2015年7月9日木曜日

【チラシの裏】なにかを思い出すような


連日の降り止まない雨にいささか食傷気味だ。梅雨だし、植物のためにも夏に渇水しないためにも、適切な降雨は必要だし、気温が高くないのはありがたいのだが。そのためか、連日なにかともの思いにふけることが多い。仕事をしながら。

先日は、秩父に行った際にふと思いついて急行『秩父路』に揺られた。北武区間から御花畑まで乗るとそれなりに乗りでがある。そして、旧西武新101系由来のモーター音の唸りを聞きながらなにを撮るでもなくカメラをときおり車窓に向けていた。


窓の外は雨で、霧のように霞んでいる。田んぼの向こう側に見える集落や国道もよく見えない。そのよく見えないさまを絵にしようと考えていたのだから、我ながらいささかおかしい。そして、荒川橋梁を列車が越えるときには川面が霧に包まれているのが見えた。川面が見えないようすに思わず私は歓声を上げた。

いまもしあの川面にいたら、この列車はどう見えるのだろうか。きっとほとんど姿かたちは見えず、窓の明かりがにじんで見えるだけにちがいない。そう想像すると、いてもたってもいられなくなる。


趣味の写真で私が撮りたいものは、おそらく被写体を目の前にして感じた「印象」なのだ。その印象とは、必ずしもかたちをなしているものばかりではない。そして、私が惹かれる写真はきっと、見ていてなにかの連想がわくようなものなのだろう。ときどきこの「発作」が起きる。

そんなもの思いを続けているうちに列車は御花畑に着いた。