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2021年9月20日月曜日

【1990年7月】青梅線のEF64形1000番代牽引石灰石輸送列車いきあたりばったり撮影記


■石灰石輸送列車ももちろん撮った
1990(平成2)年7月に青梅線の列車撮影に行ったときに撮ったTri-X(コダックのモノクロネガフィルム)には、EF64形電気機関車1000番代が牽引する石灰石輸送列車の姿もとらえられていた。なぜ青梅線を訪問したのかという理由はもう覚えてはいない。

おそらくは、自宅から近いわりに山間を走る列車の雰囲気を楽しむことができて、同時に貨物列車も走っているからという理由で青梅線に決めたはずだ。だから、石灰石輸送列車を撮ることも訪問目的の大きな理由だったはず。

2021年9月18日土曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その2(高運転台車編)

クハ103ATC対応車の次に写っているのは
モハ72-970番代から改造されたサハ103-3000番代車じゃんか

ATC対応高運転台のクハ103が青梅線にいるなんて
1990(平成2)年7月の夏休みに青梅線の列車を撮りにでかけたときの話の続きだ。そのときに最も強く感じたのは、青梅線にも103系ATC対応高運転台車で冷房車のクハ103がずいぶん増えたなあということ。

京浜東北線および山手線用に製造された車両で製造数も多かったものの、その両線および横浜線と新規開業して間がない埼京線で用いられていた。それが、205系電車に置き換えられた。まだ車齢が新しいことからATC装置を下ろして青梅線・五日市線用に転属してきた。

それまでの青梅線の103系は初期に製造された低運転台・非冷房車がおもだった。この高運転台で冷房車であり、ユニット窓のクハ103形にはどうしても「京浜東北線および山手線用の電車」という印象が強くあり、青梅線で見るとじつに不思議な感じがした。

2021年9月16日木曜日

【1990年7月】青梅線「103系の沼」をかいま見る その1(低運転台車編)

有名な白丸駅下り方のトンネル
自分もモノクロフィルムでこれを撮ってみたかった


■ネガを見つけ出してフル解像度で再スキャンした
先日のリコーフレックスVIIで撮った青梅線のカラーポジのエントリーを書いたあとに、その文中でも触れた1990(平成2)年7月にモノクロームフィルムであるTri-Xで列車主体に撮影したネガを見つけた。以前にもなんどかお見せしたことのある写真が含まれている。だが、それらは当時のパソコンが非力であったために、600万画素相当(3,000×2,000ピクセル)程度でスキャンしていた。

いまも手元のパソコンは非力ではあるが複数台あり、「フィルムスキャナー専用機」を用意しているから、フィルムスキャンのあいだにパソコンが占有されても困らないよう、以前よりは自分のハードウェアの環境は改善されている。そこで、ネガがより傷んでしまうまえにあらためてNikon SUPER COOLSCAN 4000 ED(LS-4000ED)の約2,280万画素のフル画素(5,782×3,946ピクセル)でスキャンすることにした。Photoshopでの画像処理もむかしより経験を積んで、そう気が重くはなくなったしね。

そうしてネガスキャンした写真を見ていて、1990年の少年だった私には気づいていないことが、2021年の中年の私に見えてきた。それは、90年代の青梅線103系電車はバリエーション豊富で奥が深いということ。これは……沼だ。あえていおう、沼であると!

2021年9月11日土曜日

【1991年8月】二眼レフのリコーフレックスVIIで青梅線のEF64形1000番代を撮った話


■二眼レフで撮っていた青梅線を行くEF64形1000番代
1990年代に大学生になったころ、なんとなく鉄道を撮るのをやめてしまったとは何回もここで書いている。でも、そのころにもレジャーで出かけた先でときには列車を撮ってはいたから、鉄道への興味が完全に失せたわけではなかった。外出するにも未踏の鉄道路線に乗るのを楽しく思っていたし。

旧ブログでもお目にかけたことがある画像をまた見つけた。レタッチをし直してご覧に入れたい。1991(平成3)年8月にJR青梅線沿線に出かけた際に見かけた、EF64形1000番代が先頭に立つ石灰石輸送列車の姿だ。たしか奥多摩町の民宿に一泊したはずで、その往路で奥多摩駅で撮った。

2020年8月17日月曜日

【八高線撮影記事】「河岸」を変えて……残暑お見舞い申し上げます

 

■暑い日が続きますね
お盆休み期間も終わった。暑い日が続いているが、みなさんはいかがお過ごしだろうか。ようやく晴れる日が増えたのはとてもありがたい。体が暑さに慣れないけどね。そこで梅雨明けしてからも、お盆であっても筆者はあいかわらず自宅から10キロメートル程度のところにふらりと出かけている。遠出をしなくてもカメラがあれば私はそれなりに楽しい。距離が遠くなくても雰囲気が好きなところを選ぶとか、工夫をすればいいのだもの。

2019年12月4日水曜日

【国鉄103系】ATC対応車のことを思い出す日々

1987年2月、高田馬場

■103系電車が山手線や埼京線を走っていたなんて知らないだろ
る10月で川越線・八高線から209系電車3100番代車が運用離脱したのだそうだ(2020年1月追記:また運用が復活した説もあり。ただし筆者自身は裏とりできていません。ご注意ください→2020年7月追記:先日からハエ71編成が運用入りしているのを複数回目撃しています→2022年11月追記:2021年末まで代走として走り続け、撮影会を2022年1月に行ったのち、廃車されました)。

これで、川越線・八高線は209系3500番代車とE231系3000番代車への置き換えが完了し、幅広車体の電車にすべて置き換わったことになる。川越線でも埼京線と直通運転を行う大宮〜川越はすでにE233系7000番代車の独壇場といえるので、東京臨海高速鉄道70-000形電車をのぞいては幅広車体の電車ばかりだ。あれほど「走ルンです」などと馬鹿にしていた209系電車も、いま考えてみるとデザインはまだ国鉄型の名残ともいえる電車だ。あれで、外板がぼこぼこではなかったらなあ。

そんなことを考えていて思い出した。そういえば……埼京線・川越線はながらく205系電車が走っていた路線だったけれど、1985年9月に開業してから1990年11月までは、103系電車が走っている路線だった。山手貨物線を103系が唸り声をあげて走るようすを見て「103系電車ってなんかすげえ」と感心させられたものだ。というのは、103系電車というと山手線内でとろとろ走っている印象が強かったから。

2016年5月25日水曜日

【JR青梅線撮影記事】隧道と落石避けに胸アツ


■青梅線に乗ると思い出す
思えば、最後にJR青梅線でカメラを構えたのは……25年も前になるのだろうか。いや、それ以降にもレジャーで乗ったことは数回ある。けれど、正直にいえば、そのころは鉄道趣味への関心を失っていたので、201系電車やE233系電車をまじめに撮ろうという気にならなかった。

ところが、先日ひさしぶりに奥多摩まで乗ってみて……いやあ。架線柱が多くて、写真にしてしまうと西武秩父線ともそうそう変わっては見えないけれど……石灰石輸送のために昔の人は氷川(当時)まで隧道を掘って線路を繋いだわけだよなあ、と思うとなんだか胸が熱くなった。ま、E233系電車自体をまじめに撮る気にはならないけどな。あんなものは、走ルンですです。偉い人にはわからんのです。それでも、列車が走る風景には興味がある。