1004編成上り列車 |
秩父鉄道ファンなのに、羽生〜熊谷の北武鉄道が開業させた北武区間にはなかなか行くことができなかった。当時中学生から高校生であり、自宅からは西武線経由で行くことができる秩父地域のほうが運賃が安かったから。それと、1990年代まで秩父鉄道で好きだった電車は急行『秩父路』に充当されていた300系電車であり、当時の急行列車は熊谷〜三峰口でしか運転されていなかった。そういう理由から北武区間を訪ねることは、私にはどうしても優先順位が下がってしまったというわけだ。
■はじめて訪れたのは1989年12月
はじめてこの北武区間に行ったのは、1989年12月と手元のネガにある。それもたしか、たまたま熊谷に用事があり、その合間に乗ってみたはずだ。その日、どういうわけかカメラにつめていたのは富士フイルムのISO32のネオパンF。そのせいであまり絞れずにいるので、このネガを現像してもいまひとつ気に入らず、プリントしてみたことがなかった。刈り取ったあとの田んぼの畝がぼけていてもきれいでもなんでもなく、絞り値を小さくしてぼかしすぎているとかえって間抜けに見えるのだ。
1004編成下りは逆光側に回った |
■1000系電車ばかりでがっかりした記憶
この初訪問では熊谷から武州荒木までしか乗っていない。そして、秩父鉄道オリジナルの500系電車や100形電車、あるいは小田急からやってきた800系電車が来てほしいと思いながら電車を待っていた。けれど、やって来たのは1000系電車ばかり。500系電車は1本だけしか撮ることができなかった。
秩父鉄道1000系電車は旧国鉄101系電車だが、このころは101系電車はは中央緩行線、南武線や鶴見線、武蔵野線でもまだ見ることができた。国鉄(JR東日本)でも好きな電車ではあった。それでも、秩父鉄道でオリジナルの電車を引退に追いやっているのだからなんという皮肉。
とはいえ、こうして見ると古めかしいPS13形パンタグラフに積み直されて冷房改造もされていないシンプルな譲渡直後の1000系電車の姿はたいへん好ましい。結果としていい記録になったと思う。
■ノイズがないとフィルムらしく見えない皮肉
さて、はじめてのネオパンFの粒状性の細かさには目を見張った。きちんといいレンズである程度絞って、かつ引き伸ばしレンズもニッコールやフジノンなどのちゃんとしたものを使うと、あきらかにピントがちがうのだ。とはいえ、当時はフィルム現像もへたくそで濃度ムラあり、傷だらけだ。そして、いまとなってみるとある程度は粒子が見えるほうがモノクロらしいというのは皮肉だ。掲載したカットは傷を消しきれないために、グレースケールの粒状ノイズを加えた。
この次にこの場所を訪れたのは2011年1月だった。時の立つ早さには驚く。20年たってだいぶ建物が増えたけど、それでも大きく雰囲気が変わらないのはうれしい。
【撮影データ】
Nikon F-301/AI Nikkor 85mm F1.4S/Fujifilm Neopan F