いよいよこの週末で運用離脱 |
■「さよなら1003F貸切り&撮影ツアー」に行ってきた
この最後の話について記すべくペンを執るのは、とても胸が痛む。
……とは、コナン・ドイル作シャーロック・ホームズシリーズ『最後の事件』のもじりである。モリアーティもモジリアーニ(オヤジギャグ!?)も登場しないし、さいわい誰も滝壺に落ちたりはしない。日本の武術「バリツ」などというものも使わない。いったいどういうものなのだろうねえ。そして、このブログはまだ続くのだよ、ワトソン君。
などという前書きは要らないね。お仕事の文章ではないのだから。
さて、このところ連日記事にしている秩父鉄道1000系1003編成「オレンジバーミリオンII」は、週末の貸切臨時電車「さよなら1003F貸切り&撮影会ツアー」ですべての運用を終える。最後の晴れ舞台でその勇姿を見せてくれた。私は初日に参加した。そのもようを以下に記す。
入念に出庫前に点検中 |
オレンジの電車ではなく私らヲタを撮ってるね! |
長瀞の駅舎は待合室も素敵だ |
長瀞を出発 |
もう春なのだ |
雪が残っている武甲山に近づくと終点秩父 |
■さよなら列車は秩父をめざして快走
1003編成は検車係氏にも運転士氏にも車掌氏にもじつにじつに念入りに点検されて熊谷を出発し、秩父~熊谷の往路復路ともに定時運行した。2月の大雪で故障をしたともいわれていたために、点検は念入りだった。
秩父で行われた撮影会では特製ヘッドマークと「拝島~武蔵五日市」と運行番号幕ふうステッカーも掲示された。私自身は五日市線のこの表示は初めて見たので、ものすごく得をした気分だ。いずれも国鉄方向幕書体を用いた秩父鉄道の「中の方」のお手製で、どうやら日替りで変えるらしい。よく見ると3桁の運行番号のあいだの仕切りも表現されている。
なお、製作された秩父鉄道の「中の方」いわく、数字だけなのは写真で見てもあれこれ検索しても欧文の表記が見当たらなかったからなのだそうだ。秩父鉄道の書体はナール(丸ゴシック)なので、国鉄形電車なのに久しぶりに見る国鉄方向幕書体は、かえって新鮮に思えることが興味深い。
■列車はこんどは広瀬川原へ
秩父での撮影会のあと、列車はふたたび参加者を乗せて熊谷へ向けて走り始めた。途中の広瀬川原貨物駅にいちど入庫し、有火状態のC58363と並べられ、あいまにデキやスイッチャー、解体線の1010編成も写すことができた。
手作りの国鉄風運行表示と五日市線幕(日替わりらしい) |
ヘッドマークは秩父と広瀬川原でのみ掲示 |
青空がまぶしい |
■列車はこんどは広瀬川原へ
秩父での撮影会のあと、列車はふたたび参加者を乗せて熊谷へ向けて走り始めた。途中の広瀬川原貨物駅にいちど入庫し、有火状態のC58363と並べられ、あいまにデキやスイッチャー、解体線の1010編成も写すことができた。
参加者はいちど手前の荒川桜堤ぞいの駅で下車して広瀬川原まで徒歩で移動したので、車両基地へは正門から入った。その途中で解体線にいた1010編成も目にした。まだ解体されてはいないが、デハ1110にはもう切り込みがあったので、解体はもう間もなくのはずだ。
この日は一日中とても天気もよく、というよりも風も強くよすぎるほどだった。秩父党にはたいへん楽しい内容だった。
この日は一日中とても天気もよく、というよりも風も強くよすぎるほどだった。秩父党にはたいへん楽しい内容だった。
広瀬川原ではC58363とともに |
解体線ももちろん見ちゃったよ! |
■最後の花道を用意してくれた関係各位にお礼を言いたい
1003編成は残り二日間も同じように貸切運行されたようだ。私自身は自分が参加した初日以降に沿線で撮影することはしなかった。なんとなく、自分のなかで1003編成におわかれが済んだ気持ちでいたから。
1003編成は残り二日間も同じように貸切運行されたようだ。私自身は自分が参加した初日以降に沿線で撮影することはしなかった。なんとなく、自分のなかで1003編成におわかれが済んだ気持ちでいたから。
引退する1003編成に立派な花道を用意してくれた秩父鉄道の関係者のみなさんには、心よりお礼申し上げます。m(_ _)m ありがとうございました。
あれっ? たくあんの色とオレンジが入っているのはもしかして!? |
秩鉄入線直後の1003編成(1987年8月) |
【撮影データ】
(2014年)
Nikon D7000 /AI AF Nikkor 24mm f/2.8D, AI AF Nikkor 35mm f/2D, AI AF Nikkor 50mm f/1.4D/RAW+JPEG/Capture NX-2
(1987年)
Nikon F-301 /Sigma Zoom K-III 75-210 mm f/3.5-4.5/Kodachrome 64