日没後の河原に来た。鉄橋のある風景を撮るためだ。行き交う列車を横目に三脚を立ててカメラを構える。河原に降りるために草をかきわけると、寝静まっていた水鳥や魚たちが騒ぎだした。悪いことをした。
そしてカメラを三脚に据えてからは、水音と虫の声に耳をすませながら、しばし考えごとにふける。そして、だんだんはっきり見えてきた星に目をやる。
ときどきあたり一面をこうこうと照らして、列車が川を渡る。車窓には数えるほどしか乗客はいない。ちらりと見えたあなたは私には気づかなかったろうし、私もあなたには二度と会うことはないだろう。でも、いまあなたはなにを考えていたのだろう。
そしてまた、友人たちのふとした表情やかわした言葉を記憶から取り出しては、再び考える。昔の記憶ばかり取り出しているのは、年を取った証拠かな。少年の頃であれば、まだ見ぬものを夢想したであろうから。
それにしても、釣り人はこういうときにはなにをするのだろうか。釣果を夢想するのか、哲学でもしているのだろうか。
……こんなポエムじみた文章を携帯電話で書いていたことがわかったので、たまにはアップしてみます。川原で長時間露光をしながら飽きて書いていたようだけど、覚えていないんだよなあ。