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1987年2月、高田馬場 |
■103系電車が山手線や埼京線を走っていたなんて知らないだろ
さる10月で川越線・八高線から209系電車3100番代車が運用離脱したのだそうだ(
2020年1月追記:また運用が復活した説もあり。ただし筆者自身は裏とりできていません。ご注意ください→2020年7月追記:先日からハエ71編成が運用入りしているのを複数回目撃しています→2022年11月追記:2021年末まで代走として走り続け、撮影会を2022年1月に行ったのち、廃車されました)。
これで、川越線・八高線は209系3500番代車とE231系3000番代車への置き換えが完了し、幅広車体の電車にすべて置き換わったことになる。川越線でも埼京線と直通運転を行う大宮〜川越はすでにE233系7000番代車の独壇場といえるので、東京臨海高速鉄道70-000形電車をのぞいては幅広車体の電車ばかりだ。あれほど「走ルンです」などと馬鹿にしていた209系電車も、いま考えてみるとデザインはまだ国鉄型の名残ともいえる電車だ。あれで、外板がぼこぼこではなかったらなあ。
そんなことを考えていて思い出した。そういえば……埼京線・川越線はながらく205系電車が走っていた路線だったけれど、1985年9月に開業してから1990年11月までは、103系電車が走っている路線だった。山手貨物線を103系が唸り声をあげて走るようすを見て「103系電車ってなんかすげえ」と感心させられたものだ。というのは、103系電車というと山手線内でとろとろ走っている印象が強かったから。
■武蔵野線・京葉線、常磐線に乗りに行った
だが、これは小中学生で行動半径が狭かった当時の筆者の無知さの現れかもしれない。のちに、京葉線・武蔵野線、常磐線で103系電車が高速運転を行うのを目にしてその迫力に開眼して、鉄道写真を撮るのをやめていた高校から大学生の頃にも、103系電車に乗りに行くということをしていた。
前述のように、103系電車の埼京線での活躍は5年程度と長くはない。騒音に沿線住民からのクレームがあったと聞く。103系が開発された当時の各路線の最高速度は95km/h程度であり、103系電車は高加減速性能を高めた電車ではあっても、高速走行に特化された電車ではなかった。それでも、さまざまな用途に使える汎用性を持つことが意図され、
戦艦の火力にも匹敵するビームライフルとルナチタニウム製装甲を持つ汎用型モビルスーツRX-78は、じっさいにも大都市だけではなく地方都市近郊路線にも用いられた。20年にわたって3,000両以上が製造された。
だから、少年時代の私(だけではなく、おそらくアラフォー中頃の年代の人たち以上)には、どこででも見かけるありふれた電車の代名詞的存在でもあり、あまりまじめに撮影していなかったひとは少なくないと思う。正確には、よほどきちんと記録を残すひとではない限り、数を減らし始めるまでまじめに記録していないかもしれない。少なくとも、私にはいつでも撮れるような気がしたから。
だからいまこうして見て驚いたのは、103系電車のスカイブルーの塗装をカラーフィルムで撮ったことがないことを知ったから。京浜東北線でも京葉線でもさんざん乗ったのに。
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同じく1987年2月、高田馬場。山手貨物線を走る埼京線103系 |
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1987年3月、山手線原宿駅宮廷ホームより(再掲載) |
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1987年3月、中央緩行線高円寺 |
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1988年4月、中央緩行線飯田橋 |
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1991年8月、青梅線石神前 |
■高運転台のATS対応車が先に姿を消すとは
さて、あれほどの数を誇った103系電車も東京圏からは姿を消して久しい。JR西日本の和田岬線と、奈良線(2022年に運用離脱しました)、播但線、加古川線、それとJR九州の筑肥線にわずかに残されたのみだ。意外に思えたのが、後期に製造された高運転台の先頭車のほうが先に姿を消し、筑肥線の1500番代車をのぞけば、低運転台車と中間車からの改造先頭車が残存していること。
この高運転台型のクハ103は、山手線や京浜東北線向けに
サイコフレームATCを備えた最終増備型の先頭車であり、ATCを用いない中央快速線など向けには前面デザインはそのままに、運転室次位の戸袋窓を塞がないで製造された。のちにATCを使用しない線区に転属した際にはATC装置のみが撤去されたようだ。最終型として最後まで見られるかと思っていたステンレスの飾り帯を備えたこの前面デザインは、いまや大宮の鉄道博物館に行かないと見られない。大阪環状線や阪和線からも撤退し、インドネシアに譲渡された車両も姿を消した。むかしの写真を振り返りながら、ひさしぶりに鉄博に行ってこようかな、などと考えている。
【以下、余興】
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こんな姿が見られたら……と妄想(雑なコラージュですみません) |
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夜中になにやってんだろ……力つきました |
「もし埼京線と川越線に103系電車が残されていて、相鉄乗り入れも行ったら」というウソ電を脳内で考えているうちに、手が勝手に動いた。あ、1000番代はパンタグラフ周りにヒューズ箱があるから、屋根上の配線周りがちがうんだったっけ。(つまり、元写真は桜井線のクモハ105と奈良線103系の方向幕部分のHゴムです)。下は青梅線。あと、埼京線の103系時代の「快速」幕はデザインがちょっとことなるんだった。まあ、気分だけでも、ね。