私は25年近くニコンのフィルムスキャナーSUPER COOLSCAN LS-4000EDを温存している。スキャナー自体は温存できていても、それを動かすソフトウェアが減ってしまった。純正のNikon Scan 4は更新されなくなって久しい。
LS-4000EDと「Apple Thunderbolt - FireWireアダプタ」 |
現在のmacOSで使えるドライバーソフトはVueScanとSilverfastだ。私はずいぶん以前にVueScanをレジストリしているので、VueScanを使う権利を持っている。
だが、最近のVueScanを私はどうもうまく使えない。情けないのだが。コダクロームなどはとくにうまく色の調整ができない。
■乳剤の分厚いコダクロームを複写してみると
「コダクローム」と書き始めてふと気づいたのだが、もしかしたらここにお越しの大半の方には説明不要なのだろうが、令和の世の中では、アラサー以下の方などには説明が必要なのかもしれない。
コダクロームとは米国コダックがかつて製造販売していた「外式(がいしき)」リバーサルフィルムだ。乳剤に色素を形成するカプラーを含まず、独自の現像処理(K-14)を行うもので、コダック以外の富士フイルム、小西六、アグファゲバルトなども採用していた標準的なE-6プロセス(内式)とは互換性がない。
K-14プロセスで現像処理ができる現像所も限られていた。90年代でもIMAGICA(東洋現像所)、ローヤルカラー、堀内カラーでしか現像できなかった。都内の堀内の窓口に持ち込むのではない限り、指定現像所に転送されるために、現像受付から受取まで数日を要した。
感度が比較的低く、通常の光源で使用するデーライトフィルムには全盛期にもISO 25、ISO 64、ISO200の製品しかなく、21世紀に近くなるまで増感処理もできなかった。
不便なところがたくさんあるように思えるが、粒状性が細かいこと退色に非常に強いこと、独特の発色のために人気があった。やや露出アンダーめに撮影したカットを無理やり印刷したときの重厚感、あるいはやや露出オーバーめに撮影するとパステル調になる感じが好まれていた。
このコダクロームの評判を聞いて私もなけなしのお小遣いで使ってみている。だが、そのコダクロームのポジがじつに、いまの私にはどうもうまくデジタル化しづらいのだ。
■デジタルカメラのRAW形式でコダクロームを複写した
このブログでも以前から記事にしているが、国鉄民営化の直前から民営化後にかけて鶴見線を訪問するのにコダクローム64を持参したことが何度かある。
そのポジのスキャン結果もいままでまったく気に入っていなかった。とくに、VueScanを使ったものはどうもよろしくはない。
ニコン「スライドコピーアダプター ES-1」をセットしたところ |
ごく最近になって、たまたま中古カメラ店で安価なニコン「スライドコピーアダプター ES-1」を見つけたので、ふと思い出して手に入れた。元来はマイクロニッコールレンズに装着してフィルムの複製(デュープ)に使う道具だ。だが、デジタルカメラの画素数が向上し、民生用フィルムスキャナー製品が消滅したいまはむしろ、フィルムのデジタイズに用いられていることが多いようだ。現行製品は各種フィルムホルダーがセットになった「フィルムデジタイズアダプター ES-2」だ。
ニコン「スライドコピーアダプター ES-1」 |
フィルムスキャナーを所有している私はいままであまり関心を向けていなかったが、試用してみたところ、コダクロームのデジタイズには思っていたよりも結果がよかった。
詳しい説明はnoteに書くつもりだ。概要を説明するとマイクロニッコールの前面にES-1を装着し、前面のすりガラスの部分にフィルムをはさみ、光源をその前に置いてカメラでフィルムを複写するかたちになる。
私は単体で等倍撮影が可能なAI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8Dを使っているので、中間リングなどなしで35mmフルサイズフォーマットのNikon Dfに装着して使った。光源には古いクリップオンの純正スピードライトSB-600を用いた。ES-1のねじの口径は直径52mmだから、アタッチメントサイズが直径62mmのAI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8Dに装着するために、マルミ光機の62mm-52mmのステップダウンリングを用いた。純正の変換リングBR-5はすでに販売終了しているが、サードパーティ製ステップダウンリングでも問題はない。
RAW形式で撮影しAdobe PhotoshopのCameraRawで現像している。ソフトに慣れているところが私には向いていたのかもしれない。
■鶴見線のクモハ12単行運転が懐かしい
過去のエントリーのリライトを行って前回のエントリーにしてしまった。前回は大川支線の大川駅周辺のようすを撮ったカットだった。今回は鶴見から武蔵白石までの鶴見線本線を行くクモハ12の単行のカットをあらためてデジタイズしたものをお目にかける。
国道駅ホーム端より 鶴見川橋梁上に鳥がたくさん止まっていることにいま気づいた |
撮影したのは1988年(昭和63年)10月と1989年(平成元年)3月とコダクロームの箱にメモがある。1985年(昭和60年)のダイヤ改正で日中の閑散時間帯のダイヤが大減量され、平日日中と土休日にはクモハ12が鶴見を起点に大川と海芝浦を交互に単行運転で結ぶようになった(1994年まで)。
武蔵白石駅にて夕方の大川行き |
当時すでに20メートル車体で3両編成の101系や103系でも閑散時間帯には輸送力過剰だった。だが、国鉄/JRでは非標準的だった17メートル車体の単行運転可能な電車を新規に製造することをせず、昭和10年代に製造された旧型電車を本線に走らせるという決定をした。このことは、当時大いに驚かされた。昭和末期とはいえ、古い電車が好きな中高生の私から見ても、クモハ12050番代車は古色蒼然として見えた。そこで、思い出しては撮影していた。クモハ12の本線運転はそう長い期間行われるとは思えなかったからだ。
列車の運転本数が少ないので 退屈しのぎにいろいろなものを撮っていた |
いまこうしてみると、もっと撮っておくべきだったと思わなくはない。1996年(平成8年)にクモハ12が廃車になってから、鶴見線には数回しか足を運んでいない。懐かしくは思うから足を運ぼうと考えつつ、なんとなく足が重い。古い工業地帯で心躍るような場所ではないからか、あるいは列車の待ち時間の長さを覚えているからか。
冒頭の写真のようにギラリを撮りたかったのに 日没が早くて残照をむりやり撮った記憶がある |
※noteにES-1と設定について細かく説明を書きました。合わせてご覧ください。
【撮影データ】
Nikon F-301/Sigma 75-210mmF3.5-4.5, AI Nikkor 85mm F1.4S, AI Nikkor ED 180mm F2.8S/Kodachrome 64, Kodachrome 64 Professional(1988年10月、1989年3月)/
【デジタル化データ】
Nikon Df/AI AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D/RAW/Adobe Photoshop CC 2024 CameraRAW