2014年2月9日日曜日

【山陰方面2002年】「空が明るい」境港へ、キハ33

交換待ち。境線キハ33-1001

■境港に行った
さて、数回にわたり写真術の心得めいたものや旅への考察やらを書いて、みなさんを呆れさせた。今回で2002年9月の山陰行きの話はおしまいにしよう。

このとき出かけた理由のひとつは、植田正治写真美術館で福山※治とのコラボ写真展が行われていたからだ。私も同行者も福山のファンではないが、ハービー・山口さんがバイクで二人乗りしてカメラ屋を巡ってライカを選んだと話していた福山の写真はどんなものかには、興味があった。なかなか上手にまとまっていた。器用なのだろうし、努力もされているだろう。もちろん植田正治の砂丘シリーズのポエジーなさまは、とても素敵だった。

■境港は空が明るい
そしてなにより、山陰地方出身のとある写真家から聞いていたように、境港の空の明るさが印象的だった。米子に投宿したこともあり、境線には何度も乗りにいった。そうして空を見上げてはたしかになんだか明るいなあと感じた。

いかにも9月の空らしい気がする(再掲載)

鉄道に関していえば、大規模な更新が行われていた首都圏色のキハ40系列や国鉄急行色のキハ58のほか、115系電車や381系電車、そしてEF64形電気機関車1000番台も走っていて、いま思えば国鉄形王国だった。振り子式の381系電車は乗っていて、岡山と米子のあいだのカーブの連続で酔ってしまった記憶がある。

そのうち、気動車しか写していないのは、鉄道撮影を目的とせず出かけたからと鉄道に興味のない同行者がいたからだ。それでも気動車を写しているのは、その頃すでにノスタルジックな存在に思えたから写したのだろう。

そして、客車であるオハ50から改造され、2両しか存在しなかったキハ33を写していたことも、いま初めて知った。キハ40も私にはありふれた存在で「なんだかなあ」と思っていい加減にしか写していないので、当時はまったく知らなかったさらに見覚えのない気動車に注意を払わなかった。意識しないことや知らないことは、存在しないことと同じなのだといま改めて思う。

■忘れていたネガはへそくりのよう
それにしても、すっかり存在を忘れていたネガは、まるで引き出しの奥から出てきたへそくりのようだ。なんとなく得をしたような気持ちになる。

【共通データ】
Nikon New F・Ai Nikkor 20mm f/2.8S・Neopan 400 PRESTO(D72現像)