2019年4月11日木曜日

【西武多摩川線1980年代】西武多摩川線の551系電車のこと

クモハ556(4連運用時には下り方向の是政方先頭に立つ)

■覚えていないことがたくさんある
づけハードディスクのなかを漁っていて、10年ほど前にスキャンしたままどこにしまったか忘れていた写真を見つけた。おそらく1987(昭和62)年3月末か4月(学校の春休み期間)に西武多摩川線を訪ねて写した西武551系電車の写真だ。

ネガはまだ持っているし、フィルムスキャナも稼働できるようにOSをアップデートさせないでいるMac miniもあるけれど、10年ほど前にスキャンした際にもすでに退色が始まっていたネガであり、かつフィルムスキャナの調子がいまひとつでもあり、なつかしくはあっても中学生のころのへたくそな写真でもあるから、いまさらあらためてスキャンする気が起きないでいた。もちろん、怠惰なだけだ。フィルムの劣化をあらためて目にするのが少々恐ろしくもある。

画像が見当たらなかったのはフォルダ命名ルールが当時はきちんとできていなかったからだ。ここ数年でこそ「撮影年月日:撮影地と被写体と機材名」という命名ルールを作ってきちんと運用しているので、「探している画像が見当たらない」ということはだいぶ少ない。けれど、10年ほど前にデジタルカメラではなくスキャンデータを扱っていたころは、その付番ルールが確立できず、さらにEXIFもスキャン日時しか記録しないために役立たない。どんなものでも整理整頓は必要だ。あたりまえのことなのだけど。

そう思いながらひさしぶりに、人様が写したインターネット上の写真ではなく、傾いているとかパンタグラフが画面外に見切れているとか、背景との重なりが見えていないようなへたっぴながらも自分で写した写真をしげしげと見ていて、いまさらながらに気づいたことがたくさんあった。いや、もしかしたらそのころは気づいていても、もう忘れていることがたくさんあるのかもしれない。

■国土&セゾンの『二人セゾン』時代を支えた電車かも
さて、被写体である西武551系のことをいまさらながらに述べる。1961(昭和36)年から1962(昭和37)年にかけて西武所沢車輌工場で全24両が製造され、正面二枚窓ながら細い銀色のセンターピラーを組み合わせた「西武湘南型」の始祖ともいうべき電車だ。この「西武湘南型」デザインはむかしから、レイバンのティアドロップ型のサングラスをどうも連想させる気がするのは私だけか。

軽量構造の車体にアルミサッシ、アルミドアを組み合わせて近代的な車体を持つものの、下回りは従来からの国鉄払い下げの制御装置、主電動機、台車のままで、近代的な外観と裏腹に起動時に大きな衝撃を起こし、重厚な走行音を響かせる電車だった。ディープラズベリーとサンドベージュの「赤電塗装」はこの電車からはじまったという。後年に台車は空気ばねのFS40に交換されて多少は近代化がなされ、最後は多摩川線に集められて1988(昭和63)年に廃車された。わずかに、総武流山電鉄と一畑電鉄に合計5両が譲渡され、ユネスコ村にカットボディが保存されたもののいずれも現存しない。

この電車は西武鉄道で新造された最後の吊り掛け駆動式の電車でもあった。1962(昭和37)年には西武鉄道初のカルダン駆動式の601系電車がたいへんよく似た外観で登場する。掲載写真のうち、パンタグラフのないクハ1651形はもともとは601系電車の制御車だ。だから、551系は旧性能車と新性能車の過渡期的な電車といえなくもない。

平成も終わろうとしている時期に「旧性能車」「新性能車」というのはいささかおかしいね。ここでいう旧性能車は自動空気ブレーキと吊り掛け駆動の電車であり、いっぽうの新性能車とはより応答性の高いブレーキと多段制御のカルダン駆動の電車という意味だ。そして、このあとには1969(昭和44)年の西武秩父線の開業があって、西武鉄道が質的に大転換することになる。その前夜から堤時代の西武鉄道の最盛期に走っていた電車といっていい。

と、ここまでは子どものころからさんざん読んだ、西武鉄道関連書籍やネット上で諸先輩方が書いたことから組み立てた知識だ。

クハ1657(クモハ556の連結相手で上り方向武蔵境方に向く)

クハ1660(クモハ557の連結相手で下り方向是政方に向く)

クモハ557(クハ1660の連結相手で上り方武蔵境方先頭に立つ)

オイルショックのころに生まれた私はこの電車には本線系統でももちろん乗っているはず。けれど、そのころは古色蒼然としたクハ1411や451系電車のほうがより印象的だったのか、いまひとつ記憶にない。「冷房のない音のうるさい赤い電車」はほぼひとまとめに「古い電車」だと思っていたから、どれが551系であったのかは定かではない。

1978(昭和53)年に国土計画が西武ライオンズを買収し、1979(昭和54)年に西武ライオンズ球場がオープンしたころ、沿線在住小学生たちには当時の西武ライオンズのキャップが配布されたのか大流行していて、子どものころも大人になってもまったく野球に興味がない私でさえも持っていたし、オープンしたばかりで真新しい西武ライオンズ球場に家族に連れられて野球観戦に出かけている。そのときに新宿線でも、あるいは所沢で乗り換えた臨時の西武球場前行き電車も赤電でやってきて落胆し、ラッシュアワーのように満員の電車の車内が蒸し暑かったことを覚えている。そのころは、池袋線のほうが冷房車が多く配属されていたから、所沢で乗り換える際に期待したのに。

それこそいま思えば、国土計画とセゾングループのまさに最盛期で、西武鉄道も西武百貨店にも勢いがあった時代だ。『二人セゾン』ってやつだ(いやちがう)。

そう思ってグーグル検索をかけると、1977(昭和52)年に新宿プリンスホテルがオープンし、1978(昭和53)年には品川プリンスホテルとファミリーマート事業部ができ、1980(昭和55)年には無印良品が西友のプライベート商品として発売され始め、新所沢パルコがオープンし、1981(昭和56)年に西友小手指店にドライブインシアターがオープンし、1984(昭和59)年に東伏見アイスアリーナがオープンしたのだそうだ。

意図的に国土計画とセゾングループを混ぜて書いたけれど……すごいな。まさにそういうころに沿線に在住していたわけか。西武鉄道も西武百貨店も子ども心には、なんだかかっこよく見えたもの。時代がよかった。

クモハ556(画面左方向が下り是政方)

クハ1660

クモハ557

■多摩川線の551系電車の編成はMc-Tc-Tc-Mcだったのだっけ
さて、鉄道に興味を持ち始めて父親のカメラを借りて自分で写真を撮りに行くことを始めたころにも、この551系がかろうじて新宿線で走っているのを見ているし、こうして多摩川線で最後の活躍をする姿をカメラにおさめているから、西武鉄道の旧性能車(赤電)のなかでも比較的親近感を感じる。

そのくせ……覚えていなかったのは、多摩川線ではこの電車は朝晩はMc-Tc-Tc-Mcと両端にパンタグラフのある制御電動車が来て、中間にトレーラーである付随制御車くるという組み合わせの2編成を組み合わせた4両編成になること、その際の連結位置が決まっているらしく、日中の閑散時間帯にこうして2連で走っているとわかるけれど、「少し前の西武電車の先頭車はほぼかならず装備していた電気連結器がクハ1651形にしかない(クモハ551形の電気連結器は取り外されているということは、通常はクモハ側に編成をつながない)」ということ。そもそも、日中には2両編成で走っていたこともすっかり忘れていた。こうして写真に撮っているくせに!

■平成も終わるのだからおぼえていなくても仕方がないか
そんなことを考えながら当時の多摩川線の写真を見ていると、改称前の多磨墓地前(現 多磨駅)のようすなどがひどくむかしのように見える。駅ホームの中央に灰皿が見え、木造の柱が緑色に塗られていて……。そういえばこんなだったのだっけ。30年前の写真なのだし。

それにしても、30年後に「平成時代」を振り返るとどんな気持ちになるのだろう。次の「令和時代」のほうがずっといいよ、と思うことができればいいな。

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【撮影データ】
Konica FP/Hexanon 52mm F1.8(1987年4月?、多磨墓地前)
Nikon F-301/Sigma 35-70mm F2.8-4(1988年1月、新小金井〜多磨墓地前)