2020年3月1日日曜日

【秩父鉄道1980年代】国鉄民営化のころの秩父鉄道乗り入れ列車『みつみね』号と秩鉄貨物列車

秩父鉄道乗り入れ国鉄115系電車『みつみね』号サボ(1985年8月)

秩父鉄道乗り入れ115系電車『みつみね』号、御花畑(1985年8月)

■フィルムスキャナーの設定を変えて……ブログの誤記に気づいた
フィルムスキャナーのNikon SUPER COOLSCAN 4000EDを私はまだ温存している。先日、ひさしぶりにこれの接続環境を変えた。そのあとの試運転で退色したカラーネガフィルムをスキャンした。以前にもお見せしたことのある「秩父鉄道に『みつみね』号として乗りれてきた国鉄115系電車」の写真だ。以前よりも入力解像度を上げた。

それをプレビューして拡大したら、編成番号が写っているのが見えた。1985(昭和60)年8月に撮影したとメモにあり、当時の高崎線の電車は新前橋電車区(現 高崎車両センター)に所属していた。そこで、そのころの編成表をネットにアップしてくれている方がいるかもしれないと思って検索をかけてみると、当時のT1022編成構成は以下のようになっていた。

(←上野)クハ115-1016+サハ115-1002+モハ114-1022+クモハ115-1017(→高崎・三峰口)

「T1022編成」という表記が見える

私はこの編成が115系1000番台の冷房車であることと、4両編成で標準的なクハ115+モハ115+モハ114+クハ115(Tc-M'-M-Tc)ではなく、3両編成にサハを増車したクハ115+サハ115+モハ114+クモハ115(Tc-T-M'-Mc)であったことは覚えていた。それまでの高崎線ではあまり見ない編成であり、したがって通常は4両編成である秩父鉄道直通列車でもはじめて見る編成だったからだ。

このいささか変則的な措置は1985(昭和60)年のダイヤ改正で上野口の普通電車としての165系電車乗り入れを115系電車に置き換えるために、高崎地区ローカル用の115系電車の3両編成に三鷹電車区から転入したサハ115を挿入して4両編成化したものなのだという。

ここで読者のみなさんにおわびしなければならない。私はこの写真の先頭車のクモハ115をどういうわけか、先頭車改造された1500番台のクモハ115だと思いこんでいて、過去にこのブログではそれを裏とりもせずにそう書いてきた。

ところが、当時の新前橋電車区の115系電車の編成表をいくつか見てみると、115系T1022編成の下り方先頭車は新造車であるクモハ115-1017であり、改造車である1500番台ではない。国鉄115系電車の秩父鉄道直通のようすについて検索をかけると、この自分の記事もヒットしそれなりのビュー数もあったようなので、なおのこと誤記は訂正する必要がある。過去記事について訂正し、お詫び申し上げます。

スキャナーの設定を変えたらブログの誤記が見つかるとは、「風が吹けば桶屋が儲かる」かのようだ。ほんとうに申し訳ないです。なにごともきちんとなにかを参照しながら書くべきだという典型例だと思う。

■1980年代の高崎線からの直通列車
上記の新前橋電車区(高シマ。「高」はほんらいはハシゴダカ)T1022編成は、国鉄民営化後も長く高崎地区で用いられ、高崎運転センター(高タカ。こちらも同様に「高」はほんらいはハシゴダカ)T1022編成として、2018(平成30)年7月に廃車になるまで高崎地区で走り続けた。なんども私も高崎地区で遭遇しているはずだ。

撮影時に4両編成化されるために挿入されたサハ115-1002は民営化後の1988(昭和63)年に上沼垂運転区に転属され、T1022編成はふたたび3両編成に戻っている。いっぽう、サハ115-1002は2014(平成26)年に廃車になるまでずっと新潟地区を走り続けたのだそうだ。

秩父鉄道に乗り入れてきた国鉄(JR)高崎線115系電車はもちろん1000番台ばかりではない。4両編成の基本番台(0番台)車や300番台車ももちろん乗り入れている。私自身は1000番台車はこのときにしか見ていない。

1985(昭和60)年4月と思われるネガには長瀞駅に停車中のT62編成(クハ115-120+モハ115-62+モハ114-62+クハ115-125)が写っている。

また、SLパレオエクスプレスが運行開始した1988(昭和63)年4月のネガには、長瀞〜上長瀞を走る「405」と編成番号のある300番台車の姿がある。ネット検索してみると1985(昭和60)年の編成表に小山電車区にはY405編成があったが、それが1988(昭和63)年春の段階で新前橋に転属したのか一時的に貸し出しされていたのか、私にはわからない。Y405編成だとしたら(←上野)クハ115-216+モハ114-405+モハ115-379+クハ115-405(→高崎、三峰口、小山)のようだ。1988(昭和63)年の編成表や配属の資料を持っていないので私には不明だ。

これら115系直通列車は土休日に運行され、上野から高崎行きの高崎方4両が熊谷から秩父鉄道線内に乗り入れた。下り843M・9843M『みつみね』1号は1980(昭和55)年のダイヤでは上野9:26発、熊谷10:28着、10:30発、三峰口着11:52(高崎11:23着)とある。昼前に三峰口に着き、上りは9898M『みつみね』4号になる。三峰口発15:53、熊谷17:08着。前橋発の898Mに熊谷で増結されるかたちになる。熊谷からは15両編成で17:13発、上野18:16着。SLパレオエクスプレスの走り始めた1988(昭和63)年の運転時刻はどうなっていただろうか。

休前日の夕方に上野から下り、三峰口に停泊して翌朝上り列車となる列車もあった。1980年代は『みつみね』3号、『みつみね』2号と名乗っていた。それ以前は『くもとり』号と称したそうだ。

■乗り入れは国鉄(JR)115系電車だけではなかった
国鉄(JR)の旅客列車の秩父鉄道直通列車は終戦後から進駐軍向けにあったようだ。高崎線経由だけではなく、八高線寄居経由でもあったという。秩父鉄道は高崎線に先んじて直流1,200Vで電化運転を行なっていた。重量のある貨物列車が行き来するために、大型の国鉄車両が乗り入れできる設備であったからだろう。1952(昭和27)年に高崎線が電化されて、秩父鉄道も1,500Vに昇圧されてほどなく1956(昭和31)年ごろから電車運転による直通列車が行われたと以前、秩父鉄道Webサイトにあったはずだ(2020年3月現在、その記述が見つけられない)。

手元の『鉄道ピクトリアル』誌1998年11月号(661号)には「思い出の秩父鉄道直通列車」と題して1958(昭和33)年10月に撮影された三峰口に留置中の田町電車区の70系電車クハ76093、1963(昭和38)年7月に撮影された三峰口発大宮行の72系5連の写真が掲載されている。同誌によれば「1960年代後半以降は、上野からの直通は115系または165系が使用された」(P.40)とある。

165系電車の乗り入れのようすは、私自身が目にしたことはないが、お世話になっているTakaさんが解説していたWebサイト『Train's Photo Gallery』にはその姿もあった。前掲書にも秩父夜祭の日に臨時列車として「毎年12月3日に行われる秩父夜祭にはJRも上野からの直通列車「秩父夜祭」号を運転する。上野−秩父間直通で、新前橋区の165系6連を使用し2往復運行されるが、JR熊谷駅高崎方の渡り線から秩父線内に入るために、上下列車とも社線熊谷駅には立ち寄らない」(P.49)とあった。

1988年4月、秩父鉄道乗り入れ列車「みつみね」号、上長瀞〜長瀞

また、東武東上線池袋からの乗り入れ列車もあった。三峰口行き『みつみね』号と上長瀞行き『ながとろ』号だ。だが、1989(平成元)年4月より西武鉄道からの直通列車運転が開始され、1992年(平成4年)に秩父鉄道線内にATSが設置されたことを契機に、8000系電車6両編成で行われていた東武東上線からの直通列車は廃止された。JRからの直通列車も合理化を理由に縮小していき、後年は秩父夜祭の臨時列車だけになっていたようだ。

JR115系電車による『みつみね』号がいつまで走っていたのかは記録に残していないので不明だが、165系電車による秩父夜祭臨時列車も2001(平成13)年を最後に運行されていないという。2020年3月の本稿執筆時現在、熊谷駅構内の渡り線自体は残されてはいるものの、枕木でふさがれていて使うことはできない。

余談だが、この国鉄型車両の直通運転の経験があって運転士は国鉄型の電車を運転できるから、秩父鉄道は国鉄(JR)101系電車や国鉄(JR)165系電車を購入して使用することもできたのだろう。みなさんもご存知のように、1986(昭和61)年から1989(平成元)年にかけて101系電車を購入して改装された1000系電車はとくに、その後2014(平成26)年までの長きにわたって秩父鉄道の主力電車として走り続けた。

■パレオが走り始めたころの秩鉄はそれ自体が魅力的だった

デキ105牽引鉱石貨物列車

秩鉄オリジナルの500系電車

デキ502牽引セメント列車

SLパレオエクスプレスが運行開始した1988(昭和63)年4月の秩父鉄道は、C58363牽引の旧型客車列車が走らなくてもじゅうぶんに魅力的だった。同じアングルの写真がずっと続くのは、SLパレオエクスプレスとそれに雁行するかのように走る秩鉄オリジナルの旧型電車100形電車を撮影するために待ち構えていたからだ。

国鉄101系電車であった1000系電車の導入はすでに始まっていて、この日に御花畑から上長瀞まで乗ったのも1000系だった。もちろん、1000系が走る姿も写している。だが、そのころの秩父鉄道では新塗装化された秩鉄オリジナルの500系電車、小田急1800系だった800系電車もまだ走っていて、貨物列車の運行本数も多かった。あまり意識しないで写していた貨物列車にも、鉱石貨物列車だけではなく、セメント列車などもあった。

このころの私はそれらを見ながら、そのころにはすでに退役していた「デキ1型やED38の走る姿を見たかった」。あるいは「国鉄70系や72系電車の秩父鉄道直通列車」や、「東武73系・78系電車あるいはベージュとロイヤルオレンジの東武8000系電車」を見たかった、もっと早く生まれたかったなどと考えていたはずで、いつでもないものねだりをしていたように思う。いかにもヲタらしいというべきか。

それでもこうしてみると、わずかながらも懐かしい姿が手元に残されているのだ。いつものあたりまえの結論ではあるけれど、写真はなんでも撮っておくべきなのかもしれない。

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【撮影データ】
Konic FP, Nikon F-301/Hexanon 52mm f/1.8, AI-S Nikkor 85mm F1.4S