでソビエト時代には量産されなかったと思われる。

手元になく掲載年月が不詳の『アサヒカメラ』のなかで、東大小倉磐夫教授の書かれたテキストに、冷戦たけなわのころに来日したソビエトのレンズ設計者とのやりとりが記されたものがあったはずだ。そのソビエトの技術者にいわせるとHELIOS-44の58mm F2.0というスペックは理想的だ。なぜなら、50mm F1.4などというレンズでもF1.4の絞り開放で撮影することなどなく、かならず絞るはずだからと大口径レンズなどは無意味であると。

それを受けて一理ないことはないと小倉教授は思いながらも、彼が離日する際にCanon A-1ボデイとNew FD50mm F1.4のセットをおみやげにプレゼントしたら、彼は「わおー! F1.4!」と大感激してくれたというオチがついている。きっとソビエトの技術者は学術会議や視察という公的な出張で来日しているのだから「F1.4は無意味だ」というのは光学設計者の「公的な立場」での台詞だったのだろうなあ、といま振り返ってみるとそう思えるし、ばかにされたくはないという意味合いもあったろう。「コカコーラはなくてもクワスがあるさ」という「愛国的強がり」かもしれない。ロシア人をはじめとするソビエト時代のひとたちのそういう、ちょっととっつきにくいけれど本心はべつだというところは、好感が持てる。

■ロシア語ではГЕЛИОС
HELIOSはギリシャ神話の太陽神ヘーリオスから命名されているが、ロシア語にはHの音がなく「外来語のHの音をGに置き換える」という規則があるために、ロシア語では"ГЕЛИОС"と記す。発音するとアクセントのないOの音はAに近くなるので「ゲーリアス」という感じ。ラテンアルファベットに転記すると"GELIOS"だ。したがって印欧言語で「太陽の〜」という意味の接頭辞である"helio-"もロシア語では"гелио-"となる。

ちなみに、"Harry Potter"(ハリー・ポッター)もロシア語では"Гарри Поттер"(ガリー・ポッテル)だ。


話の脱線が多い。HELIOS-44は前述のように長期間にわたって複数のメーカーで製造されたために種類が非常に多い。M42マウントでも、外装やコーティング、おそらくは硝材、絞り機構のちがいなどにより種類は把握しきれないくらいある。

私の持っているものはヴァルダイのユピーチェル工場(ジュピター・オプティックス)製で製造所を示す"Ю"(ユー)の文字を図案化したマーク(「おでんマーク」などと呼ばれていた)と"M"、それに"-6"のサフィックスがついている。"M""Модифицированный(モジフィツィーロヴァンヌィ )/ Modified"(改良型)の略号で、"-6"は細かいバージョンのちがいを示す。91年製とはソ連崩壊の年だ。自動絞りでA-M切り替えはない。多層膜コーティングが施されて、MC HELIOS-44M-6と英文表記だ。

この個体はたしか、ベラルーシ光学機械工場(BeLOMO)製ZENIT-ETに付属していたものだったはずだ。ZENIT-ETのほうもマイナーチェンジを重ねていろいろなバージョンがあり、1982年から1995年まで総計300万台も製造されたという。ZENIT-Eシリーズは膨大な数が生産され、一時期は垢抜けなくてダサいソビエト製品の代名詞といってもよかった。それがいまや、Instagramのお洒落写真にしばしば登場するのはちょっとおもしろい。


■「ぐるぐるぼけ」で有名みたいだけど
いまではHELIOS-44 58mm F2はHELIOS-40 85mm F1.5とともに、画面周辺部に渦を巻いたような「ぐるぐるぼけ」の出るレンズとして有名なようだ。どちらも原設計が古いものだから、当時はこういう収差を取り除くのが難しかった。フランジバックの長い一眼レフ用レンズとしては設計当初は画期的なレンズだったと思う。

とはいえ、このレンズを入手した1995年ごろでも私は古くさい描写のレンズだなあと思っていた。いまでもぐるぐるぼけとフレアを自分の写真には有効活用できない、このレンズを私は所有しつつもほとんど写したことがない。ただし、この"-6"のサフィックスのある個体は色やコントラストは現代的に改良されている。α7IIで使ってみてあらためてそう思った。画面中心部はなかなかの解像感だ。

ただやはり、周辺部はF8まで絞っても描写が均一化しない。これがぐるぐるぼけの原因でもあるだろう。繰り返しになるけれど、なにしろ原設計が戦前だからなあ。戦前の船舶用ディーゼルエンジンをもとに設計し、戦後実用化されてずっと使い続けられていた鉄道用DMH17系ディーゼルエンジンみたいなものか。

ただし、ぐるぐると渦を巻くようなぼけは背景の選び方で出やすいときがあるという感じ。ぐるぐるぼけを避けるならば絞り値を大きくして(絞って)背景はできるだけプレーンなものを選んでシンプルにする。逆に、ぐるぐるぼけを目立たせないならば絞り値は小さくして(より絞りを開いて)背景に逆光の木漏れ日などを入れるようにするといいだろう。

そうなると画面中心部に主要被写体を置くような構図がのぞましいだろうし、人物をやわらかく写したい撮影などに向いている。文献複写、鉄道車両や建築物をびしっと写したいという用途にはあまり向かない。平面のものを隅々まで解像感を高く写すことよりも、画面中央にある立体的なものを撮ることに向いている。


惜しまれるのは内部に内面反射対策が万全ではない部品があるために、半逆光ではフレアが出やすいこと。アタッチメントサイズは⌀52mm(古いものでは⌀49mm)なので、⌀52mmの標準レンズ用フードをつけるといい。私は自宅にあるAI Nikkor 50mm f/1.4S用のスプリング式フードHS-9をつけている。これだけでは足りないので、左手でフレアをカットしながら慎重に写すことが多い。

ZENIT-ETの暗くて目の粗いファインダースクリーンでは私にはピント合わせがしづらかったので、拡大表示できる電子ビューファインダーのカメラで使うと、こういうふうに写るのかと再認識できておもしろかった。ソビエト製および旧東独製に限らず、古い自動絞りのレンズは自動絞り機構から不調になりやすく、球面収差などにより絞り開放ではピント合わせがしづらいレンズは少なくない。ミラーレスカメラで使うならば自動絞り機構が壊れても撮影できるし、むしろ拡大表示を用いることできちんとピント合わせができるから、むかしよりも撮影しやすいかもしれない。

もっとも、PENTAX K-1シリーズなら光学ファインダーでも楽しく写せるかもしれないなあ。外見ももっと似合うし。

【撮影データ】
α7II/MC HELIOS-44M-6 58mm F2.0/RAW/Adobe Photoshop CC 2020