むかしから夜の駅には、いつもなんともいえない旅情を感じる。だから用もないのに出かけることが多い。列車を見に行くというよりも、夜の駅の雰囲気を見に行くというほうが自分にはより正確かもしれない。見慣れた地元の駅でさえも、夜になると雰囲気が変わるように思えて興味深い。
そして夜の駅ではチェーホフの『犬を連れた奥さん』の一節をいつも思い出す。主人公が旅先のヤルタで出会ってともに過ごした女性を見送ったシーンのことだ。このひとたちはいわゆるダブル不倫なのはまったく感心しないけどね。
(以下、引用)
「汽車はみるみる出て行き、その燈もまもなく消え失せて、一分の後にはもう音さえ聞こえなかった。それはちょうど、この甘い夢見心地、この痴しれごこちを、一刻も早く断ち切ってやろうと、みんなでわざわざ申し合わせたかのようだった。で、一人ぽつねんとプラットフォームに居残って、はるかの闇に見入りながら、グーロフはまるでたったいま目が覚めたような気持で、蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声や電線の唸りに耳をすましていた」
(引用ここまで)
チェーホフ, アントン『犬を連れた奥さん』(神西清訳)岩波書店
■夜の拝島駅に行った……31年前にも
さて、夜の駅とチェーホフ『犬を連れた奥さん』ばかりではなく、国鉄時代から八高線が好きで、いまでもときどき沿線を訪ねている。そのことはなんども記事にしていて、旧ブログでもこのときの写真も記事にした。だが、そのスキャン画像がHDD内に見当たらない。だからこの日の写真のことはすっかり忘れていた。
ともかく、写真はポジが褪色しかけているように、31年まえの秋のことだ。夜の拝島駅ホームは風が冷たかった記憶がある。冒頭の写真の女性が男性用の革のフライトジャケットを着ているところをみると、それなりに冷え込んでいたはずだ。
このときティーンエイジャーだった私は、いまのようにどこか遠くへ出かけたい気分になったからわざわざ夜の拝島へ足を向けたのだろうと思う。拝島を選んだのは西武拝島線で行くことができ、長時間停車があるから八高線のディーゼルカーを写しやすいかもという理由だ。
■拝島駅では八高線の列車は長時間停車する
電化されて電車が走るようになったいまの八高線も、1990年代同様に単線だ。1990年代でもいまも拝島では上下列車が交換するようにダイヤが組まれているようで、たいていは長めの停車時間が設けられている。
そして八高線が非電化でキハ30・35形気動車が走っていたころは、拝島駅に列車が到着するたびにDMH17エンジン独特の「がらがら」というアイドリング音が駅じゅうに響き渡っていた。その記憶が印象的で、いまでも拝島に降り立つとディーゼルエンジンのアイドリング音が聞こえるのではないかと錯覚することがある。
もちろん、八高線電化からずいぶん経っているし、八高線は貨物輸送をやめてしまったので、拝島でディーゼルエンジンのアイドリング音を聞くことがあるとすれば、横田基地への燃料輸送列車の入れ替えを行っているDE11ディーゼル機関車がいるときだけだろう。さらに、自宅から最も近くでディーゼルカーを見ることができる駅はいまとなっては私にはおそらく高麗川だ。
八高線が好きだったのは非電化だったからで、非電化区間は私にはものめずらしくて、行くことがかなわないどこかの遠くの路線のように思えた。そして高校生のころと同じように、いまでもどうやら私にはいまでもディーゼルカーは非日常の乗りものであり、どこか遠くの地方の路線を思い出させるアイテムのようだ。
心理的にどうしても私自身は簡単に遠くに出かけづらいいまでも、そのせいか家から近いという理由で八高線に足が向く。
さて、前述の『犬を連れた奥さん』にはこういう一節もある。主人公が早朝の海を眺めながら考える場面だ。
(以下引用)
「よくよく考えてみれば、究極のところこの世の一切はなんと美しいのだろう。人生の高尚な目的や、わが身の人間としての品位を忘れて、われわれが自分で考えたり為したりすること、それを除いたほかの一切は」
(引用終わり)
おおげさだなあ。でも、きっとそういうことなのかも。むかしはこの部分を読んでもちっとも共感できなかった。いまなら少しだけわかる気がする。なにげない日常のなかにも、非日常を感じさせる情景にも、世の中にはまだ美しいものがたくさんあるのかもしれないぜ。
そう思うと私はまたカメラを手にしたくなる。
【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S/フジクローム400(RHP)/Nikon SUPER COOLSCAN LS-4000ED/1990(平成2年)年10月撮影