2022年8月3日水曜日

「夜の路線バス操車場が好きだった自分」を思い出した



■消極系路線バスファン
鉄道趣味のひとには、かなりの数で「路線バス趣味」を兼ねているひとが多い気がする。あくまでも、私の周辺の観測事例を述べているだけかもしれないので、データに基づいた客観性のある話ではない。「そういう感じがする」程度の話だ。

私自身には、路線バスの車両などについての知識はまったくない。古いモノコック車体のバスなどを見ればそれはわかるけれど……という程度だ。そして、路線バスだけを撮影に行くほどの強い熱意があるわけではない。

それでも、路線バスはよく利用するし、好きな路線に乗ると顔に出さないようにしながらドキドキしている。世界にはびこるこの疾病の流行まえに運転席そばの入口の「オタシート」が空いていたら、よろこんでそこに座った。だから私は「消極系路線バスファン」といったところだ。

たとえば、最長路線バスとして有名な奈良交通八木新宮線は「これがそうなのか」と思いつつ、近鉄御所線の御所駅前や近鉄南大阪線高田市駅でバス停を見て「ほほう」と思ったきりで、乗っていないし。バス営業所のイベントに参加したこともない。数年前に水戸駅前で丸いヘッドライトの古い路線バスが数多く走っているのを見てにっこりしたくらい。

そんな消極的な私でも、南海バスの堺市内のバス停「大寺南門山之口前(おおでらみなみもんやまのぐちまえ)」という単語が夢のなかで出てきて飛び起きた。宿院近くのバス停で布忍(ぬのせ)線のバスでよく通過したというだけなのに。音が印象的だったのか。


■夜のバス操車場が好き
考えたら子どものころには電車ごっこだけではなくバスごっこもしていた。そして、過去に住んでいた家の近くに、バスの営業所や操車場、転回場が設けられているところに比較的多く住んでいたから、路線バスを身近に感じていたのかもしれない。

だから、いろいろな路線バスのある情景をそのとき持っているカメラでなにかと写している。そういう写真を思い出して、自分で好ましく思うのは夜のバス操車場、あるいは転回場のようすだ。

構内灯に照らされて出発までに時間調整をしている路線バスの姿を見ていると、いつも写したくなってしまう。とてもフォトジェニックに思えるからだ。いっぽうで、高速バスの高速道路上に設けられているバスストップは無機質でそっけなくて写真にしづらい。長居するとあぶない感じもするし。

考えてみたら夜の鉄道駅も好きだ。暗くなってからの姿はいつみても心が騒ぐ。きっと、情緒や風情、もののあわれのようなものを感じるから。かっこよくいうと、旅情みたいなものを感じられるような気がするからだ。


■鉄道駅のようだからかも
バス操車場や転回場が好きな理由はおそらく、鉄道駅に似ているから。じっさいに、鉄道駅に隣接するものは鉄道用地を転用したものもあり、なおさら鉄道施設を彷彿させて好ましい。ソメイヨシノが開花するたびに数年来撮っているあのスクールバスのりばも、もともとは川砂利を採取する支線の操車場だったはずだ。

鉄道駅でもフォトジェニックさを感じてなにかと撮りたいと私に思わせるのは、大都会のターミナル駅ではなく支線の終着駅のような小さな駅だ。

同様に路線バスの操車場でも、営業所(車庫)のような大きな設備よりも、小さな詰め所だけが設けられていて、せいぜい数台しかバスを駐車させることができないような、小さな操車場が好ましい。

折返しの運行のまえに車内を清掃や点検をして、時間をつぶしている運転士氏が車内にいる。そういうところを眺めているのが好きだ。そうして時間になると停留所まで運転士氏がバスを動かし、プシューと空気が抜ける音をさせて乗降扉を開き、マイクで「お待たせいたしました。☆分発なんとか行きです」と案内をするあの感じ。始発の停留所から乗ると、自動放送のテープのいちばん最初の「このテープは☆系統☆なんとか行きの案内放送です」というところを聞くことも。

■そういうものを訪ね歩くのもいいか
上記のようなことをにわかに思い出したのは、つい先日のことだ。川越一番街まででかけた帰りに通りかかった西武バスの今福中台停留所の雰囲気がよかった。それまで、バス操車場が好きなことを私はすっかり忘れていた。郊外暮らしが長くなり、いっぽうで都心に出ることが減って路線バスに乗る機会が減っているからかも。

今福中台停留所は本川越駅から川越駅を経て関越自動車道を越えたところ、川越少年刑務所の手前といったところだ。周囲は住宅地と畑、工場があるだけの典型的な都市郊外というところ。西武新宿線南大塚駅までは800メートルというところか、やや離れている。地元の住民か乗りつぶしのバスマニアさんでもない限り、なかなか降りることもないだろう。

西武新宿線と国道16号の向う側にある川越営業所への出入庫のバスは、このまえのバス停を通るようで、操車場のなかには入らないようだ。

このバス停は私の家からはそう遠くはないが、たまたま通りかかってその存在を思い出したというくらいで、ふだんはこの道を通らなかった。だから、停留所を目にしていっしゅんためらいつつも、ついでの用事ではここを通ることもなさそうだと思い、路線バスがやってくるのを少し待った。

この日は夕方の写真を撮るために、DfボディにはひさしぶりにAI Nikkor 85mm F1.4Sを装着していた。F2からF2.8まで絞ればけっこういけるはずだ。そういう機材を持っているときに通りかかって気になったのだから、写しておくべきだと思った。

そうして撮ってみたら、なんだかおもしろくなってきた。ほかにも自宅周辺のバスの終点の操車場はあるのだから、まずはそういうところを訪ねて撮ってみるのもおもしろいかもしれない。また、世間はあれがああだから、遠くに出かける気持ちにならないものね。

そう思えば、撮っていないものは世の中にまだたくさんある。肝心なのは自分の視点の持ち方なのだということに、いまさらあらためて気づいたいうわけだ。「『遠くに行かないと写真が撮れない』という意見もときに聞く。それに対して『必ずしもそんなこともないのではないか』と反論を試みたい」などと数回前のエントリーに自分で書いているのだ。しらけないでやっていこうぜ。暑いとあれなんだけどね。

【撮影データ】
Nikon Df/AI Nikkor 85mm F1.4S/RAW/Adobe Photoshop CC

【おしらせ】
RAW現像の技法などはnoteで書いているので、そちらもどうぞごひいきに! 俺に課金してくれ! (・ω<) てへぺろ
https://note.com/kaoru_akiyama86/