2015年7月20日月曜日

【写真生活チラシの裏記事】例のバイブルを手にして


■子どものころに買えなかった本をゲットした
先日のエントリーでも言及した本が、思わぬかたちでたいへん安価に手に入った。『ぼくのローカル線』(写真集)写真:広田尚敬、文:嵐山光三郎、山と溪谷社 (1988年)だ。これはとてもうれしい。なにしろ1988年に出た本で、おまけにインプレスグループになる前の山と渓谷社の本だ。そして、おそらく当時でも部数がそう多く出たとはとうてい思えない。自分が出版業界で働いた経験から思うと、1988年で1,800円という価格がついているところをみると部数の少なさは想像がつく。この本は当時、中学生の自分には手を出しにくい価格だった。

アマゾンでしばらく前に見ていたら、美品は数千円という価格だった。美術書ではないのに、その価格は私にはおいそれと出せない。そこでしばらくあきらめていたところまた思い出した。すると最安値で数百円……それも、埼玉県に本社があるラーメン屋である日高屋のラーメンを食べる程度の金額のものが出品されていた。その価格にはもちろん理由があった。それは、公立図書館の除籍処理本のリサイクル品だからというのだ。

図書館で貸し出されるために表紙にはビニールコートがなされ、バーコード管理される以前のカードポケットが残され、検索番号が貼られたままのそれには書き込みやページの欠損もない。そして、当時都内の隣の区に住んでこの本をしばしば図書館で読んでいた私には、まるで自分が図書館で読んでいた本そのもののような不思議な親近感さえある。だから、図書館放出品であることは嫌ではなかった。自治体からは無料で放出されたのではないかという気もするけれど、まあいいや。むしろ、発売から27年経ってようやく入手できたことがうれしい。

■書影の記念撮影をした
その入手を記念した記念写真が冒頭のカットだ。当時の広田さんはおそらくキヤノンNew F-1とFDレンズを使い、コダクローム64プロフェッショナル(PKR)が原板であるだろうから、ニコンF2とAI-Sニッコールとの組み合わせは本書とはまったく関係がない。1988年はすでにニコンF3の時代だった。いやそれどころか、F-801やF4の発売年でさえある。それなのに「F2とマニュアルフォーカスのAI-S単焦点レンズにPKRで、好きな鉄道写真を撮ってみたいなあ」と思っていたリアル中二の私への記念だ。

ところで、こうしたルサンチマン的な消費活動は要注意だ。いわゆる「こじらせる」危険性があるから。モテない人が社会的地位が上がることでモテ始めると、いろいろとやっかいなのと同じだ。でもなあ……見境なく異性とつきあってややこしくするならともかく、家計に負担をかけない消費活動で気がすんでしまうならば、まあいいか。そもそもがじつにささいなルサンチマンだろうと思う。




■F2を使う異性にきゅんきゅんする
ニコンF2の写真をアップしたのは、鎌倉にでかけた先日、F2チタンを提げた若い女性を見て、F2はやっぱりいいなあ! と思ったから。私は、どういうわけかF2のヘビーデューティーさが好きだ。写真を始めてある程度たつころから薄暮に写真を撮ることが多いために、薄暮ではあてにならないAEやAFは不要だった。さらに、電池を意識せずに撮影できるという思想が好き。だからこそ、その私にとって好きなど道具であるF2で上手に撮る異性にむかしから弱いのだ。すげえ極私的な思い込みだ。

それなのに私にとってF2はもはや、就寝前に「やっぱいいわ、ニコン」ごっこをする道具になりつつあった。なにしろフジクロームがいまやあの値段なくせに、スミが強くて赤浮きするからな。カラーネガフィルムはあの粒子と退色しやすさが我慢ならない。さらに、印刷やプリントの現場でポジフィルムをうまく扱うことのできる職人さんもどんどん姿を消している。そうなるとわざわざフィルムで撮る理由は、特定のフィルムカメラを使いたいからという以外にもはや私にはない。私は写真は好きだけど、フィルムというマテリアルが好きなわけではない、という気持ちはいささかも揺らがないぜ、残念ながら。でも、久しぶりにモノクロならフィルムもいいな。いっちょうやるか。 

■ナイトキャップはF2とこの本
こんな楽しい夢想ができるのならば、懐かしい本を手にれたかいがあるというもの。このところ枕元にはそういうわけで、F2とこの本を並べている。寝酒よりもずっと健康的なのではないか。