■日没直後の高麗川駅に降りた
白い曇り空が広がる日曜日の午後に、退屈して八高線に乗った。八高線といっても電化区間であり運転本数の多い八王子〜高麗川の「八高南線」と、直通運転をする川越線川越〜高麗川にばかり私は乗っている。高麗川〜倉賀野の八高線非電化区間(通称「八高北線」)を走るディーゼルカーに乗りたいなあといつもいつも思いながら、その非電化区間には乗らないで帰宅してしまうことが多い。非電化区間に乗りたいのは、遠くに行きたい気持ちが少しだけまぎれるから。そりゃあ、私だって八高線を乗り継いで高崎や前橋にだって行きたいさ。
八高線非電化区間に乗るのはべつに難しいことではない。運転本数の少なさと行程をよく考える必要があるだけだ。それと、いまはあれがああだから。どうみても不要不急の用事だ。
さて、川越行きの列車で高麗川に到着したときに、留置線にキハ111-キハ112(以下、キハ)がいるのを見かけた。そこで降りてプラットホームでしばらく観察したくなった。ちょうど薄暮のころで、なにかを写したかった。
高麗川というのは自宅からの距離が遠いわけではない。金子あたりとは直線距離ならほぼ等しい。高崎線沿線よりずっと近いので、ごくふつうの自転車でも往復できる距離だ。それなのに、私はいつ降り立ってもあたかも遠いところに来たような気持ちにいつもさせられる。直線距離は近いものの、自宅からは鉄道を使うと迂回しながら辿り着くうえに、単線で交換待ちが多い八高線と川越線では所要時間がかかるからか。さらに、八高線は関東平野の端を走るために丘陵越えの区間があるから、遠いところのように思えるのかも。
高麗川では、八高線と川越線を直通する列車の上下の列車交換のために停車時間が長くとられていることが多いようだ。このときもまずは乗ってきた列車がしばらく停車したのちに、川越線の上り方面へ去るようすを見てから、3番線から留置線にいるキハ110を見ていた。しばらくは動作確認の試験をあれこれ行っていた。けれど、カメラを向けるとまもなくエンジンを停止して静かになった。
まだ虫が鳴く季節ではなく、駅前は水田が近くにあるわけではないのでカエルの鳴き声もしない。曇りの日の日曜の夕方で人出も多くないので、あたりはじつに静かだ。バリアフリー対応で手洗い所でときおり流れる自動放送があたりに響くくらいだ。
静かな夕暮れを見ていて考えた。思えば、八高線非電化区間がキハ110系列に完全に置き換えられた1996年(平成8年)から25年経つのだ。さすがに「つい昨日のようだ」とは思わないが、25年という数字の大きさにはおどろかされはしないだろうか。四半世紀だもの。人間だったら赤ん坊がすっかり成人して社会人になるほどの長さだ。
キハ30の川越線への投入は1964(昭和39)年だそうだ。のちにキハ35も増備され、1985(昭和60)年の電化まで使用された。また八高線では1965(昭和40)年に運用を開始し、最終的には1996年まで用いられたという。1993(平成5)年から八高線に投入されたキハ110系列もの活躍も、八高線におけるキハ30・35の活躍年数に迫る期間になりつつある。
そんなに長いあいだすでに走っているとはにわかには信じがたい気もするのは、私自身が八高線を利用し、あるいは撮影して多少なりとも慣れたのは、せいぜいここ15年程度だからだろう。そして、いまさらになってようやく上り方に貫通幌が備えられていること、幌があるほうが正面のデザインが引き締まって見えることに遅まきながら気づいた。うわー、気づいていなかったよ!
2021年6月になって「貫通幌があるほうがキハ110系列もカッコいい」ことにようやく気づいたことへのいいわけさせてもらうと、八高線内でこの車両を斜め前から大きく写した編成写真をほとんど撮っていないからだ。そして、正面をねらうのにたまたま下り方の幌がない側ばかりを撮る場所が多かった。寄居の跨線橋から撮るのでも、棒線化される前の竹沢でも、荒川橋梁でも正面から撮るときにはたまたま下り方をねらうことが多かったのだ。うん、きっとそういうことだ。
よく見ると寄居から用土に向かって勾配を登っていく、キハ38リバイバルカラーに塗られた列車の写真には、正面に貫通幌があっていかめしく見えていい。
そんなことを考えながら留置線のキハを見ていると、1番線に川越行きの列車がふたたびやってくる時間になった。この列車には209系3100番代ハエ72編成が充当されて来ることをあらかじめ確認していたので、これに乗るために1番線に行った。
すると1番線に列車がやってくる前に、さきに2番線に下り方から折り返し列車として高崎行きになるキハがやってきた。さきほど気づいた「上り方のほうが貫通幌があっていい」をさっそく実践するために、この列車の上り方を撮ろうと待ち、流し撮りを試みた。
■まずはよく見ることが大切なのだものね
いやあ。この車両の編成写真をほとんど撮ったことがないからとはいえ、自分の観察眼のにぶさには反省することしきりだ。ええっと、「すきぴじゃないからよく見てなくよさみがわかってなくてぴえん」という感じか。すまん、無理。あと、昭和生まれでいちおう編集者なので、私には文章を書くのに句読点はなくせないんだ。若い子には刺激が強すぎたカナ〜☆ ナンチャッテ(^_^;)(^_^;)(^_^;)
と、おじさんLINE構文的なうざい表現をしておくね。
話を戻そうか。写真とはまず、被写体をよく観察することから始めるべきだ。その被写体の好ましい部分をどう絵にするかをきちんと考えると、写真の仕上がりがよくなる。
それなのに列車に乗る頻度が昨年から減っていて、「鉄道シーンにおける自分にとっての萌え」を見る目が曇っているという証拠なのだろう。鉄道に乗る機会が減ってしまい、鉄道のどういうところが好きなのだろうかということを忘れているということだ。
とはいえ楽観的に解釈すれば、気づかないよりもよかったのではないか。そして、ふだんから写真を撮らなくても駅などでたまには列車をじっくり観察することは大切なんじゃないかなあ。だから、こうして駅で列車を観察したのはじつに有意義だったはずだ。
【撮影データ】
Nikon Df/AF Micro-Nikkor 60mm f/2.8D/RAW/Adobe Photoshop CC