■「ちょっと古い電車好き」には西武多摩川線がいま「旬」かも
みなさんもおそらくご存知のように、いや、ご存知ではなくてもこの草の根ブログの鉄道関連記事をいくつかご覧いただければ容易に想像がつくように、筆者は「ちょっと古い電車が好き」な人間だ。インスタグラムでロシア人フォロワーのひとりに「古いもの好きクラブのメンバー(член клуба любителей старого)」などと優しくからかわれているくらい。アラフォーのなかばなのだから(四捨五入をすればアラフィフ)もう趣味の世界では古いもの好きでもいいよね! みたいな、可愛げのない開き直りもあるからね。あはは。
JR東日本のま新しいE233系電車の区別を覚えられなくても、国鉄103系や101系のことは語ることができる、というような趣味の世界では時代錯誤で保守反動の輩、ではなくて……ええっと、「古いもの好きクラブのメンバー」である方でも中小私鉄電車好きにはいまおそらく「旬」といえそうな場所のひとつは、西武多摩川線だろう。理由は冒頭の写真ですべて語られている気がする。所属する全4編成すべてがリバイバルカラーの編成で、そのうちわけも「赤電リバイバルカラー」が2編成、イエローとベージュの「新101系登場時の塗装」が2編成という、側面からうまく撮ったら昭和末期のような絵柄にすることもできそうな列車が走っているから。
おまけに、都市型ワンマンの単線であり、構内踏切が残されている駅まであるのだもの。ちょっとのんびりした雰囲気が好きなひとにはそれだけで好ましいと思ってもらえるはず。
■1年ぶりに行って即「大当たり」
多摩川線は中央線武蔵境から多摩川ぞいの是政まで結ぶ全長約8キロメートルほどの路線で、ほかの西武鉄道の各線とは直接つながっていない独立した路線だ。これは、1910年に開業した多摩鉄道を、現在の西武新宿線を経営していた旧西武鉄道が1927年に買収したもの。開業当初の目的は旅客輸送が主眼にはなく、多磨霊園への参拝客輸送こそ行われていたものの、多摩川の川砂利採掘と輸送が主目的であったという。いまでこそ沿線には都心に通勤通学するひとたちの家が立ち並び、たくさんの学校もあり、日夜双方向に多くの客を乗せて電車は走っているものの、開業から太平洋戦争の終戦のころ、いや、それどころかかの元RM編集長氏のブログによれば、昭和40年代末くらいまではタブレット閉塞さえ残されていて、沿線は田畑が多く広がる「いかにも武蔵野」というべきところだったようだ。筆者がこの目で見ているのは昭和50年代末(1980年代末)からだけど、そのころでも新宿線や池袋線住民から見て、のんびりした路線に見えた。戦前の沿線が武蔵野の雑木林と田畑のなかを走る路線であった証拠のひとつは、陸軍の飛行場(現在の調布飛行場、味の素スタジアムなど)や中島飛行機の工場(現在の国際基督教大学と野川公園)などの広大な面積を占める施設があったところにもありそうだ。それぞれ往時とは姿を変えているとはいえ、そこに武蔵野の名残りを感じさせはしないか。
いまでもわずかに田畑があり、駅を降りると住宅地に向かって小さな商店街がある雰囲気は、東京の私鉄沿線のいち典型とでもいうべきだろう。
私はこの沿線の短いながらも意外と線形に変化があるところが好きだし、住んでいるところからも決して遠いわけではないのに、ひさしく足が遠のいていた。それが、昨年秋に訪問して以来(そういえば、記事にしていなかった)ひさしぶりにJR中央線東小金井から商店街を歩いて抜けて、新小金井にたどり着いていきなり目にしたのがこの「赤電」同士の交換だったことのうれしさは大きい。私にとってはいきなり「大当たり」だ。多摩川線の列車は3編成が運用入りする、うち2本をこうして目にした。もちろん、残り1編成はイエローとベージュのツートンカラーだ(編成番号は控えていなかった。すみません)。
その後、新小金井から野川公園まで歩き、いちご橋や二枚橋でも列車を見た。そうして気づいた。晩秋の午後は車体に影が濃くかかるということをすっかり忘れていたよ。べつに「多摩川線だけの特徴」ではないのに。新小金井周辺の冬の午後の光線状態を忘れていたのは、ずっと撮らないでいたから。写真はたくさん撮らないとうまくならないんだよ。わかっているけどさ。
この多摩川線から足が遠のいていた理由はすごく単純だ。走っている車両の塗装が気に入らなかったから。旧ブログではさかんに記事にしていたように、私は「鉄に出戻り」してからしばらくはなにかと多摩川線に来ていた。その頃ここには、西武101系の初期車(低運転台車)が2010年11月まで走っていて、多摩川線で最後の活躍をしていたから。中央線武蔵境駅付近の高架改良化により、車両交換時に用いるJRと西武との連絡線を使うことができず、多摩川線での車両の置き換えが(さいわいにも)遅くなったためだ。この連絡線の完成により、老朽化した101系初期車は2010年3月より新101系高運転台車に置き換えられた。
この置き換えた車両も私は好きな車両で、本線系統を走っていた頃はさかんに追いかけ回していた。ところが、多摩川線に投入された際にワンマン化改造とともに、真っ白に塗装されて、それぞれ「春」、「夏」、「秋」、「冬」号と名づけられた。そして、その側面に沿線在住小学生が応募した絵がラッピングされていたようすが、残念ながら私には好ましく思えなかった。
そのために、2010年11月以降は沿線の野川公園に行くことはあっても、列車の撮影を主目的として通うことはしなかった。車両の色みが好みではないという理由でそれだけ冷淡になるあたりが、いかにも私がヲタ的な嗜好や視点の持ち主だと我ながら思うけれど。すみません。ほらでも、塗装が変わればホイホイとやってくるところが、私はじつにチョロい客だとも言えないですかね。
あ、お子さんの絵を列車内や駅に飾るのはいいと思いますよ。お子さんも喜ぶでしょうからね。沿線に住む次世代を担うお子さんたちには、鉄道に親近感を持ってもらいたい。どこかに出かける際の移動手段の選択に「鉄道」という手段が選べるようなところに住んでいるのであれば、そこで鉄道利用を選択してくれると楽しい。いまや「鉄道沿線に用事がないから乗ったことがない」だけではなく「電車の乗り方がわからないから乗らない。そもそも、乗ったことがない」というひとは、地方私鉄沿線に行くといまほんとうに少なくないもの。
2009年12月、新小金井 |
2010年1月、武蔵境 |
2010年1月、新小金井 |
2010年1月、白糸台 |
2010年5月、白糸台 |
2010年8月、新小金井〜多磨 |
2010年11月、新小金井 |
2010年11月、多磨 |
■多摩川線にまた通うか
約10年ぶりに白い新101系ワンマン車が各種リバイバルカラーになりつつあることはたいへんありがたい。それでも、昨年から私が訪ねているのは車両が共通運用であり、ときどき入れ替えられる、自宅に近い多摩湖線と西武園線ばかりだった。どちらも好きな路線でも、自分の写真の絵柄の種類を増やしたくなった。それで多摩川線に行ってみて……思うように撮れないでいてくやしかった。「車両が好きになれないからなあ」と思って足が遠のいていたら、すっかり自分の腕がなまったことをひしひしと感じられたわけ。いまは当時とは情熱の熱量がことなるということもありそうだけど……昔の自分の写真は稚拙ではあっても「いろいろな絵にしたい」という意志はもっとあるように思えた。自分とのたたかいか……。多摩川線の撮り方をほんとうに忘れているなあ。これからはその「撮り方」をあらためてつかむためにも、多摩川線にもまじめに通ってみようと思っている。
■レンズまで古くなくていいのにねえ
そして、ずっと使っているAI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>の限界もあらためて感じるのだ。このレンズは1988年2月に「Ai AF Zoom-Nikkor ED80-200mm F2.8S」として直進式ズームレンズとして発売され、1992年に距離エンコーダーを搭載してDタイプ対応がなされた。それがF5の時代の1996年10月に光学系はそのままに、三脚座を備えた二操作式のレンズに操作系が改められた。さらにコーティングが変更されている可能性も高い。当時の『アサヒカメラ』ニューフェース診断室1997年1月号にF5とともに取り上げられ、135mmでもっとも解像力が高くなると評されている。つまり、望ましい高画質なのは135mmまでという意味だ。それは私自身もD70とともに用いていた頃から体感していた。1200万画素のD2Xでも200ミリ端はF5.6からF8まで絞らないときついし、できれば135mmまでで絵作りしたいと思っていたのだが。「1600万画素や2400万画素のボディで、絞り開放にして夜に列車を撮る」というのはやっぱりちょっとアレなのだ。ため息が出ちゃうね。
【撮影データ】
Nikon D2X, Df/AI AF Zoom-Nikkor 80-200mm f/2.8D ED <NEW>, AI AF Nikkor ED 300mm F4S(IF)/RAW/Adobe Photoshop CC 2020
【お礼】
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